前編
見つめていられるだけで、最初は幸せだと思っていた。 所詮、花は別世界からやってきた人間なのだ。 玄徳と結ばれることは奇蹟が起こらない限りは難しいと、花は思っていた。 玄徳を遠くで見られたら良い。 それだけで納得をして幸せだと思わなければならない。 それが恋をしてはいけないひとに恋をしてしまった自分への、重い十字架には違いなかった。 最近、玄徳は全く花に近付いて来なくなった。 本当に必要最低限なことでしか花とは接触をしないのだ。 以前のように甘酸っぱい時間を持つことは、出来なくなった。 当然だ。 玄徳は美しい女性と結婚してしまったのだから。 向こうから近付かないのであれば、こちらからあえて近付くことはないのだ。 そのほうが胸が痛む。 花はひとりでいることが多くなっている。 芙蓉姫が気遣ってよく相手をしてくれるが、恋人がいる以上はわがままは言えなかった。 それに、芙蓉姫が幸せであることは、花にとっても幸せなことだった。 玄徳には妻がいるし、軍師には孔明がいる。 花にはもう出る幕はないのだ。 花がひとりでいると、子供たちがやってきた。 「おねーちゃん!」 「みんな」 子供たちは笑顔で花に駆け寄ってくる。 その姿を見ていると、ホッとした気分になる。 子供たちといるだけで、陽向にいるような気持ちだ。 「おねーちゃん、一緒に遊ぼう!」 「うん。一緒に遊ぼうか」 花は思わず笑顔になる。 もう、子供たちと遊ぶことぐらいしか、やることはないのだ。 子供たちは無邪気に笑って騒いでいる。 その中にも入るのが花も楽しかった。 「ねえねえ、結婚式ごっこをしようよっ! 玄徳様と孫夫人の結婚式はとっても素敵だったからー」 玄徳と孫夫人。 そのふたりの名前を聞いただけで、花の心は粉々に砕かれたような痛みを感じた。 声を上げて泣けたら良いのに。 だが、子供たちの手前、それが出来なかった。 花は胸が痛くて、今直ぐ倒れてしまいそうなのを、何とか踏ん張った。 笑おうとはする。 だが上手く笑える筈もない。 孫夫人の花嫁姿は本当に綺麗だった。 子供たちが見れば憬れるのは当然だ。 花にとっては辛いことでしかなかった玄徳の結婚式。 しかし、何も知らない子供たちには夢のようなひとときだっただろう。 子供たちには何の罪はない。 憧れて当然だ。 玄徳に恋をするがゆえに、受け入れることも認めることも出来ない自分が、花は苦しかった。 「おねーちゃん…?」 花が押し黙っていると、子供たちが心配そうに顔を覗きこんできた。 そんな顔を子供たちにはさせてはならない。 なんて未熟なのだろうかと、花は思った。 こんなに未熟だから、玄徳に嫌われてしまったのだ。 「大丈夫だよ、大丈夫!」 花は子供たちに安心させるように、何とか笑顔を作った。 花の笑顔に、子供たちはひとまずは安心したようだ。 「誰が孫夫人の役をして、誰が玄徳さんの役をするの?」 花はなるべく優しく語りかける。 「俺! 俺が玄徳様!」 男の子たちは、憧れの玄徳の役をやりたがる。 しかし、女の子が主役の筈の結婚式ごっこなのに、孫夫人の役をしたがる子たちが少なくて、花は驚いてしまった。 「…皆、どうして手を挙げないの? 花嫁さんごっこは大好きでしょう?」 花が不思議で小首を傾げると、手を挙げなかった女の子たちが拗ねるような表情で、花から視線を外した。 「…じゃないから…」 「…え…?」 女の子が何を言っているのか分からなくて、花は思わず聞き返した。 「…だって…花お姉ちゃんじゃないから…」 女の子はいじけるように不満な声で呟いた。 花は涙が瞳の奥に溢れてくるのを感じる。 