*新しい命*

前編


 いよいよ月子も臨月を迎えた。

 出産がもうすぐだと知らせる『お印』があり、いつ産まれてもおかしくないからか、一樹はかなりそわそわしている。

 ふたりにとっては初めての子供だからということもある。

 月子は、早く子供に逢いたいと思いながら、産まれるのを待っている。

「月子、大丈夫か? 陣痛が起きたら必ず連絡するんだぞ。訴訟の最中でも駆け付けるからな」

「有り難う、一樹さん。だけど仕事はきちんと終えて下さいね」

 月子が笑顔で釘を指すと、一樹は困ったような顔をした。

「解った。お前が言うなら、きちんと仕事は終わらせてくる」

「はい」

 月子も一樹が仕事をほったらかして病院に駆け付けるわけではないことぐらいは解っている。

 だからこそ、笑顔で大丈夫だと安心させるために言ったのだ。

 一樹は、臨月になり大きく突き出た月子のお腹に優しく手を宛てる。

「お父さんがお前の出産に立ち会えるように、産まれる時間を考えてくれよ」

 一樹の言葉を聞いたかのように、子供が月子のお腹を蹴飛ばした。

「動いたな!」

「動きました。きっとお父さんの願いを叶えてくれますよ」

 月子は笑顔で呟くと、一樹を真っ直ぐ見つめた。

「いってらっしゃい、一樹さん」

「ああ。行って来る」

 月子は一樹を見送った後、幸せな溜め息をひとつだけ浮かべた。

 愛するひととの初めての赤ちゃん。

 月子はそれが嬉しくて、つい目を細めてしまう。

 月子は、子供部屋になる予定の部屋へと入る。

 既にいつ子供が産まれても大丈夫なように、部屋は準備が整っている。

 ベビーベッドに、赤ちゃん用のメリーゴーランド、ぬいぐるみに、衣服。

 衣服は一樹と一緒に選んだものだが、不思議と男の子のものが多い。

 恐らくは男の子が産まれると、一樹は感じたのだろう。

 颯斗のCDまできちんと完備されていて、準備は整っている。

 月子はこんな部屋ですくすくと暮らすわが子がとても羨ましいと思っていた。

「早く、ここで一緒に生活をしようね。お父さんもお母さんも楽しみにしているからね」

 月子が満たされた気分で呟くと、不意にお腹が痛くなった。

 これが噂に聞く『陣痛』というものなのだろう。

 月子は何だか緊張してドキドキするのを感じる。

 ドキドキし過ぎて、月子は何だか喉がからからになるのではないかと思った。

 いつもの甘い緊張とはまた異なった緊張。

 それは親になるための自覚と緊張だ。

 それにずっと待望んでいたことではあるのだけれど、出産はやはり緊張してしまう。

 ある意味、命を懸けて愛を産むのだから。

 月子は、何度か深呼吸をした後、早速、かかりつけの産婦人科へと電話をした。

 既に入院の準備はしてあるから、後は病院に行くだけなのだ。

 電話を掛けると、直ぐに医者が指示をしてくれた。

 陣痛は始まっても出産には少し時間があるから、先ずはきちんとお風呂に入ってから病院に来るようにと言われて、月子はその通りにした。

 マニュアル通りに、お風呂に入って、髪を乾かしている間にタクシーを呼んだ。

 支度を終えて、戸締まりを確認した後で、家族に連絡を入れた。

 勿論、一樹に真っ先に連絡をしておく。

 一樹は恐らくは携帯電話の電源は切っているだろうから、月子はメールでメッセージを残しておいた。

 実家にも不知火神社にも連絡をして、月子はホッとした。

 後は、病院に行き、出産に備えるだけだ。

 月子は緊張の面持ちで病院へと向かう。

 そばに愛する人はいないけれど、何とか頑張れるような気がする。

 不安だけれども、月子は出来る限りのことをやろうと思っていた。

 病院に到着すると、直ぐに病室へと入った。

 病室には定期的に看護師が見に来てくれる。

