*幸せ時間*

前編


 孟徳と結婚をしてから、三か月が過ぎようとしている。

 相変わらず花の旦那様はかなり忙しそうにしている。

 やはり民と国を預かるというのは、並大抵のことではないのだということを、花はつくづく感じていた。

 少しでも愛する男性の助けをしてあげたい。

 身も心も疲れ果てながらも、民や花をしっかりと守ってくれる大好きな男性。

 特に花を全身全霊で守ってくれている。

 甘い言葉と優しいまなざしで分かる。

 とても幸せなこと。

 ここに来たからこそ、出会えたひと。

 花は本に出会えたことを心から幸運だと思っていた。

 丞相夫人が、字も読めないなんてことは、どうしても避けなければならない。

 花はそのために、少しずつではあるが、この国の文字を覚え始めている。

 子供たちと同じレベルであるから、その教室に入れてくれと頼んだのだが、結局は、個人レッスンとなった。

 かなり年老いたおじいちゃん先生と、和気藹々と勉強をしているが、たまに先生が文若に代わることがあるため、気が抜けない。

 今日は、穏やかな先生とふたりで、お茶を飲みながら、のんびりと勉強をする。

「随分と理解されるようになりましたな」

「有り難うございます。もっと勉強をして、孟徳さんが作る詩を理解出来るようになりたいんです」

「ああ。孟徳様の詩は見事だ。丞相よりも詩人が向いているような気がするのぉ。しかし、時代のうねりがそれを許してはくれないのだろうがな…」

 教師は唸るように言うと、残念そうに溜め息を吐いた。

「そうですね…。国が孟徳さんを必要としていますから」

「確かにのお…」

 老教師は何度も頷きながら、全くだと呟いた。

「孟徳さんが作られる詞の意味が解ったら、本当に楽しいって思っているんです」

「そうじゃな。そのためにも頑張らなければならないの」

「はい」

 教師は楽しげに豪快な笑みを浮かべると、花を見た。

「あなたのことじゃ、直ぐに覚えて使いこなせるようになる」

「そうなると良いのですけれど…。文若さんには、いつも呆れられていますから」

「はは、文若殿は、殊更、花様には厳しいようじゃからなあ。まあ、あれも愛情だ」

「そうですね。そう思っています」

「ああ。私と文若殿でちょうどバランスが取れていると、丞相はお思いになっておられるじゃろうな…」

「確かにそうかもしれないですね」

「では、もう少し頑張りましょうか」

「はい、お願いします」

 教師は花の言葉に頷くと、授業を再開した。

 授業が終わる頃、扉を叩く音がして、花は顔を上げた。

「花、勉強は捗っているかな?」

「孟徳さん!」

 花は姿を見るだけで嬉しくて、つい笑顔になってしまう。

 孟徳には今朝、逢ったばかりなのに、こうして逢えるのは嬉しい。

 一緒になったから毎日逢ってはいるけれども、こうして隙間時間に逢えるのは嬉しい限りだった。

「授業はもう終わりですぞ。本日も頑張られましたよ」

 教師は満足げに言うと、立ち上がる。

「じゃあ花、少しお茶でもいかがかな? 俺も休憩をしようと思っていたところなんだ」

「有り難う」

 花は幸せな気分で笑顔で言うと、立ち上がった。

「先生、今日も有り難うございました。お陰様で楽しく過ごせました」

「いいえ、こちらこそ有り難う」

「次回も宜しくお願いします」

「はい。次の回は文若殿だ。私はその後」

 次はスパルタの文若だと思うだけで、花は苦笑いを浮かべた。

 次回はバトルのような授業になりそうだ。

「ではまた、花様。丞相も」

「では、また宜しくお願いします」

 孟徳はさり気なく花の手を握り締めてくれると、ゆっくりと部屋を出た。

「授業は楽しい? 花」

「はい、楽しいです。少しずつでも勉強が進むのが嬉しいです」

「それは良かった」

