甘い嫉妬の香り

前編


 午後8時45分になると、私はそわそわとしてしまう。入り口扉を頻繁に見つめて、大好きな男性(ひと)が入ってくるのを、待ち侘びる。
「未来ちゃん、また見てただろう?」
 くすくすと笑いながら、からかい半分に藤村さんに指摘されて、私は真っ赤になる。
「…見てません。さあ、仕事をしなくっちゃ!」
 わざとテキパキモードな私に、藤村さんが忍び笑いを漏らしているのが聞こえた。
 やっぱり雅也さんには良いところを見せたくて、わざと頑張ってしまう。
 優雅にアルーラの扉が開いた。
 私は雅也さんだと思って、元気良く迎える。
「いらっしゃいませ!」
 扉が開くと同時に、大好きな長身のシルエットが目に飛び込んでくる。雅也さんだ。
 いつも午後9時でアルバイトが終わる私を、こうやって迎えに来てくれているのだ。
 私の最も好きな時間が始まる。
 私は嬉しくて堪らなくて、心からの喜びを雅也さんに向けて笑った。
 だけど…、いつもと違い、私の笑顔は瞬く間に萎んでしまった。
「おや、薫ちゃん、いらっしゃい」
「こんばんは、お邪魔します」
 そう…。雅也さんの後には、吾妻木さんが入って来たのだ。ふたりはとても楽しそうに話し、それを見るだけでどす黒い嫉妬を感じた。
 ふたりで何を話していたの? 何をしてきたの?
 沸き上がる嫉妬に、私はこのみが焼き尽くされてしまうのではないかと思った。
「未来ちゃん、オーダー」
 藤村さんが小声で囁いてくれたお陰で、私は自分のすべき仕事を思い出す。
「ご注文をお伺いします」
「俺はエスプレッソ」
 雅也さんはちらりと私を見て、”解っているだろう”というような視線を向けてくる。確かに何時もの注文なのは解っているけれど、今日ばかりは素っ気なく聞いてしまった。
「…私はまだ、いいわ」
 吾妻木さんはあっさりと言うと、煙草を燻らせていた。
 美しく塗られたマニキュアがワインレッドに光って、とても優雅に見える。大人の女性足らんとする姿に、私は悔しくて唇を噛みしめた。
 雅也さんと吾妻木さんは、端から見ると本当に理想的なカップルに見える。だからこそ、ふたりがしっくりきていることを、私は認めたくはなかった。
 私は藤村さんに雅也さんのオーダーを通すと、接客に忙しいふりをする。
 何時もなら雅也さんがエスプレッソを飲み終わるまでの間、彼と話をしたりしながら、接客の補助に入るのに…。
 今日はそれが出来ない。
 また、扉が開く。
 私は意地でも9時まではずっと接客をしておきたくて、わざと飛んでいく。現れたのは望月さんだった。
「こんばんは、未来ちゃん!」
 余りにも爽やかな笑顔を望月さんが向けてくるものだから、私も自然と笑みになる。
「新しいラフデザインが出来たんだ。君にモデルを頼んでいる以上、少し見て貰いたくてね。コピーを渡しておくから見ておいて」
「はい!」
 私は望月さんからコピーをしっかりと受け取った。折角私に渡してくれた物だから、大事にしようと想う。
「有り難う、じゃあまた!」
 本当に望月さんは、鉄砲玉のような人だ。私にデザイン画のコピーだけを渡して、風のように去ってしまう。
 彼らしいと私は思った。
 私は再びカウンターの前を通り抜けようとすると、雅也さんに強く肩を掴まれる。
「9時だ、支度をしなさい。立花君」
 私は、雅也さんの腕の強さに驚いて彼を見たが、その視線はどこか怒っているように見えた。
「…解りました」
 雅也さんの無言の怒りに私は負けてしまい、素直に同意するしかない。
「未来ちゃん、上がっていいよ」
 そのうえ藤村さんも追い打ちをかける。
「はい」
 私はどこかうなだれながら、更衣室で支度をする。
 何も悪いことをした覚えはないのに、何故か罪悪感だけを深く感じた。

