Parez’Moi DAmour〜聞かせてよ、愛の言葉を〜

後編


 大学の帰り、里見は本屋に立ち寄り、2冊の絵本と1冊の歴史本を購入した。”かぐや姫””天女と羽衣”、そして謎の多い明智光希についての本である。特に明智光希については、未来が言って以来、ひどく心に引っかかっていた。それ故に読みたくて堪らなくなったのだ。
 家に帰るなり、簡単に夕食を済ませた後、これらの本を読みふける。
 流石に絵本と言うこともあり、2冊は直ぐに読むことが出来たが、胸が締め付けられるほどだった。
 絵本に感動したことなどない。ましてや、自分はもういい大人なのだから。
 しかし、”かぐや姫”にしても、”天女と羽衣”にしても、天に還るシーンは胸が壊れてしまうのかと思うほど軋んだ。
 かぐや姫と天女の姿に、今日の異様に透明感を帯びた未来の美しさが重なる。
「立花君…。私を置いていくな…」
 誰にも聞こえない自室であるが故に、里見は初めて本音を漏らすことが出来た。
 声に出すと、それだけでも苦しい。
 消えて欲しくない。どうしても自分の側にいて欲しい。
 切なく恋に胸を焦がす自分がよもやいるとは、今までの里見なら思わなかった。
 未来を抱きしめたい。その吐息も、唇も、心も、躰の総てを自分のものにしたい。
 昨夜、未来を抱いたときの幸福感は、もう何物にも変えられないような気がした。
 明日になったらきっと言う。未来を遊びで抱いたわけではないと。愛しているから抱いたのだと。
 里見は苦笑する。自分がこんなに恋に情熱的だとは、思わなかった。
 気分転換に里見は、明智光希の伝記を読むことにした。
 ベッドに腰を掛け、じっと読み進める内に、活字がゆらゆらと動いていく。何度も目を擦るが、一向に直るどころか、かえってひどい状態になる。
 突然めまいを感じた。次の瞬間、里見の脳裏にフラッシュバック現象が起こった。
 様々なシーンが光の嵐となって里に降りかかっていく。
 ------明智光希は自分自身だった。前世だったのだ。
 不思議な天女である、未来にそっくりな美しい娘に恋し、結局は、野心に負けて彼女すらも護ることが出来なかった。
 愛しげに「姫」と呼んだ娘を、野心に負けて幸せにすることが出来なかった。
 野心を達成することよりも、ただ愛する姫を護ることが出来る力があれば、それで満足だったことを後から気づき、後悔する。
 姫さえいれば、それで良かったのに、どうして離すような真似をしたのか。
 それは今の自分と同じように思える。このまま野心を達成することを目指せば、きっと未来を離さなければならなくなるだろう。
 自分には野心など必要がないのだ。ただ、今も未来を守れる力があれば、それだけで良い。
 気がつくと未来によく似た女性の膝上にいた。温かく心地がよい。
「私は…来世で姫に逢えようか……?」
「逢えます! 逢って…今度こそ、私が傍にいます…! ずっと…!」
 優しく力強い声だった。安心出来る…。ひょっとしてこの娘は本当に未来自身かも知れない。
「…そうか」
 娘の声に妙に安心する。これで、今度こそ未来を離しはしない。甘く微笑むと、里見は深く目を閉じることが出来た。
「……愛しているぞ、姫」
「はい…! はい、私も、愛しています…! 愛しています、光希様!」
 嬉しかった。未来の唇から愛の言葉を囁かれることが。
 前世でも現世でも、未来を愛しているのは変わらない。
 未来を引き寄せてキスをすると、記憶と同じように柔らかく、そして甘かった。
 また逢える。そして、今度こそはふたりで幸せになる。
「では……さらばだ! また…逢おう…!」
 辺りが明るくなる。心が澄み切った形になり、悩みなどもう堂でも良いことのように思えた。
 ただ未来の側にいる。それだけで良いのだから  