「元の世界にいた頃は、勉強なんて余り好きではなかったんですが、くちらに来て好きになれました。やっぱり目的があると違うんですね」

「確かにそうかもしれないね」

 孟徳は頷くと、花を執務室に招く。

「どうぞ。君とお茶を飲むのが、何よりもの気分転換になるからね」

「私も孟徳さんとお茶をするのが、本当に楽しいですよ」

「それは良かった」

 孟徳と花が中に入ると、程なく花茶が運ばれてくる。

「頭を使う仕事には甘いものが必要だって、君は言っていたよね? だから甘い菓子を用意させたよ」

「有り難うございます」

「ああ。とっておきの甘い菓子だよ。一緒に楽しもう」

「はい」

 孟徳が出してくれた菓子は、素朴な蒸しパンのようなものだった。

 フワッとして美味しい。

 お茶と一緒に出されて、花は嬉しくて笑顔になった。

 一口食べてみた。

 甘い蒸しパンのようなお菓子のはずなのに、何だか違う味がする。

 花は小首を傾げた。

 味を上手く感じられない。

 そんなことは今までなかったというのに。

 まさか孟徳が奇妙な味がするお菓子を渡してくるはずなんてないのに。

 花は小首を更に傾げた。

「どうしたの花? 何か変なの?」

「変というか…、上手く味が感じられないというか…」

「美味しいけれど…」

 孟徳は不思議そうにした後、念の為にと花のお菓子を一口取って食べた。

「…同じ味だよ」

「本当に?」

 今度は花が孟徳のお菓子を手にした。

 同じように食べてみたが、やはり先ほどと同じように味が感じられない。

「…やっぱり感じられない…です…」

 花はしょんぼりとした気持ちになりながら俯いた。

「うーん、花、体調が悪いってことはないかな?」

「それはないような…あるような…。よく分からないんです…」

「そうか…」

 玄徳は益々顔をしかめる。

 孟徳は直ぐに控えの前にいる者を呼び付ける。

「すまないが、先生を呼んできてくれないか?」

「はい、かしこまりました」

 直ぐにお着きの者が行ってしまい、花は孟徳を見た。

「念の為に、先生に診せたほうが良いと思ってね」

「孟徳さん、大袈裟ですよ」

 花が苦笑いをするが、孟徳はかなり心配そうにこちらを見ていた。

「きちんと診せたほうが良いよ、花。何でもないならないで構わないから…」

 孟徳が余りにも心配そうな顔をするものだから、花は受け入れるしかないと思った。

「…分りました。お医者様に診て頂きます」

「ああ、そうしてくれ」

 孟徳がこれほどまでに心配をしてくれているから、花はそれを受け入れるしかないと思った。

 大切にされている。

 それだけで有り難くて嬉しかった。

 程なくして医師がやってきた。

 花にとってはお馴染みの軍医だ。

「さて、花様…、味覚がおかしいと伺いましたが…、だるさとか吐き気はありませんかな? 後は異様に眠いとか…」

「…そういえば…、眠くてだるいのは確かです。しっかりと眠っているのに、どうしてかなあって思って…。吐き気は時々…」

「そうですか…。まあ、だいたい分かりましたよ…」

 そんな問診だけで分かるものなのだろうか。

 花は不思議に思いながら、小首を傾げた。

「…おい、問診だけで分かるものなのか?」

 孟徳も同じ疑問を感じたのか、医師に訊いている。

「そうですなあ、今回に限っては問診でだいたいのことは分かりましたよ」

 医師は優しい声で言うと、孟徳と花を交互に見つめた。

「恐らくとは思いますが、花様、ご懐妊ではありませんかな?」

 医師の指摘に花はハッとする。

 確かに月のものは来ていないし、医師が指摘する症状が出ている。

 赤ちゃん。

 これ以上素晴らしいことはないと思わずにはいられなかった。



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