後編
公瑾は慌てて花を抱き上げると、そのまま執務室に戻る。 執務室には仮眠が出来る場所があるから、そこに花を寝かした。 直ぐに医者の手配をする。 心配し過ぎて苛々してしまう。 「…全くあなたは…、無理をしないようにとあれほど言っておいたのに…!」 公瑾は悪態を吐きながら、胸が千切れそうなぐらいに痛むのを感じる。 「…花…」 顔を覗き込むと、驚くほどに白い。なのに頬はほのかに薔薇色だった。 公瑾は花の手をギュッと握り締めて、早く目覚めるように祈る。 今はそうするしかない。 公瑾が切なくて苦しくて、堪らなくなる。 医師はまだ来ないのだろうか。 本当に苛々する。 花が絡むと全く冷静ではいられなかった。 これ以上医師が来なければ、怒鳴りにいく。 公瑾が立ち上がろうとした時だった。 「…ん…」 花の瞼が揺れて、ゆっくりと目が開かれていく。 「花…!?」 ゆっくりと瞳を開く花はなんて綺麗なのかと、不謹慎にもつい見惚れてしまう。 「…花…」 「…公瑾さん…」 夢見がちに名前を呼ばれると、甘い想いで心が掻き乱される。 「…あなたにあれほど無理をするなと言ったではありませんか…! それなのにあなたは!」 公瑾が論旨をいきり立たせながら言うと、花はしょんぼりとした表情になる。 「…ごめんなさい…」 「ごめんなさいで済む問題ではありませんよ…」 公瑾は呆れるように溜め息を吐いた後、花の柔らかくて華奢な躰を抱き締めた。 「…私の前では無理をしなくても良いから…」 「…公瑾さん…」 意地悪なことも言うのに、本当はとても優しい。 自分にだけ感情をむき出しにしているのが解っているから、花はそれはそれで嬉しいことだった。 「公瑾さん…私…無理はしていないですよ。本当に…。急に気持ち悪くなったり、眠くなったり、怠かったりするんだけれど、大丈夫ですよ。波があるんですね…」 「花…」 公瑾は花を更にギュッと抱き締めると、その背中を優しく撫でてくれる。 「…花、それを無理をしていると言うんです…。全くあなたは…。学習することが出来ないのですか?」 公瑾は呆れ果てたとばかりに溜め息を吐いてくる。 花は公瑾の胸に甘えるように顔を埋めた。 「心配して下さって有り難う…」 「花…」 花がにっこりと笑うと、公瑾は優しく微笑む。 「…しょうがないひとですね。あなたは…」 公瑾が甘いまなざしで見つめてくれるから、花は気分の悪さなどは吹き飛ばすことが出来た。 「気分はましですか?」 「はい。公瑾さんに治して頂きましたから」 花が笑顔で答えれば、公瑾は優しくも困ったような笑みを浮かべた。 「全く…困ったひとですよ。あなたは…」 呆れるようにわざと言いながらも、公瑾は笑みを滲ませる。 そのまま唇が柔らかく重なった。 キスをすれば、更に気分が良くなる。 公瑾のキスは花を幸せにしてくれた。 不意に扉が叩かれる。 「公瑾殿参りました」 公瑾は唇をゆっくりと離すと、対外向けの笑みを宿して扉に視線を向ける。 「ああ、先生。お待ち下さい」 公瑾はもう普段通りになっている。 花なんてキスの余韻でまだドキドキしているというのに。 そこは百戦錬磨の都督なのだろう。 「先生、わざわざお越し頂きまして有り難うございます。妻は寝ています。こちらへ」 “妻”と呼ばれると、まだまだくすぐったい。 公瑾の妻であることは、誰もが認めてくれている事実ではあるのだが。 「…花殿、お加減はいかがですかな?」 「…はい。今はもう大丈夫なんですが、気分にかなりの波があるんです…。先ほどは貧血のような表情で倒れてしまったんですけれど…、最近は、吐き気があったり…、後は怠かったり、眠かったりします…」 「ほう…」 医師は何度も頷きながら、花をじっと見つめる。 