   □□□

 いつものように目が覚めた。夢見は悪くない。いつにも増してすっきりとしているようだ。
 今日は立花未来が受ける講義の日だ。力が入るというものである。
 彼女が入学してきた時から、好きだった。透明感のある消え入るような美しさと、懐かしい声。
 その昔、古賀の別れた彼女であるユカリに誘惑された時に、すんでの所で踏みとどまらせてくれた不思議な声。あの声に未来は似ていた。
 あの事件があってから、里見はずっとあの声の主を探し続けていた。そして、ようやく未来を見つけ、直感したのだ。彼女だと。
 とても真面目な生徒で、通訳になりたい未来を、里見は一年の頃から個別にレポートを出したりして、面倒を見ていた。
 それ以来、大切な愛しい存在だ。
 義理の両親、兄を亡くした未来を励したくて、笑って欲しくてずっと面倒を見てきた。たまたま親友の古賀が、彼女の担当弁護士だったために、厳しい過去を持っていることを彼から聴き、ずっと見守っていた。
 その心の傷が癒えるように。ずっと優しく様子を見ていたのだ。
 ようやく未来も3年になり、自分のゼミを選択してくれたことが、どれほど嬉しかったことか。思い出すたびに、里見は微笑まずにはいられない。
 先日、彼女から切ない告白を受け、思わず抱いてしまった。だが、その後、恋愛小説の大家と言われながら、真剣な恋愛をしたことのない里見は戸惑い、何も言えなかったために、結果傷つける真似をしてしまった。
 だからちゃんと、今日は言いたい。心から愛していることを。
 未来のことを考えると、胸の奥が甘酸っぱくなる。幸せな気分であると同時に切なくもなる。
 朝恒例のメールをチェックすると、遠路遙々古賀からのメールが届いていた。
 古賀は現在国際弁護士として、世界を飛び回っている。未来の一家の処理が終わった後に事務所を辞め、アメリカに行ったのだ。
 その時から里見が未来を愛していることを知っていた。彼も未来をほのかに好きだったらしいが、あっさりと里見に負けを認めたのだ。
「また、ロクでもないメールなのだろう」
 里見は苦笑すると、古賀のメールを開ける。

 SABJECT:とっとと告白しろよ!
 里見へ。まだ未来ちゃんに告白していないのか? さっさと告白しないと、俺が未来ちゃんを連れに来るぞ! まあ、それは冗談だが、あの子は、ヘンに鈍感なところがあるから早く告白するのに、越したことはない。
 あの子は、おまえが昔言っていた、十数年後の恋人なんだからな。
 お前の周りには、俺も含めて、ライバルが多いからな。兄の和希君の主治医とか、俺の後輩のサッカー小僧とか…。だから早く告白しろ! そうしたら、俺も安心して眠れる。じゃあな!

 乱暴だが温かな親友の言葉に、里見は微笑む。こんなに気性が違うからこそ親友になれたのかも知れない。
 里見はとてもよい気分になって、朝の身支度をする。
 ふとベッドの上を見れば、3冊の本が置いてある。その中で、里見は2冊の絵本を手に取った。”天女と羽衣”と”かぐや姫”。
 その2冊を見つめていると、未来と天女の姿が重なり、痛いほど胸がどきどきする。
 今度は絶対に失わない。過去の自分のように、野心の余りに手放したりはしない。
 大学の学長選挙出馬も勧められたが、未来の傍にいたくて、彼女を教えることを失いたくなくて、結局は断ってしまった。
 もう自分は前世にも、過去にしがらみはない。そんな昔と同じ失敗はしない。
 昨夜見た前世の夢は、改めて反面教師になってくれた。
 もう振り返らない。立ち止まらずに、ただ、真っ直ぐと最も欲しいものを手にするだけだ。
 里見は身支度が住むと早々に自宅を出る。早く大学に行きたかった。行って未来に逢いたかった。

