前編
公瑾と結婚をしてから、三か月が過ぎようとしている。 相変わらず花の旦那様はかなり忙しそうにしている。 やはり軍を預かるというのは、並大抵のことではないのだということを、花はつくづく感じていた。 少しでも愛する男性の助けをしてあげたい。 身も心も疲れ果てながらも、国や花をしっかりと守ってくれる大好きな男性。 特に花を全身全霊で守ってくれている。 言葉はなくてもその態度で分かる。 意地悪なことを言っても、その甘いまなざしで解る。 それはとても幸せなこと。 ここに来たからこそ、出会えたひと。 花は本に出会えたことを心から幸運だと思っていた。 花は、都督夫人としてまだまだ覚えなければならないことが山程ある。 漢字もそのひとつだ。 似たようなものがあるのは確かではあるが、それでも子どもよりもレベルが低い。 花は一生懸命勉強をして、早く、公瑾の役に立ちたいと思っていた。 そのためにも恥を忍んで、子供たちが参加する教室へと通っている。 今日の授業も終わり、花は子供たちと一緒に話して遊ぶ。 これが楽しみのひとつだ。 「花様と話をしているととっても楽しいです。都督夫人だから、物凄く大人で近寄りがたい方だと思っていたのに、実際にはそのようなことは全くなくて、楽しい方で良かったです」 「有り難う。私もあなたたちがとても良い子たちで嬉しいよ」 子供たちとお菓子を食べながら色々と話をするのが楽しい。 こうして楽しいと思うのは、自分がまだまだ子供だからだろうと花は思う。 公瑾が色々と根回しをしてくれているからこそ、ここでの暮らしが楽しく感じている。 公瑾には本当に感謝していた。 「花様は外国から来られたんですよね? 寂しくない?」 子供のひとりが心配そうに花を見つめてくる。 「心配してくれて有り難う。両親や弟、友達のことを思うと、寂しく思うことはあるけれど…、だけどここの暮らしがとても楽しいから、あんまり気にならないかな?」 花が素直な気持ちを話すと、ひとりの子供がからかうようなまなざしを花に向けて来る。 「それは公瑾様とご一緒だからですか?」 「あー! 絶望そうだー! 都督様と一緒だからだー」 子供たちが余りにも囃立てるものだから、花は恥ずかしくて堪らなくなる。 「あ、あの…、それは…」 花は真っ赤になってしどろもどろになる。 公瑾がいるから寂しくない。 確かにそうだから、花は余計に恥ずかしくなった。 「やっぱり花様と公瑾様は好き好き同士だからだよねー。羨ましいなあ。私も公瑾様のような優しくて素敵な旦那様が欲しいなあ」 子供たちのひとりが、本当にうっとりするように言う。 確かに傍から見れば、公瑾は最高の旦那様だ。 花から見たらもっともっと最高に映っているのだが。 優しいだけでなく、頼り甲斐があって、冷静沈着な大人なのに、花にだけは意地悪で、可愛いところもある。 誰も知らない、花だけが知っている秘密だ。 そんなことを考えると、つい顔がニヤけてしまう。 「ね、花様、今、公瑾様のことを考えたでしょー!」 「でしょー!」 「だって、顔がニヤけているんだもんー!」 子供たちに囃立てられて、花は益々立場がなくなる。 花は苦笑いをするしかなかった。 仕事も一段落ついて、公瑾は花の顔が見たくなった。 今日は勉強のために、良家の子供たちが通っている学問所に来ているはずだ。 公瑾は様子だけでも見に行こうと思い、訪ねてみることにした。 仲謀にからかわれるのは解っていたが、花の笑顔を見たいのだからしょうがなかった。 正直言って、そのほうがずっと仕事の効率が上がるのだ。 公瑾が学問所の前を通り掛かると、何やら騒がしかった。 花と子供たちだろう。 都督夫人がこんなにも落ち着きがないというのは、やはり頭が痛い。 それが花らしいと言えば、そうかもしれないのだが。 相変わらず子供たちと笑顔で騒いでいる。 しょうがない女性だと思いながらも、つい笑顔が滲んでしまう。 「これは公瑾様」 学問所の年老いた教師が、ニコニコと笑ってこちらに近付いてきた。 「申し訳ありません、先生…」 公瑾が形だけでも謝罪を入れると、教師は頭を横に振る。 「構わん。花様なおかげで、子供たちはとても楽しく、かつ効率良く学んでいるのです。花様には感謝しなければならん。花様が来るまでは、子供たちには子供特有の無邪気さが欠けておった。感情やひとのことを考えることに欠落していたのかもしれん…。しかし、花様のお陰で、あのように子供らしい感情を取り戻すことが出来た。それには感謝しております。本当に有り難い…」 教師は本当に嬉しそうに、白くなった髭に触れながら微笑んでいる。 かつては公瑾もこのひとの元で学問を修めた。 とても厳しいひとであったことを、今でも忘れない。 そのひとがこれほどまでに花を褒めている。 花は素晴らしいと、公瑾は内心、妻馬鹿ぶりを発揮していた。 「子供たちは授業の時は今までと同じようにきちんと聞いております。メリハリをつけること、けじめをつけることは、とても大切なことじゃからの。それを花様が教えているのだよ」 「そうですね」 公瑾はフッと優しい笑みを瞳に滲ませながら、花を見つめる。 それだけで心に温かなものがじんわりと滲んできた。 「花様は誠に子供たちの扱いが上手い」 「まだ子供のところもあるからでしょう」 公瑾は冷静に言うように努める。 「いや、それだけではない。きっと良い母親になられることであろう」 教師は何度も頷きながら、花を見つめている。 「まだまだ子供ですよ」 公瑾の視線に気付いたのか、花がこちらに華やいで瞳を向けて、頬を赤らめながら見つめてくれている。 なんて綺麗で可愛いのだろうか。 「あ! 公瑾様!」 子供たちが公瑾の姿を見るだけで、かなり盛り上がっている。 花はからかわれるようなまなざしを向けられているのが恥ずかしいらしく、真っ赤になっている。 その姿を見ているだけで、公瑾は癒されるような気持ちになった。 本当に花は可愛い。 見つめているだけで癒される。 それをつい素直に表現出来ないことが多いのだが。 「花、この後もまだやらなければならないことがありますから、この辺りで失礼してはいかがですか?」 「はい」 花が返事をすると、子供たちは更に盛り上がる。 「花様を公瑾様が迎えにきたー! やっぱりお二人は好き好き同士なんだー」 子供たちがまた無邪気にもはやしたててくる。 公瑾は穏やかに微笑みながらも、こめかみに血管が浮き上がっている。 「では皆さん、また、花と一緒に勉強をして下さい。花、行きますよ」 「はい。では、みんな、またね」 「はーい! 花様!」 子供たちは花にすっかり懐いているようで、何度も手を振っていた。 学問所を出るなり、公瑾が機嫌が悪いのを感じた。 「花、あなたももう少し都督夫人だという立場を考えて行動して下さい。全く…子供と一緒になって騒ぎ立てるとはどういうことですか」 公瑾は、相変わらず意地悪に怒る。 だがそこには不器用な愛情が滲んでいることは、花には充分過ぎるぐらいに解っていた。 ふと躰がふらふらする。 疲れているのかもしれない。 「公瑾さん…、うちに戻っても構わないでしょうか…? 少し気分が…」 そこまで言ったところで、花は意識を飛ばす。 優しい闇が訪れた。 |