後編
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神聖な場所に入るので、白衣に着替えて、消毒をする。 月子が苦しんでいるのだから、そばにいて少しでも痛みが和らげるようにしたかった。 頭にはきちんと帽子を被ってマスクもする。 これでようやく分娩室に入れるのだ。 看護師に案内をされて分娩室に入ると、月子が既に頑張っていた。 「ご主人、こちらです」 「はい。有り難うございます」 一樹は直ぐに月子に近付いてしっかりと手を握り締める。 解っていた。 ずっとこの日が来ることを。 最高に幸福な1日になるということを。 月子は安産だ。 それは間違ない。 「大丈夫だ。後少しだからな」 「はいっ……!」 月子は苦しげに、だが幸せそうに呟く。 「……んっ……」 「そう、呼吸を整えて。ひーひーふー」 助産師の声に従って月子はバーを持ちながら頑張っている。 一樹は滅菌されたタオルで、月子の汗をしっかりと拭ってやった。 「月子……、頑張れよ」 月子は一樹の手を思い切り握り締めた。 その途端、一樹は新しい命がやってくるのを確信する。 月子が力を入れる。 その瞬間、新しい命を伝える鳴き声が響き渡った。 一樹は声を聞きながら、嬉しくて涙が零れてしまいそうになった。 月子と自分の子供なのだ。 こんなにも嬉しいことはない。 産婦人科医師が赤ん坊を取り上げてくれる。 「どうぞお母さん。赤ちゃんですよ。男の子」 「有り難うございます……」 わが子が自分の手の中にある。 月子はそれが嬉しくて堪らないようで、しっかりとわが子を抱き締めた。 月子に寄り添いながら、一樹はわが子を見つめる。 まだまだ小さくて、可愛い。 顔が産まれたばかりでクシャクシャで、どちらに似ているかは解らない。 だが、月子に似ているようにも、自分に似ているようにもどちらにも思えた。 一樹はつい目を細めて見つめてしまう。 「可愛い……。一樹さんに似ているような気がします」 「……お前にも似ているぜ」 「はい」 ふたりでいつものように甘い雰囲気で話をしていると、助産師が微笑ましいとばかりに温かな笑みを浮かべた。 「では赤ちゃんに白湯を飲ませて、産湯で洗いますからね」 「はい」 助産師は産まれたばかりの子供に白湯を飲ませた後、直ぐに産湯で綺麗にしてくれた。 「さて、お父さんは着替えて頂いて、一旦、外でお待ち下さいね。お母さんと赤ちゃんはもう少しかかりますからね」 「はい」 一樹は名残惜しい気分で月子を見つめる。 「月子、有り難うな。俺はとても幸せだ」 一樹は愛する月子の瞼にキスをした後、微笑んだ。 一樹は服に着替えた後、月子が分娩室から出て来るのを待った。 一樹が待合コーナーに来ると、月子と一樹の家族が今かと待ち構えていた。 「無事に産まれました。男の子」 そう言った瞬間、待合コーナーにいる家族に安堵の表情が浮かんだ。 「良かったわ!」 「不知火家の跡継ぎか!」 月子の両親と一樹の親代りである伯父夫妻は、手放しで喜んでいた。 その姿を見つめると、一樹もつい笑顔になってしまう。 「皆さん、男の子ですよ」 綺麗にされておくるみに包まれた一樹の息子が、看護師に丁寧に抱かれて連れて来られた。 「まあ! なんて可愛い!」 月子の母親と一樹の伯母が慣れた手つきで子供を抱いた後、月子の父親と一樹の伯父も抱く。 子供にとっては、おじいちゃんたちとおばあちゃんたちだ。 四人が息子にかなり甘やかせることは、未来を見なくても簡単に想像することが出来る。 それが嬉しい。 「月子は?」 「もうすぐ出て来ると思います」 一樹が言ったタイミングで、月子がストレッチャーに乗せられてこちらに運ばれてきた。 