*愛しさを君に*

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 玄徳の怪我を軍医に詳しく診て貰うことになった。

 応急処置はしているが、やはり心配だ。

 それほど尚香の偽者の短剣使いは見事だった。

 玄徳が今までと同じように剣を握れるように。

 何処にも武将として致命的な怪我をしていませんように。

 花はそれだけを祈っていた。

 もし武将としての致命傷だったなら、後悔してもしきれない。

 診察の間、花は玄徳のすぐ近くにいた。

 傷口は見せたくないと玄徳が言ったので離れてはいたが、気が気でなかった。

 かなり不安だ。

 玄徳が深刻な怪我だと言われたら、本当に泣いてしまいそうだ。

 花は唇を噛む。

「軍師殿、随分とお顔の色が悪いが…大丈夫かね!?」

 軍医は、玄徳の傷よりも花のほうが心配だとばかりに見つめてくる。

「…あ、あのっ…。私のことよりも玄徳さんの怪我は…」

 花が泣きそうになりながら、縋るようなまなざしを軍医に向けると、微笑ましいてばかりの笑みを浮かべる。

「…大丈夫じゃよ。肝心なところは傷ついてはおらんかった。安心しなさい。傷が塞がったらまたいつも通りに動けるよ。安心しなさい」

 軍医は高らかに笑うと、花の肩をポンと叩いた。

 花は心臓が痛くなるぐらいに安心し、躰から力を抜く。

 ホッとする余り、その場で崩れ落ちてしまいそうだ。

 安心したからか今度は涙がポロポロと零れ落ちてしまう。

「困ったのお。大したことがなくても軍師どのは泣くのか」

 ニヤリと軍医が笑うと、そのまま医療器具を片付ける。

「手当ては終わった。軍師殿、玄徳様を頼みましたぞ。玄徳様、軍師殿を宜しくお願いしますぞ」

 “後は若いお二人で”のノリで、軍医は出て行ってしまった。

 ふたりきりになると、玄徳は花を小さな子供を見るような優しいまなざしで見つめてくれている。

 しょうがないと言わんばかりに。

「…花…」

 玄徳は名前を呼ぶと、花に手を伸ばした。

 痛々しく布で止血がされている。

「…花、泣かなくても構わないんだ…」

 玄徳は苦笑いを浮かべると、涙で濡れた花の頬をそっと指先で拭ってくれた。

「大丈夫だから泣かなくても」

 玄徳は優しく諭すように言うと、花をそっと抱き寄せてくれた。

「…あ…」

 玄徳に抱き寄せられると、甘いときめきが湧き上がり、幸せな緊張が訪れた。

「俺は大丈夫だ。だからもう無駄な心配はしなくても大丈夫だから」

「…はい…」

 玄徳は花を癒すように何度も背中を撫でてくれる。

 これではどちらが怪我人であるかはサッパリ分からない。

「落ち着くまでじっとしていれば良い」

「はい」

 こうして玄徳に抱き締められていると、安心出来る。

 力強く抱き締められたら、もうこのひとと離れたくて済むんだと強く感じた。

「俺は大丈夫だから。あの戦乱を生き抜いて来たんだから、あれぐらいは大丈夫だ」

 玄徳は頼もしくも落ち着いた声で言うと、花を抱き締め直す。

「…もう何処にも行くな。俺の前から消えるようなことは考えるな」

「…はい…」

 花は玄徳に愛されていることを実感しながら頷いた。

「…何処にも行きません…」

「…ああ。お前がいなくなったら…、俺はもう駄目だっただろうな…。有り難う…」

 玄徳は花の瞳を真摯に見つめて、呟く。

「…私こそ…守って下さって有り難うございます。玄徳さんに何かがあったら…、私こそ苦しくていられなかった…。有り難う…」

 このひとに守られている。

 だからこそ守りたいと花は思う。

「一生、お前を守り続けるから…」

「有り難う…。私も一生、玄徳さんを守りますね…」

「…花…」

 優しく名前を呼ばれたら、泣けてくるではないか。

 花はまた瞳から涙を零してしまう。

「全く…お前は泣き虫だな…。泣くのは、俺の前だけにしてくれ…」

「…はい…」

 玄徳は苦笑いを浮かべながら、花の頬に光る涙を指先でそっと拭った。

 なんて綺麗なのだろうか。

 自分の涙は綺麗じゃないのに、愛する玄徳に触れられた瞬間に、宝石へと変化する。

「…花…。お前を愛している…。仲謀殿には、俺にはたったひとり愛している女性がいるので、婚礼に関しては受け入れることは出来ないと伝えておいた。だが、同盟は盤石であると、それも伝えておいた…」

