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自慢の幼なじみ----そこから脱却出来るのは何時? たとえどんなチョコレートでも、将臣は食べてくれると言ってくれた。 将臣が誰のチョコレートを受け取るかは解らないが、望美はこころを込めて手作りチョコレートを作ることにした。 自分の料理の腕を考えると、かなり無謀なのかもしれないが、望美は出来るだけ易しく作れるレシピを探した。 恋は凄い。 普段は見向きもしないことをする力をくれるのだから。 望美は雑誌に載っていた、カステラにチョコレートをまぶしただけの、簡単トリュフを作ることにした。 「お母さん、チョコレートを手作りしようと思っているから、アドバイスがあったらお願いするね」 望美の料理への前向きな姿勢に、母親は感心するように驚いた。 「バレンタインのチョコレートね。あなたが手作りをするなんて、余程、相手のことが好きなのね」 母親が嬉しそうに言うものだから、望美は恥じらいを隠すために、わざと睨み付けた。 「そんな顔をしないの。あなたが危なっかしいようだったらサポートするから、ちゃんとしたチョコレートを作るのよ」 「はい」 望美は母親に約束を取り付けた後に、溜め息を吐く。 一生懸命作ったとしても、将臣は受け取ってはくれないかもしれない。 だがしないよりはマシだと思う。 望美は、こころが締め付けられるようなやるせない痛みを抱えながら、拳をギュッと握り締めた。 望美がチョコレートを手作りしたいと思うほどの相手がいると聞いたのは、母親からだった。 譲は少し動揺しているようだったが、どこか希望を持っているようだ。 それに対して将臣はと言えば、どの男を見ても、望美が好きな男に見えた。 自分が知っている相手かもしれないし、全く知らない相手なのかもしれない。 もやもやとそんなことばかりを考えてしまい、はっきり言って、何も頭に入らなくなっていた。 望美の様子を伺うと、いつもよりも綺麗だという印象しかない。 バレンタインへの覚悟が出来ているのだろうか。 じっと観察していると、望美が視線に気付いた。 「将臣くん、どうしたの? あっ! 口に何か吐いてるとか!?」 先ほどの休み時間に甘いお菓子を食べていたのがバレバレな態度に、将臣は苦笑いする。 「何もねぇさ。じっと考え込んでいたとこを見ると、またバレンタインのことでも考えていたのかよ。まあ、ほどほどにしておけよ」 「そ、そんなこと、解ってるもん」 図星だったのか、望美が慌てふためいているのが、手に取るように解った。 憎らしい、全くもって憎らしい。 望美の思考回路をショート寸前にまで混乱させたのは、いったいどこのどいつなのだろうか。 考えただけでまた腹が立った。 「ったく、バレンタイン、バレンタインってあんまり浮かれるなよ。気も漫ろだ、今のお前」 将臣は望美を軽く小突くと、席を立った。 違う。 本当に気が漫ろなのは自分だ。 望美が誰を好きなのか。そればかりを考える余りに、殆ど何も手につかないのだから。 将臣はカレンダーを睨み付けると、この世界から、バレンタインがなくなってしまえば良いと、思わずにはいられなかった。 「有川先輩にチョコレートを渡すよっ!」 廊下ですれ違った可愛い女の子が、気合いを入れて呟いているのが聞こえた。 望美は思わず足を止めて、聞き耳を立ててしまう。 「ずっと好きだったんだもんねえ。入学直後に、荷物を沢山持つ余りにこけそうになったあなたを、有川先輩が助けたんだよねえ。何だか少女マンガのシチュエーションみたいだねえ」 望美は将臣らしいと思いながらも、内心、全く落ち着かなかった。 相手の女の子はかなり可愛い。 ひょっとして将臣の相手は彼女なのではないかと、勘ぐってしまう。 「それからちょくちょくと気にして貰っていたから、凄く嬉しかったんだ。だから思い切って告白しようかと思ってるよ。ダメもとだもん。」 「けれどきっと大丈夫だと思うよ」 「そうかなあ」 女の子たちはわいわいと騒いでいる。 ふわふわとした柔らかい綿菓子のような女の子。 望美にはない魅力だというのは解っている。 ひょっとしてこの子なのだろうか。将臣の”本命”は。 それならきっと、自分は玉砕する。 望美が暗くなって溜め息を吐くと、友人は背中をポンと叩いてくれた。 「そんな顔をしない。大丈夫だって! そんな気持ちだったら、相手に負けちゃうよ。あの子も言っていたように、当たって砕けろぐらいが良いんだって!」 