「不知火さん、陣痛の感覚をはかっておいて下さいね。分娩室に行く目安になりますからね」

「はい」

 家族はまだ着かないから、月子は自分で感覚を測っていた。

 体力勝負だからと、合間に食事をしたり、元生徒会メンバーや幼馴染みにもうすぐ産まれると連絡をしたりする。

 月子は意外に冷静に立ち回る自分に驚いてしまう。

 やはり親になるということは、こういうことなのだろうかと思った。

 月子がベッドの上で落ち着いていると、驚いたのは月子の両親や、一樹の伯父さんだった。

「随分と落ち着いているんだね。私たちのほうがあたふたしているかもしれないね」

 一樹の伯父が感心するかのように言って、月子を見た。

「私も赤ちゃんのために頑張ろうって、これから親になるんだって思うだけで、ごく自然に落ち着きました。不安なこともありますが、何とかなりそうです。一樹さんもお仕事をしっかり頑張ってから、こちらに来てくれますから。それまでは自分の力で、精一杯頑張ろうと思います」

 月子は自分が思っていることを素直に言うと、伯父たちは感心していた。

 ふと、携帯電話が鳴り響いた。

  一樹だ。

 月子が携帯電話に出ると、一樹がいきなり話して来た。

 一樹らし過ぎる。

 月子はついくすりと笑ってしまった。

「大丈夫か!?」

「一樹さん、大丈夫だよ」

「とーちゃんはなあ本当に心配で! 今から直ぐに行くからな」

「大丈夫だよ、一樹さん。文字通り本当に“とーちゃん”になりますね、もうすぐ。ちゃんと仕事は終わりましたか?」

「ああ、終わった……」

「だったら気をつけて来て下さいね。後、立ち会えるようですから」

「ああ、有り難う」

 一樹は月子が余りにも冷静に話すからか、徐々に冷静さを取り戻してきた。

 月子もこれにはホッとする。

「お前、落ち着いているな」

「それは“母は強し”ですからね」

「それはそうだ」

 一樹はいつもの落ち着きを取り戻す。

「じゃあ、行くからな。待っていてくれ」

「はい。お待ちしていますから」

 月子は甘い笑みを浮かべながら呟くと、静かに電話を切った。

 もうすぐ愛するひとがやってくる。

 だから頑張れる。

 月子は決意を秘めると、前を見つめた。

 陣痛の感覚が少しずつ短くなる。

 月子は痛みに堪えながら、一樹を待ち続けた。

 やはり、一樹がいるからこそ、子供がいるからこそ、この痛みに堪えられるのではないかと、月子は思う。

「不知火さん、そろそろ陣痛間隔が短くなって来ましたね。分娩室に行きましょうか」

 助産師がやってきて的確な判断をしてくれ、直ぐに月子を分娩室へと連れていく準備をする。

 月子がストレッチャーに乗せられたタイミングで、息を乱しながら、ネクタイを乱しながら、一樹が慌ててやってきた。

「月子!! 大丈夫か!?」

 一樹の派手な登場に、誰もがつい微笑んでしまう。

「ご主人は素晴らしいタイミングで来られましたね」

 助産師はにっこりと微笑みながら言うと、月子を見た。

「良かったですね。これで頑張れますね」

 助産師の言葉に、月子も元気いっぱいに頷いた。

「ご主人が立ち会えるタイミングになったらお知らせしますから、準備をお願いします」

「解りました」

 一樹は神妙に頷いた後、月子の手をしっかりと握り締める。

 その力強さに、痛みすら忘れてしまう。

「頑張れるよ」

「はい、頑張れます」

 こうして一樹がそばにいてくれるからこそ、頑張ることが出来る。

 そう思いながら、月子は分娩室へと向かう。

 分娩室までは、一樹がしっかりと手を繋いで着いてきてくれた。

 頑張れる。

 大好きなひとがそばにいるから。

 月子は力が漲ってくるのを感じていた。






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