その姿は疲れてはいたが、透明感がありとても美しかった。 「母子ともに健康ですよ。良かったですね、皆さん」 「有り難うございます」 息子を取り上げてくれた女性の産婦人科医師が笑顔でこちらにやってきてくれた。 「お産は大きなお仕事ですから、お母さんはかなり疲れています。ですから、今はゆっくりと休ませてあげて下さいね」 「はい。有り難うございました」 一樹は丁寧に礼を言うと、月子に付き添って病室へと向かった。 こうしてそばにいるだけで、幸せで満たされる。 月子の何かを成し遂げたような表情を見ると、とても綺麗だった。 月子は病室に運ばれて、疲れたようにゆったりとベッドに横たわる。 疲労困憊なのに、とても幸せそうだった。 「……月子、よく頑張ったな。有り難うな」 「……一樹さんこそ、そばにいてくれて有り難う……。一樹さんが一緒に頑張ってくれたからこそ、頑張れたんですよ」 月子の言葉に、一樹は本当に泣きそうになった。 感謝するのはこちらのほうなのに、月子は深く感謝してくれている。 「俺こそ、何度有り難うと言っても、足りないぐらいだ」 一樹は強く抱きすくめたくなる衝動に駆られたが、流石に何とか思い止どまった。 「今はゆっくり休め。子育てっていう戦争が始まるからな」 「そうですね。今はゆっくりと眠りますね……」 優しく言う月子がとても愛しくて、一樹は思わず笑みを浮かべた。 月子が眠ってしまった後、一樹は花屋に向かうことにした。 一樹が病室から出ると、親たちが病室の前にいた。 ふたりきりにしてやろうという配慮だったのだろう。 「月子はようやく眠りました。寝顔を見てあげて下さい」 一樹の言葉に、親たちは静かに病室の中へと入ってゆく。 一樹は幸せで満たされた気分になりながら、花屋へと向かった。 花屋はギリギリ開いていて、白薔薇とピンクの薔薇、そしてカスミソウを組み合わせた花束を作って貰った。 本当に可愛い花束に仕上げてくれる。 一樹は月子にピッタリな可愛い花束だと思わずにはいられなかった。 一樹が病室に戻ると、親たちが一旦帰るところだった。 「明日、また赤ちゃんを見に来ますからね」 誰もが嬉しそうに言うと、病室を後にする。 病室といっても、月子が泊まる部屋はまるでホテルのようにリラックス出来る場所だった。 今夜一日だけは、一樹も泊まるために、ベッドが準備されている。 一樹は、花束を月子の眠るベッドのサイドに丁寧に置くと、眠る愛しい妻にキスをする。 甘過ぎるキスについうっとりとしてしまう。 一樹がシャワーを浴びてサッパリした後に戻ると、月子がうつらうつらとしてギリギリ目を開けようとしていた。 「……一樹さん……」 まだ寝ぼけているような表情が可愛い。 一樹は思わず微笑んでしまう。 「……疲れているんだろう? しっかり眠れ……」 一樹が小さな女の子に言い聞かせるように呟くと、月子は柔らかく微笑んだ。 「有り難うございます……。あ、お花……」 月子は視線を花束に移すと、にっこりと笑った。 「今日のお祝いだ。きちんとしたお祝いはまたするけれどな」 「有り難う……。だけど、本当に嬉しいです。一樹さん……」 月子はうつらうつらとしていながらも、嬉しさを滲ませている。 一樹の手を取ろうとする前に、一樹自身が月子の手をしっかりと握り締めた。 「月子、有り難う。これからはお前と子供をしっかりと守っていくからな。愛してる……」 一樹は月子の唇にありったけの感謝と愛を滲ませて、キスをする。 「私も愛しています。一樹さん」 月子と見つめ合いながら、一樹は幸せを噛み締める。 家族三人で新しい人生が始まる。 |