桜の花嫁

中編


 招待されている以上、アリオスがここに来ることは予想されていたことだと言うのに、アンジェリークは波立つ心を抑えきることが出来ない。
 顔色を無くしながら、僅かに口角を上げ、ひきつった笑みを浮かべた。
「アリオス…久しぶりね」
「ああ。確か二年ぶりなはずだ。俺の記憶が正しければな」
 皮肉げに唇を捩るのには、アリオスなりの複雑な感情が刻まれていた。
「そうね…。ここで会えて嬉しいわ。じゃあ、レイチェルが待っているから」
 アリオスに背中を向けながら、アンジェリークはスマートな大人の応対が出来たと、満足していた。これであの頃のような子供ではないと、アリオスに主張出来る。
 だが笑顔自体が引き攣り、落ち着きがなかったことを、アンジェリークはわざと気付かないふりをした。
「水を持ってきたよ」
「有り難う、アンジェ!」
 よくまあこっちまで零さずに済んだものだと自分に感心しながら、アンジェリークはレイチェルに水を渡す。
「アンジェ、どうかした? 何かあった?」
 顔色の微妙な変化ひとつで、レイチェルはすぐに気付いたようだった。
「アリオスに、逢ったの。今、そこで…」
 レイチェルは直ぐに眉を上げて、心配と複雑な怒りに顔を曇らせている。
「…そっか。あいつ何か言ってきた?」
「特に何も…。他人行儀名挨拶をしただけ。まあ、他人だけれどね。なんか素っ気ないね。私達はただそれだけだもの。それだけの関係…」
 アンジェリークは自分の声が余りにも淋しげに響くものだから驚き、表情を強張らせた。
 だが、レイチェルの晴の日にそんな表情なんて出来ない。務めて明るい笑顔を浮かべた。
「さてと、水をしっかり飲んで準備しよう! 今日は最高の瞬間なんだから、綺麗なレイチェルを、エルンストさんに見せなくちゃね!」
 レイチェルはアンジェリークに対してまだ複雑な顔を見せている。そんな顔をさせてはいけない。
 明るくニッコリとした笑みを浮かべると、アンジェリークはレイチェルを優しげに見る。
「花嫁さんがそんな顔をしちゃダメよ。もっと輝いた笑みを浮かべなくっちゃ! ね?」
 レイチェルをしっかりと抱きしめ、感謝の抱擁をする。アンジェリークは、自分のいたらなさに反省しながら、親友に心の奥底から、謝罪の言葉でいっぱいだった。