友人は本当に有り難い。 望美はしっかりと頷くと、自分なりのベストを尽くそうと決めた。 バレンタイン前日。 春日家のキッチンは、この世のものとは思えないほどの、地獄絵図になっていた。 あらゆるところに、元の物体は何だったのか、全く見当がつかないものがちらほら転がっている。 「痛いっ! 熱いっ!」 望美が何かをやる度に、鍋や製菓道具が悲鳴を上げる音や、望美自身の悲鳴がこだましていた。 ぐちゃぐちゃなキッチンテーブルは、全く何を作っていたのかすら解らない有様になっていた。 「す、凄いことになってるわね。お母さんが片付けるから、望美は何とかまともなものを作りなさい。もう、アドバイスしてもそれじゃあ…」 母親は腕を組みながら溜め息を吐いている。 「やっぱり才能なし?」 「才能を語る以前の問題ね」 母親が、望美の惨劇を冷静に始末してくれている間、チョコレート作りに励む。 チョコレート作りに励むたびに、指先に巻かれた絆創膏は増えていくばかりだし、望美の悲鳴も大きくなるばかりだ。 それでも何とか諦めずに作り、ひとつだけだが、まともなチョコレートが出来上がった。 「…ひとつだけね…」 母親は呆れるのを通り過ぎたような溜め息を吐いている。 「うん、ひとつだけ…」 望美はそれでも良いと思った。 たったひとつだけでも、甘いチョコレートを作れたから。 小さなチョコレートを綺麗にラッピングをして完成。 小さいが詰まっている気持ちは、何よりも熱いと思っていた。 バレンタインデーの朝、望美はいつも通りに、起こしに来てくれた。 指先に巻かれた絆創膏が、何とも可愛いらしい。 それが相手への想いを象徴していると思うと、将臣のこころは痛かった。 いつものように駅までは自転車。望美がギュッと腕を腰に回して捕まって来る。 指先を見るだけで、純粋にエールを送りたくなった。 「上手くいくといいな」 「将臣くんも、好きなひとからチョコレートを貰えると良いね。あ、貰えるか」 望美は何故かいつもより愁いのある笑みを浮かべる。 将臣は唇を一文字にすると、駅までの坂道に自転車を滑らせた。 とうとう昼休み。 運命の時間だ。 朝からドキドキが止まらずに、望美は酸欠寸前になっていた。 渡そうか。渡すまいか。 机のなかから手を出したり、引っ込めたりを繰り返した。 机のなかにある指先ですらも震える。 深呼吸をして、生唾を飲み込んだ後で、将臣に声を掛けようとした。 「ま…っ!」 「将臣ー! 一年のイケてる女子が呼んでるぜ!」 声を掛かった方向を見ると、そこにはこの間の女の子が立っているのが見えた。 「ああ。すぐ行く」 将臣は相手を即座に確認をすると、立ち上がった。 残された望美は涙が出そうになる。 将臣が行った以上、あの女の子のチョコレートを受け取るつもりなのだろう。 望美は溜め息に絶望を乗せると、チョコレートセットを机から出した。 ショコラティエで買ったものと、手作りのものをセットしたもの。 それを将臣の席に置くと、海が綺麗に見える屋上へと向かった。 将臣はもう女の子の告白を受けて、それを受け入れているところだろうか。 望美はぼんやりと考えながら、江ノ島に視線を置いた。 「おい、これ、俺が貰って良いのかよ?」 聞き慣れた声に振り返ると、そこには将臣がいた。 息を切らせている姿を見ると、言葉が出なかった。 「…将臣くん…」 「答えねぇなら、この手作りチョコレート食うぜ。一個しか出来なかったっていう、虎の子のチョコレート」 将臣はがさがさと音を立てて袋を破ると、チョコレートを口に含んだ。 「もうダメだぜ? 取り返すことなんて出来ねぇからな」 将臣が食べる様子を見ていると、今まで我慢してきた涙が溢れてきた。 「…どうせ…将臣くんにあげるために…作ったんだもん…」 将臣はホッとしたように溜め息を吐くと、望美の腰を抱く。 「今の言葉、取り消しなしだからな」 「…うん」 「有り難うな。ご馳走さん」 将臣はチョコレートよりも甘い微笑みを浮かべる。 「あの子は…?」 「公約通り、本命のチョコレートしか受け取らないって言った」 将臣の言葉は何よりもの甘いデザートになって、望美のこころをとろけさせた。 「チョコレート、不味かった?」 おずおずと望美が訊くと、将臣は喉をくつくつと鳴らして笑う。 「な、何よ?」 望美が照れ隠しに怒ってみると、将臣は魅惑的な微笑みを浮かべた。 「だったら味見したら良いだろ?」 「だってもうないのにむ…」 重ねられた唇は確かに甘く美味しくて、ほんのりとチョコレートな恋の味がした。 |