桜の花嫁

後編


 教会がざわついている。アンジェリークはただ全身を強張らせたまま、唖然とアリオスを見る。
 キスの余韻は、甘くて至上ののときめきを思い出させるのと同時に、戸惑いもかなり大きい。
 あんな切ない別れ方をし、その上、二年もの永い間ずっと逢わずにいたのに、いきなり神様の前で指輪をはめられてしまうなんて。
 流石に、新郎新婦であるエルンストとレイチェルもこちらを見ていた。式を壊されたと言った非難の視線ではなく、期待に満ちた眼差しで見られている。
 牧師の咳ばらいが、あたりの浮ついた空気を締めた。
「宜しいですか、みなさん。ベストマンもブライズメイドも、ここでご婚約されたのですから、神に誓い、結婚までたどり着いて下さい。ここにいる者は、全員が証人ですから」
「勿論」
 アンジェリークが否定の言葉を口にする前に、アリオスが肯定してしまう。アンジェリークは空いた口が塞がらなかった。
「では、この結婚を祝して、賛美歌をお願いします」
 パイプオルガンが鳴り響く中、アンジェリークはアリオスを睨み据えた。
「どういうことなのよ!? 一体!?」
 アンジェリークはアリオスにだけ聞こえるように囁くが、相手は知らんぷりだ。それどころか、式次第を指で叩いて、賛美歌を歌えと促してきた。
 横柄過ぎるアリオスにアンジェリークはそっぽを向いて歌を歌う。
 レイチェルはすっかりおもしろがって、ニヤニヤしながらこちらを伺っていた。
 賛美歌が終わり、いよいよ式も終了の時間となる。ブライズメイドのアンジェリークは、ライスシャワーの準備で、慌てだす。勿論、アリオスもだ。
「教会なライスシャワーだと、THE BEATLESのエリノア・リクビーを思い出さねえか?」
「アリオス、夜のドライブ帰りは、ビートルズを子守歌代わりに私に聞かせていたものね。残念ながら、もう子守歌が必要なお年頃ではありませんの」
「ったく、いつからんなにヒネクレ女になっちまったんだ?」
 アリオスは呆れるように言ったが、アンジェリークは呆れるのはこっちだと思わずにはいられない。
「アリオスの真似をしたのよ。私の目の前にいる方は、偉大なるヒネクレ皇帝様ざもん!」
 アンジェリークはライスシャワーの陣取りがアリオスの横であるのが何だか苛々する。
 しかも左手薬指にはめられた指輪を見る度に、うっとりする自分が益々嫌だ。
 教会の鐘が高らかに鳴り響き、新郎新婦の登場を宣言する。
 重厚な扉が開いた後、仲間たちでライスシャワーを始める。ときめきの瞬間だ。
「結婚おめでとう!」
 口々にみんなで囃し立てながら、お祝いの証であるライスを投げる。
 その間も、アンジェリークはアリオスを意識してしまい、ずっとドキドキしていた。

 無事に結婚式が終了し、ウェディングバンケットは、美しい庭園を借り切って行う。ケータリング食材も美味しく頂けるものになっている。
 アンジェリークはそっとレイチェルに呼び出され、新婦控室に来ていた。
「ごめんね、レイチェル。アリオスがあんなことをして、式はぶち壊しだったわ」
「そう? ワタシは楽しかったヨ! だってあのクールなアリオスが、あんなことをするなんて思わなかった。余程アナタのことが好きなん だって思ったもの。面白ものを見せてもらったよ」
「そんな、動物園のパンダみたいに言わないで…」
 アンジェリークは困惑しながら俯く。アリオスのことを話題に出されてしまうと、妙に落ち着かなかった。指先をもじもじと回したりしてしまう。
「だけど、満更でもなかったんじゃない? アリオスが時間を飛び越えて、我が物顔でアナタの心に入ってきたことを…」
 アンジェリークは反論するにも困ってしまう。確かにレイチェルの言う通りかもしれないが、認めるのがしゃくにさわる。
 ふと下を向いていると、アリオスからはめられた指輪が視線に入って来た。
 そこには、アンジェリークがずっと夢みたいに思っていた幸福が、ぎゅっと凝縮されているように思える。
「その指輪を捨てきられないのが、何よりもの証拠だよ。アンジェ」
 確かに、指輪を腹が立って外そうとしたことは、アンジェリークにはなかった。今ここにあるのがナチュラルだとすら想う。
 思えば二年前、大喧嘩の後、アリオスが謝りに来て、愛の言葉を囁いてくれるとばかり思っていた。そして、それをきっかけに愛は深まるものだと。だが、実際にそんなことはなかったのだ。
 アリオスはアンジェリークを迎えになんかこず、この二年間を過ごしていた。どこかに小さな希望を持って。
 そしてその小さな希望が意外な形で満たされた時、あったのはアリオスと時間への苛立ちだけだった。
「…こんなもの…」
 言うだけ言いながらも、アンジェリークは指輪に手をかけることすら出来ない。レイチェルはそれを冷静に見ていた。
「アンジェ、アナタの心はずっと二年前から止まったままだったんだよ。だから二年なんて時間は、アナタとアリオスの間には存在しないんじゃない。チガウ?」
 レイチェルはいつもアンジェリークの真実をついてくる。やはり親友だからなのか。その辺りは巧みだ。
 時間、じかん、ジカン…。
 確かにアリオスと再会した瞬間から、時計の針がいつも通りに動いているような気がする。いままで止まっていたせいか、ジェットコースターのように感じずにはいられなくなる。
「アンジェ、時間が流れたのだもの、いつものようにスマイルで! あの時のように素直な気持ちで、アリオスにぶつかって行こうよ! きっとアナタは大丈夫だから!」
 レイチェルの言葉が、蟠り、永久凍土に閉ざされた心をつき動かし始める。
「ほら、アンジェ。これがアナタの心をつき動かす鍵になるよ。幸せになるドアは自分で開けてノックしないと。総てはアナタ次第。ワタシはその鍵を渡してあげることしか出来ないから」
 レイチェルは慈愛に満ちた柔らかな笑みを浮かべると、アンジェリークにブーケを差し出してくれた。
「はい、これが鍵だよ」
 レイチェルは幸せをそっとバトンタッチしてくれる。真心がたっぶりとそこに含まれているような気がした。
「有り難う…。大事にする」
「大事にするだけじゃダメだよ。ちゃんと幸せを引き継がなくっちゃ!」
「レイチェル…」
 引き継ぎだい。だが本当にそんなことが出来るのだろうか。
 アンジェリークはブーケをぎゅっと抱きしめながら、希望を花に乗せた。