 玄徳はとびきりに甘い表情になると、花の頬を優しく撫でる。

「…少しでも…、お前が哀しむことはしたくはない。俺にはお前だけだ…。お前がいればそれで良い」

「…玄徳さん…」

 この世界では、名士が複数の妻を持つことは、まさに当たり前だというのに、玄徳はあえて花の考えを尊重してくれる。

 嬉しくてまた泣いてしまう。

 余りに花が泣いてばかりいるものだから、玄徳は困ってしまったように笑った。

「…お前は泣いてばかりだ…」

「だって本当に嬉しいんですよ…。嬉しくてしょうがないんですよ…」

 花は鼻を啜りながら、何とか笑顔になろうとする。

 だが喜びが込み上げてきて、また泣いてしまった。

「…花…」

 玄徳は名前を呼ぶと、唇に何度もキスをしてくれる。

 まるで花をあやすようにだ。

 玄徳のキスはとても不思議な力を持っていて、花を素敵に幸せな気分にしてくれる。

 何度もキスをしても足りない。

 だからもっともっとキスをする。

 ふたりは何度キスをしても足りないことを悟った。

「…花…」

 玄徳の声が艶やかにくぐもる。

 その魅惑的な声に、花は溺れてしまいそうになる。

 それぐらいにとても艶のある声だ。

「…お前を俺のものにしたい…」

 玄徳は掠れ気味の声で言うと、花のブラウスのボタンを器用に外していく。

 ふたつ、みっつ外され、そのまま手が入れられた時だった。

 不意に、扉が叩かれ、ふたりとも飛び上がってしまうぐらいに驚いた。

「玄徳様、報告に上がりました」

「し、師匠だっ」

 孔明の声に、花は慌てて離れる。

 いくら師匠にでも、この姿は見せられなかった。

 玄徳もまた離れがたく、苦笑いを浮かべていた。

 花は手早く乱れた着衣を整える。

 頭も躰も随分とぼんやりしている。

 なのに心臓は何度もバウンドを繰り返す。

 息が苦しくなるぐらいの甘さに満たされて、花は自分自身でどうして良いのかが分からなくなった。

 何とか震える指先で衣服を整えた後、深呼吸をする。

「玄徳様」

 孔明の声は何処かしらからかいが含まれている。

 恐らくはふたりがイチャついていたことを解っているのだろう。

 恥ずかしくて、扉を開け難いが、孔明が相手である以上は扉を開けないわけにはいかなかった。

 玄徳軍の最高の軍師なのだから。

 花が何度も深呼吸をする様子を、玄徳は横目で見ながら苦笑いをしている。

 花がようやく扉を開けると、ニヤニヤした孔明と目が合ってしまった。

「もう治療が終わったと聞いたが、玄徳様はいらっしゃる?」

「はい。いらっしゃいます」

「じゃあお邪魔するよ、お邪魔虫は」

 師匠は楽しんでいる。

 花は恥ずかしくてしょうがないと思いながら、孔明を部屋に通した。

 孔明は、仲謀への使者の手配や間者の始末など、真面目に一連の流れを報告していた。

 花が遠くで見ていると、時折、からかうように見つめてくるのが、恥ずかしかった。

 しょうがない。

 師匠には総てバレてしまっているのだから。

 報告が終わった後、孔明は花にそっと耳打ちをする。

「終わり良ければ総てよしだ。よくやった」

 孔明の兄のように優しい言葉に、花はごく自然に笑顔を零した。

 



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