 私が店に出ると、雅也さんは既に待ち構えていた。無言で手を掴まれて、そのまま外に連れて行かれる。
「藤村さん、お疲れ様でした!」
「ああ、ご苦労さん未来ちゃん」
 私は藤村さんが呆気に取られているのを感じながら、店の外に出た。
 駐車場に停めてある雅也さんの車にいつものように、乗せられる。
 運転席に座った雅也さんは、いつものようにシートベルトを締めてくれた。
 鼻孔を擽るシトラスのコロンと雅也さん自身の香り。
 私は胸の奥が甘く妖しくときめくような気がした。
 直ぐに車は発車したが、雅也さんは話し掛けてこない。
 重い沈黙が堪らなくて、私は自分から唇を開いてしまった。
「吾妻木さん…、おひとりにして良かったんですか?」
「吾妻木? あいつは9時からアルーラで人と待ち合わせをしているんだ。俺とは一緒に来ただけだ」
 雅也さんはつっけんどんに言う。
 まだまだ冷たい彼に、私は不安を覚えた。信じていないわけじゃないけれども、吾妻木さんの元に戻ってしまうかもしれないという、重い予感を拭い去ることが出来なかった。
「ホントに?」
 私は心許なくて、雅也さんに聞き糺す。そうしなければ、私の不安は拭い去ることが出来なかった。
「君に嘘を言う必要はないだろう?」
 雅也さんは明らかに苛々している風だった。吾妻木さんの所に早く戻りたいの?そんな不安が、私を苦しめる。
「…雅也さん…、私を送ったら…、吾妻木さんのところに戻るの?」
 私はほんの少し声が震えるのを感じた。
「どうしてそんなことをきくんだ?」
「…やだから…」
 私は最後は消え入るような声で、囁くように言っていた。
「何だ? 聞こえない」
「雅也さんが、吾妻木さんの元に行くのは嫌だからっ!」
 私は躰中の二酸化炭素を吐き出すように、一気にまくし立てる。
 すると、車が車道に乗り上げ停車した。
 いきなりの停車に、最初、私は雅也さんがかなり怒っていて、車から引きずり下ろされるかと思った。
 だけど…。
 結果はとても甘いもので、私は雅也さんにぎゅっと抱きすくめられる。
「…未来、吾妻木に妬いていたのか?」
 恥ずかしさの余りに即答出来なかったけれど、雅也さんの抱擁が更に強くなり、私は答えを出すしかなかった。
 ゆっくりと頷くと、雅也さんが甘く笑ったような気がした。
 唇が重なる。少し苦いエスプレッソの味がするキス。
 雅也さんのキスはとろけるような甘さと苦さが混じった、私の胸を淫らにするには充分なものだった。
 舌の先で口腔内のあらゆる場所が愛撫されるのは、至極心地の良いこと。
 唾液で唇の周りがべたべたに濡れるのも構わずに、私はキスに夢中になった。
 雅也さんの唇が離れる。私はもっと欲しくて、視線で唇の行方を追い掛ける。
 雅也さんはほんの僅か、私を見つめると、首に巻かれたスカーフを取り去った。
「雅也さん…?」
 名前を呼ぶと、彼の唇は私の首筋を深く捕らえていく。
「…あっ、雅也さん…!」
 ぞくりとした感覚が全身を走り抜けるのと同時に、肌が敏感に変わっていく。
 雅也さんは、”私が彼のもの”だと証明するかのように、力強くそこを吸い上げていった。
「あっ…!」
 ブラウスの上から、胸を強くまさぐられる。切羽詰まった雅也さんの情熱に、私はここがどこであるかを忘れそうになった。
 胸が張り詰めるほど揉まれて、もっと欲しいと思った瞬間に、雅也さんは離れる。
「…雅也さん…っ」
 中途半端な状態で雅也さんに離されてしまい、私は切なくて泣きそうになった。
 躰を離して運転席に戻した雅也さんを、恨めしく見る。
 雅也さんは何も語る事なく、そのまま車のエンジンをかけてホテルに向かう。
「……未来、君は今、俺の腕の内にいることは、解っているか?」
「解ってるわ」
 私はあっさりと認めた。
「君が誰に抱かれて溺れているかを、解っているか?」
 私はしっかりと頷く。けれど、雅也さんは物足りないようだ。
「…君は解っていない」
 雅也さんは少しがっかりしているかのように溜め息をついたので、私は慌てて頭を横に振る。
「解っているわ!」
「いや、解っちゃいないよ、未来…。君がちゃんと解るようになるように、俺がちゃんと刻み付けてやる」
 雅也さんの声は深くて何時もに増して艶がある。
 私は刻み付けて欲しくて、雅也さんの手を返事の代わりにぎゅっと握り締めた。
 何時ものように、ホテルの駐車場の雅也さんの指定席に停まる。
 私は直ぐに手を引かれて、部屋に連れていかれた。雅也さんの温かくて力のある手。もっと強い力でも良いよ。私は雅也さんを感じたくて、更に手を握り締めた。
 強引とも言える勢いで、雅也さんは私を連れて、フロントの前を通り過ぎる。
「古賀様、未来様、おかえりなさいませ」
 ボーイの方が挨拶をしてくれたけれども、雅也さんは何時もでは考えられないほど、一目散に部屋を目指す。何時もは落ち着きのある雅也さんの今日の態度に、ホテルのスタッフは驚いているようだった。
 私はそのまま部屋に連れていかれ、中に入るなり抱えられる。
 そのまま広いベッドに投げられて、私は息を呑んだ。こんなに紳士らしくない雅也さんは初めてだったから。
 目を開けると、雅也さんが艶やかさに僅かの怒りを滲ませた眼差しで私を見ている。
「君は俺という男がちゃんと解っていない。今夜はちゃんと解るまで離さないから覚悟をするんだね。明日は土曜日だ。どうとでもなる」
 雅也さんは乱暴にネクタイを取る。しゅるりと音が部屋に響き、官能の香りが広がる。
 私は、胸を妖しく時めかせながら、渇いた下唇を舐めた。
コメント
初の雅也さんの短編です。
お楽しみのシーンは次回に(笑)
こういうシーンはねっとりたっぷり書きたくなる性分らしい(笑)




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