 ウェディングバンケットが始まる。ベリーがたっぷりと乗った生クリームたっぷりのウェディングケーキは、上品な雰囲気を醸し出している。見ているだけでも楽しかった。
 レイチェルは薄いパープルのシフォンドレスを身に纏い、本当に綺麗だ。男だったら、レイチェルをほってはおけないだろう。
「では、初めてではないかもしれないけれど、ふたりの共同作業をいってみようか! ケーキの入刀!」
 司会のリズミカルな音頭と共に、ケーキの入刀がなされる。
 美しくケーキにナイフが入れられると、アンジェリークは感動の余りに拍手をした。
「アンジェ…、俺に付き合え」
「い・や」
 理性と心と言うのは別物で、アンジェリークは素直になれずに否定する。だが、それで諦めるアリオスでは勿論無かった。
「行くぜ」
「えっ!?」
 アンジェリークが否定をする前に、アリオスは腕を強引に取ってくる。それが、どうあがいても逃げられないほどの強さだ。
「いいから、来いよ」
「あっ! えっ!? アリオスっ!」
 宴はまだたけなわになったばかりだと言うのに、アリオスは強引にも、アンジェリークを連れていく。どうしていいか解らず、ただアリオスに成されるがままだった。
 たどり着いたのは、庭園の奥にある小さな教会。旧いステンドグラスが、ロマンティックだ。
 アンジェリークは、神の前で再びアリオスと向かい合う恰好になる。
「神の前で誓うなんて俺らしくねえけれど、ちゃんと誓ったんだからな。あれは有効だ」
 アリオスは冷たい眼差しをアンジェリークに向け、冷ややかに話している。
「有効じゃないわ…。相手の同意がないと…」
 アンジェリークはアリオスに目を合わせないまま、小さく呟いた。
「心じゃそうは思っちゃいねえだろ」
「でも二年前に私に絶望を与えて、姿を見せなくなったのはどっち? どうして今更そんなことを言うの?」
 全く気まぐれにこんなことは出来ない。この二年間の切ない気分が、アンジェリークの胸に渦巻く。
「だってあんなことを言われたら…」
 アンジェリークは瞳から涙をぽろぽろと流しながら、アリオスをきゅっと見つめる。あの辛いシーンがリアルに蘇るのが辛い。
「俺は酷いことを言ったかもしれねえが、その後、ちゃんと聞いてねえおまえも悪いんだよ」
「悪いって…何を…?」
「俺は、おまえみてえな綺麗な躰の女を抱いて、汚ししてしまったんじゃねえかと、あんな言葉を出したんだよ。おまえはさらの女だったからな」
 心に小さな希望の炎が宿り、アンジェリークはそれをくすぶらせながら、もっと泣きそうになった。
「だったら誤解を解いてくれても良かったじゃない…」
「それは謝る。タイミングを逸してしまったんだよ。仕事がかなり忙し過ぎて、おまえに連絡しようとしたら、携帯変えちまってたしな」
 アンジェリークは唇を噛む。以前は奇跡と呼べるぐらいにタイミングが合っていたのに、この時だけはタイミングは合わなかった。
「時間は戻せねえが、時間の海は越えることが出来るだろ? 撤回しねえ、婚約はな。俺はおまえに会えなかった二年間は、女と関わっちゃいねえ。おまえも男がいなかったと聞いた。だから、これはチャンスだと思った。レイチェルたちには協力してもらった」
「----レイチェルたちは最初から知っていたんだ…」
「もちろん」
 見事にはめられた。いや、自らはまったのかも知れない。
「俺が後悔したのはただ一度だけだ。おまえを失ったことだけだ」
 アリオスの不思議な瞳が感慨深げに光った。まるで宝石のように輝く光に、アンジェリークは真実を見たような気になる。
「この手をもう一度取れよ。俺の望みはそれだけだ」
 アリオスの手が差し出される。
 ずっと望んでいた手。アンジェリークは深く深呼吸をすると、それを、空を飛ぶような気持ちで握った。
 柔らかく握ったはずなのに、アリオスの強い力で握りかえされる。
「----これでもう、おまえを捕らえて離さねえからな」
「----うん。覚悟して、私もアリオスから離れないから…!」
 アンジェリークはこの二年間で初めての素直な微笑みを浮かべる。もう何もいらないとばかりに、アリオスの胸に飛び込んだ。
 ようやく手に入れることが出来たお互い。
 抱き合って、自然と神の前で誓いのキスをする。

 いつかウェディングドレスでね-----
 
コメント

結婚式のシーズンに、書きたかったものです。





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