   □□□

 朝早く研究室に着いてしまったので、里見はパソコンの前に向かった。不思議な気分になる。
 ずっと断筆していたのにも関わらず、また心のどこかで書きたい意欲が芽生え始めていた。
 恋愛小説を。純粋に愛し合う男女の物語を今は無性に書きたかった。
 断筆したのは、これ以上書くのが虚しかったから。名声が上がるたびに、賞を貰うたびに、その空しさは大きくなっていった。
 元々恋には器用ではない。だからこそ、小説の中の人間と自分との溝が大きくなり、苦しんだ。そして、筆を折ることを選択した。
 小説という一つの手法を手放した時、虚しい気持ちと同時に、どこか楽になったような気もした。
 だが、自分の小説を溺愛する木村と出会い、立花未来と出逢い、その決断が果たして正しかったのか、判断に迷い始めていた。
 そして。未来に恋をした。狂おしいほどに。
 そして、ようやく自分が描写した人物たちの気持ちが理解出来た。
 今なら、再び小説を書く資格が得られるかもしれない。
 里見は久しぶりに短編だが、小説を打ち込み始める。
 恋に懐疑的な中年男と、その心を真っ直ぐとした眼差しで開こうとする、年若い娘の物語を  

 久しぶりに小説を書くという行為は、時間を忘れさせ、心地よい疲労をもたらしてくれた。
 だがタイムリミットだ。講義をしなければならない。次の講義は、未来が受けている大事なものなのだから。
 未来が受ける講義をするため、里見は少し緊張しながら教室に入る。
 しかし…。今日も未来は姿を現さなかった。
「立花…。立花は欠席か」
 出席簿に、里見の落胆が刻まれる。それを見ていたのは、他ならぬ未来の親友春子だった。
 里見の心に暗い影がよぎる。
 最近、未来はとても体調が良いようには見えなかったのだ。顔色が悪く、触れてしまえば消えてしまいそうな、そんな雰囲気があったのだ。
 心が揺れる。いつも冷静沈着な自分が、上手く感情をコントロール出来ないでいる。
 深刻な病気でないことを切に祈るしかなかった。
 講義を終え、里見が教室を後にすると、廊下で春子が電話を掛けていた。
「未来! もう、寝坊したの! これで二日連続だよ。まあ、里見教授に言って、その穴埋めをするかなんかして貰いなさいよ。教授も未来が休んでいるのを気にしてるみたいだったし…。じゃあ、これから来るのね? 午後からの講義は遅れちゃダメよ」
 携帯電話の前でまくし立てている春子の声を聞きながら、里見は苦笑する。すっかりばれていた。未来がいないために動揺した授業をしている自分を。
 ひょっとして、自分が未来を愛していることは、未来以外の全員にばれているかも知れない。そう思うと、少し照れくさかった。
 寝坊で良かったとほっとして、未来が午後から大学に来るのを楽しみに待つことにする。
 ただ逢いたい。逢って、自分の気持ちを伝えたい。
 里見は自分の研究室に戻ると、未来に講義が終われば来るように、担当教授に伝言メモを渡す。
「私は古賀に踊らされているようだが、古賀の言うことに乗ってやっても良いかな…」
 里見は独り言を呟きながら、明るい日溜まりを見つめる。
 もうすぐこの日溜まりをこの手で抱きしめられる。
 未来が消えてしまう前に、この手で抱きしめる。そしてもう一生離さない。
 あの約束を果たし合う、その瞬間を里見は首を長くして待った。
 未来が授業の間、里見は、”天女と羽衣”と、”かぐや姫”の絵本を繰り返し読む。
 読むたびに切なさを覚えるせいか、里見の眼差しは愁いの籠もったものになる。
 これと同じ結末には絶対にしない。今度こそ、幸せな明日を紡ぎ出したかった。
 本を読んだ後は、先ほどの続きを打ち込み始める。どうしたことか、現役で書いていた時よりも、スムーズに書き留めることが出来た。