花の病状を分析しているように見えた。 「…花殿、つかぬことが伺うが…、月のものはあるのかね?」 医師がストレートに訊いてくるものだから、花は真っ赤になっておののいた。 医師が言うように、確かに来てはいない。 ここのところ。 ちらりと公瑾を見ると、少しばかり苛々しているように見える。 妻が困っているのが、嫌なのであろう。 だがここは、花はきちんと診断をして貰うために、素直に言うことにした。 「…ありません…」 医師は深く頷くと、病名が解ったかのように花を見た。 「…花殿」 名前を呼ばれて、一瞬、取り返しの付かない病気なのではないかと思う。 「…はい」 背中が嫌な旋律で震えた時だった。 「花殿、ご懐妊じゃ」 にっこりと医師が微笑み、花は驚いてしまった。 確かに夫婦なのだから、子供が出来てもおかしくはない。 赤ちゃん。 花は一瞬、驚いてしまったが、直ぐに喜びが滲んでくるのを感じた。 幸せが心の中に沢山湧き出してくる。 こんなにも幸せなことは他にはない。 ちらりと公瑾を見ると、ほんの一瞬ではあるが、驚いているようだった。 だが、直ぐに穏やかな表情になる。 「…病気ではないからの。ただ、まだまだ無理は禁物だからのお。都督殿もそのあたりを気をつけてあげて下さい」 「有り難うございます。気をつけます」 公瑾は、いつもと同じ笑みを医師に向けて平常心を保っている。 嬉しくはないのだろうかと、花はほんの少しだけではあるが不安になった。 「とにかく花殿、余り無理はしないようにの。特に今は大切な時期であるから、お腹の子供を大切にするんじゃ…」 「有り難うございます…」 花は医師に微笑むと、頷いてみせた。 「では儂はこれで」 「有り難うございました」 公瑾は、医師を入口まで送っていく。 「花殿は、まだまだ大切な時期じゃ。赤ん坊のためにも気をつけてやりなさい」 「はい」 「赤ん坊!?」 「花ちゃんに赤ちゃんが出来たんだ!」 どこからともなく大小のふたりがひょっこりと顔を出してきた。 「大喬殿小喬殿!」 「みんなに知らせなきゃー」 「知らせなきゃー」 大小のふたりがキャッキャッと騒ぎながら言ってしまう。 三十分もしたら、全員に知れ渡っているに違いない。 公瑾は溜め息を吐くしかなかった。 扉を閉めて、公瑾は花のところに戻ってきてくれる。 「…やれやれ…」 公瑾の溜め息に、花はくすりと笑う。 「花、これからは少しでも無理をしたら叱りますからね。気分が悪いからと隠し立ては駄目ですからね。花、勉強も少しゆっくりとやったほうが良いかもしれないですね」 「大丈夫ですよ。勉強ぐらいはいつも通りに出来ますから…」 「…ったく、あなたというひとは…。呆れ果てるというか…。もうおひとりの躰ではないんですから…。大切な跡継ぎと一緒なんですから、何かあったら困りますからね」 「大袈裟ですよ。公瑾さんは過保護すぎますよ」 「それぐらいでちょうど良いんです」 公瑾は、花と子供のどちらも守るように、ギュッと花の躰を抱き締める。 花はその抱擁の優しさに酔っ払ってしまいそうになる。公瑾は花を真摯なまなざしで見つめた後、深々とキスをした。 キスの後、公瑾は優しい瞳を向けてくれる。 「…守ります…。全力をかけて…。あなたも子供も…」 「有り難うございます」 花はにっこりと微笑むと、逆に公瑾を抱き締め直した。 「私も赤ちゃんも、いつも公瑾さんを守っていますから」 「有り難う花…」 公瑾はフッと柔らかな笑みを浮かべると、もう一度しっかりと抱き締めてくれた。 「そろそろ大小殿たちがみんなをひきつれてやってくる。覚悟しなければね」 「そうですね」 ふたりは顔を見合わすと、幸せな気分で微笑みあった。 |