「…だって…花お姉ちゃんが玄徳様の特別だって、ずっと思っていたんだもん…。だって、花お姉ちゃん以外には、玄徳様と似合わないって…。玄徳様も花お姉ちゃんが大好きで、お似合いだと思っていたんだもんっ! 花お姉ちゃんと玄徳様の大好きなふたりが結婚するって、思ってたもんっ!!」 女の子は泣きながら花を見上げる。 たったひとりでも、花と玄徳が似合いだと思ってくれた女の子がいたことは、嬉しかった。 女の子の願いも、花の願いも、最早、叶うことはないのだ。 花は切ない想いに胸の奥が締め付けられるのを感じながら、何とかこのまま涙は堪えようと思った。 だが、女の子の言葉を聞いて、他の子供たちまでもがしょんぼりとする。 「…本当は…私だって玄徳様と花お姉ちゃんが良かったよ…」 「俺だって…」 「…僕も…」 そこにいる子供たちが、誰もがうなだれる。 子供たちに、結婚して欲しかったと思われるだけでも花だと思った。 「…母ちゃんが偉いひとは沢山の奥さんを持つことが出来るから、玄徳様とお姉ちゃんは結婚出来るって言ってた…」 だから結婚出来るよねと、子供は泣きそうになりながら服の裾を引っ張って貰った。 「…玄徳さんは私を好きじゃないから、結婚はしないよ…。それに私の故郷は、奥さんは一人しか持てないんだよ。だから私も、他に奥さんがいるひとは…嫌だな…」 花は自分自身に言い聞かせるように言うと、静かに微笑んだ。 「玄徳様がお姉ちゃんを嫌っているはずなんてないよっ!」 「ないよっ!」 子供たちは誰もが異口同音で言ってくれる。 それは嬉しいが、玄徳もあからさまなことは言わないし態度も取らないから、子供たちには解らないだろう。 「…それに…、私はもうすぐ自分の世界に帰っちゃうんだよ…。だから…、元々、結婚することは出来ないんだよ…」 花は子供たちに言い聞かせるような笑顔を向けたが、全くと言って良い程明るさはなかった。 「…そんなっ! 花おねーちゃんは帰っちゃうのっ!?」 「嫌だよっ!」 「嫌だっ!」 子供たちが口々に嫌だと言ってくれる。 花は嬉しくて、つい涙を零してしまう。 「お、お姉ちゃんっ!?」 花が泣き出してしまったものだから、子供たちがあたふたとしてしまった。 「ごめんね。嬉しかったんだよ…。みんなにそんな風に思って貰えて、ものすごく嬉しかったんだ…。みんな有り難う…」 花は笑おうとしたが、上手く笑えなかった。 「行かないでよ!」 「行かないで!」 誰もが口々に言ってくれる。 花は嬉しくて、子供たちをギュッと抱き締めた。 みんなのことは忘れないから。 心の中でそう囁くと、花は記憶に止どめるために、更に子供たちを抱き締めた。 もうすぐここを去らなければならない。 だから忘れられても良い。 ただたまに楽しかったと思い出してくれたら、花はそれで良かった。 玄徳が気分転換に子供たちが遊ぶ中庭に出ると、花は既にいなかった。 遠くでも良いから、花の姿を見ておきたかった。 だが、見られない。 本当は花に会いたい、花を見つめたい、なんて欲求は許されるものではないことは解っている。 花を避けているのは、紛れもなく玄徳自身なのだから。 民の為に今回の茶番に乗り、花すらも騙している。 そんな自分に会いたいと言う資格はない。 帰したくなくなるから会わないようにだなんて、子供以下だと玄徳は思った。 「玄徳様だー!」 子供たちがこちらに向かって駆けてくる。 あっという間に囲まれてしまった。 子供たちは全員、深刻な顔をしていて、玄徳はおかしいと思った。 「どうしたんだ?」 「ねえ! おねーちゃんが帰るってホント!?」 子供たちの言葉に、玄徳は心臓が止まりそうになった。 |