 今の自分の気持ちをこの小説にしたためたかった。
 終了の鐘が鳴る。いよいよ未来がやってくる。里見は背筋を伸ばすと、緊張した面持ちで未来を待った。
 こんなに胸がドキドキとしたのは今までにない。酸素欠乏症になりそうだ。
 ヒールの音が響き始める。未来しかいない。
 戸惑いを感じずにはいられない足音が、ピタリと研究室の前で止まった。
「里見教授、立花です」
「入りたまえ」
「失礼します」
 未来が研究室に入ってくると、里見はゆっくりと立ち上がり、愛しい者に近付いていく。
 近くまで来た時、未来が潤んだ眼差しを向けた。
「読んで欲しいものがある…」
「私に?」
 里見はそれだけを言うと、プリントアウトをしておいた途中までの小説を未来に差し出す。
 未来は驚いて息を呑んでいた。
「先生、断筆したんじゃ…」
「正真正銘の新作だ。君に読んで貰いたい」
 未来は真剣な眼差しになると頷き、それを一生懸命読む。
 その横顔が美しかった。愁いのある透明感のある姿。このまま光に溶けてもおかしくないほど、美しく清らかだ。
 儚すぎて、消えてしまうのかと持った。このまま抱きしめなければ、天に還ってしまうのかと思う。
 里見は愁いを帯びた表情を未来に向け、その切ない心の内をとうとう情に出した。
「里見教授…」
「…立花君…!」
 無意識に背後から、その腕に抱きしめていた。強く、未来がどこにも行かないように、しっかりと抱きしめる。
「…里見教授…息が出来ません…」
 喘ぐように未来は言うが、里見の手ををそっと握ってくれていた。
「立花君…。私が離してしまえば、君はどこかに行ってしまうのだろうか…? 天女のように…、どこかにかえってしまうのではないか?」
 感情が言葉になってするすると出る。こんな事は今までなかった。
 力尽くに自分の正面を向かせ、激情の瞳で未来を見つめると、そのまま里見はその唇を奪う。唇をしっとりと包み込み、自分だけのものにする。
 未来のキスは甘い味がして、里見を夢中にさせる。純粋で清らかな未来の反応に夢中になりながら、里見は何度も口づけた。
 キスが終わった後、未来は潤んだ艶やかな瞳を里見に向ける。今までで一番穏やかで優しい笑顔だった。
「私は、ずっと教授のおそばにいます。お約束します。離れろって言っても、離れませんから!!」
 甘い微笑みを浮かべて囁かれると、言葉が全身に喜びをくれる。今まで感じていた恋の切なさが、総て明るく素晴らしい感情に変わる。
 今なら言える。愛の言葉を。
「立花君…。ずっと以前から私は君を愛している。これからもずっと…」
 低く深い声で囁くと、未来は美しい涙を一筋零す。ダイアモンドよりも綺麗だと思うが、いかんせん愛する女性の涙は弱い。
「立花君…。私はどうしたら…その君の涙を止められるんだ…?」
 困惑する里見に、未来は泣き笑いの表情を浮かべる。
「嬉しいからです…。嬉しくても涙は出ます。私も教授を愛しています。ずっと、過去も未来も…」
「立花君…」
 幸せが胸に去来する。恋とはこんなに人を幸せにするものなのか。愛があるから。だからこそ小説も書こうと思えた。
「…君がこの続きを書くとしたら、どうしたい?」
「…この女の子はずっと待っているんです。年上の大好きな男性から告白されるのを。告白されたらこう言うんです…。”私もずっと好きでした。あなたのお嫁さんにして下さい”って…」
「そうだな。その結末は素晴らしいな…」
 ふわりと里見は微笑むと、未来を真っ直ぐと見つめる。
「だったら、完成したら真っ先に読んでくれるか?」
「勿論です!」
 里見は再び未来にキスをしながら、失わなかった最高の幸せを、しっかりと噛みしめていた 

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