「レイチェルもとうとい人妻になっちゃうんだ」
「良い響きよね。なんかエロティックで! でもさ、結婚したってワタシはワタシ。何にも変わらないよ。いつも通りにいくし。それにこれは始まりだからね! これから、どんどん頑張っていかないといけないしねーっ!」
 レイチェルらしい明るく力強い言葉に、気持ちがほころぶ。
 確かに結婚は達成だとかゴールなんかじゃない。ただスタートラインに立てたに過ぎないのだ。アンジェリークはアリオスとスタートラインにすら立つことはなかった。夢を見ていても、達成出来なかったのだ。
 アンジェリークは今、特定の誰かとスタートラインに立つ約束をしてはいないが、アリオスはしていると風の噂で聞いた。
 アリオスは引きずることなどなく、ここまで頑張ることが出来たのだ。
 正直、アンジェリークは羨ましく感じていた。
 そして、ふとそれが自分であったら良かったのにと、しみったれた感情すら持ってしまっていた。
 そんなことを考えてはいけないと。アンジェリークは重々自分を窘める。
「花嫁さん、お時間ですよ!」
 付き添いをする式場担当者が呼びに来る。
「はい」
 レイチェルの返事をする声には匂い立つ美しさが滲み出ていた。
 背筋が綺麗に伸びて立ち上がる姿をひとつ取っても美しい。
 アンジェリークは、総てを忘れて、思わず見とれてしまっていた。
「独身最後のキスと抱擁は、アンジェにしたいよ」
「レイチェル!」
 有り難うとこれからも宜しくを込めて、ふたりは頬にキスをしあい、そしてしっかりと抱き合った。
「結婚してもずっとアンジェはワタシの大切なひとだからね!」
「有り難う!」
 しっかりと抱き合った後、いよいよ教会の入口までやってくる。レイチェルの父親は、既にスタンバイをしていた。
 アンジェリークはベール持ちの小さな子供の後ろについて、ゆっくりと歩いていく。
 お馴染みの結婚行進曲も、誇らしげで新鮮に聞こえた。
 笑顔でバージンロードを歩いて行くと、直ぐにアリオスが見つけられる。ベストマンである彼は、漆黒のスーツを身に纏って、憮然とエルンストの横で立っている。
 やはり、教会でのアリオスは素敵だ。モノトーンと神々しいステンドグラスから差し込む、祝福の光が似合っている。アンバランスなはずなのに、旧い名画のような光景を作り出していた。
 アンジェリークは動揺を飲み込んで笑顔で対処する。
 心臓が願ってもいないのに高まる。これは緊張のドキドキではなく、明らかにときめきだった。
 真っ直ぐ前を見ることが出来ない。まるで内気な中学生みたいに、はにかんで俯いてしまっている。
 アンジェリークは唇を噛み締めながら、幸せな空気に、自分が浮いてしまっているような気になった。
 いよいよ、父親からエルンストにレイチェルが渡される瞬間がやってくる。感動ね瞬間を見逃してしまうほど、アンジェリークはアリオスに気を取られていた。
 牧師の話が始まり、アンジェリークははっとして背筋を正す。レイチェルとエルンストの主役から三歩遅れたところで、ふたりはぎこちなく並んで立っていた。
 賛美歌が始まり、アンジェリークはぼんやりと歌う。意識は完全にアリオスにしかない。
 喉がからからになって何度も生唾を飲んでも治まらない。
 アンジェリークは少しナーバスになっている。
 牧師の説法が終わり、いよいよメインイベントである誓いの言葉が述べられる。
「この結婚に異義を唱える者は?」
 牧師が儀式を進行する中で、アリオスが指を絡めてきた。
 久しぶりの感覚に、アンジェリークは全身に火花が走るのを感じる。まだ、アリオスを忘れてはいないのだ。胸の奥が切なく熱くて、 声を上げたいのに、厳粛な儀式故に何も言えない。
「アンジェ」
 囁くようなアリオスの声が耳にすんなりと入ってきた。
「誓いの言葉の後に小さな声で誰にも聞こえないように、”はい”と言え。じゃねえと、ここでおまえに恥ずかしい思いをさせてやる」
「脅迫するの!?」
「ああ。俺はそんな男なんでな。残念だが」
 アンジェリークが睨みむっとした表情を浮かべているのに、アリオスは全く平気なようだ。
 横顔も相変わらず小生意気で、アンジェリークを苛立たせる。
「エルンスト、汝は、レイチェルを生涯の伴侶とし、病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで、愛し抜くことを誓いますか?」
「誓います」
「誓います」
 アリオスの声がエルンストに重なるが、アンジェリークに聞こえるのはアリオスのそれだけ。
 どういうつもりなのか、アンジェリークは解らずに、ただきょとんとアリオスを見た。
「アリオス、ひょっとしてレイチェルが好きなの!?」
「んなわけねえだろ」
 アリオスは不機嫌にさらりと返した。
「信じられない…」
「どっちが」
 アリオスとアンジェリークは小さな声で、何度か小競り合いをくりかえす。
 誰も知らない、ふたりだけの秘密のように。くすぐったいし、恥ずかしいのに、楽しかった。
「レイチェル、汝はエルンストを夫し、病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで愛し抜くことを誓いますか?」
「誓います」
「誓います」
 アンジェリークは素直な性格なので、つい真面目に言われた通りに答えてしまう。
「では指輪の交換を…」
「え…!?」
 エルンストがレイチェルにするように、アリオスもまたアンジェリークの指を手に取る。
 アンジェリークは物真似も大概にしてほしいと思いながら見ていると、アリオスはポケットから指輪を取り出して来たのだ。
「何をするの?」
「黙っていろ」
 アリオスがアンジェリークの左手薬指に、指輪をはめて来たのだ。
「あ、あの…アリオス?」
 アンジェリークは左手薬指を見ながら、どうしていいか解らず唖然とする。
「あ…、あの…」
「では、誓いのキスを…」
 戸惑うアンジェリークを尻目に、アリオスは腰を抱き寄せてくる。
 ここまで来ると、誰もが、ブライズメイドとベストマンの間に起こったことに興味を持ち始める。
 ざわつきたい気持ちを直前で堪えた参列客が、じっとこちらを伺っている。
 こんな冗談は止めよう。そう言おうとした瞬間、アリオスにキスをされた。
コメント

結婚式のシーズンに、書きたかったものです。





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