中編
大地と愛し合うということは、かなでにとってはかけがえのない幸せな行為だ。 最近、ずっと会えなかったからだろうか。 いつも以上に大地を求める自分がいる。 だが、それ以上に大地が自分を求めてくれていたのが、かなでは嬉しかった。 同じベッドで、狭い空間を共有しあうのは、お互いに熱く強く求めているからだ。 激しく求め、求められているからだ。 シングルベッドですらも、ふたりには広い空間にすら思えてしまう。 くっついていれば、意外なぐらいに空間は空けることが出来た。 「…ひなちゃん…、君を本当に愛しているよ…」 まるで縋るようにキツく抱き締めてくる大地が愛しくてしょうがない。 かなでは愛するひとにここまで求められるのが、嬉しくてしょうがなかった。 泣きそうになるぐらいに幸せだ。 大地はかなでの胸元に光るペンダントを指先に絡める。 「みんなで理事長から頂いた優勝記念のプレゼントだね…」 「大地先輩と一緒に頂いたものだから、宝物なんですよ。殆どずっと着けていますよ」 「うん…。あの夏は素晴らしかったね…」 輝かしい夏のような青春の日々。 大地はそれが本当に愛しいとばかりに呟く。 かなでもまた同じだ。 あの時間は、何よりもかけがえのない時間だったから。 大地はかなでを独占するかのように抱き締める。 「…ひなちゃん…。ずっと俺のそばにいてくれ…。君がずっとそばにいてくれたら…、俺はそれで…」 大地の声には悲愴が出ている。 「ずっとそばにいますよ…。日本を拠点にするお仕事を中心に入れていますから…」 「ひなちゃん…」 本当にそばにいて欲しいと求めてくれている。 かなでにはそれが嬉しい。 本当にそばにいたいと思っているのは、かなでも同じことなのだから。 かなでは、大地を思い切り抱き締めたままで、その髪を撫でる。 いつもそうして貰っていたから、今度は自分がそうしてあげたいと思う。 大地の苦しさや不安を少しでも良いから取り除けたら良いのにと、思う。 「何だかひなちゃんを独占してしまっているね…。君を待っているひとは大勢いるのに…」 「私が一番そばにいたいのは、大地先輩なんですよ。だから私がそばにいたいって、くっついちゃっているだけなんですよ。それに、大地先輩を待っているひとも沢山いますよ。お医者様なんですから」 かなでは、患者から大地を取り上げてしまっているようで申し訳なく思っている。 「…俺を待っている患者さんなんていないよ…」 大地はポツリと投げやりのような言葉を投げてくる。 こんなことを言うなんて、今までの大地には有り得ないことだった。 それ故に驚いてしまい、かなでは思わず目を見開いた。 「そんなことはありませんよ! 大地先輩の優しさや医師としての誠実さを信じて待っている患者さんは沢山います!」 かなではキッパリと力強く言うと、大地を思い切り抱き締めた。 泣きそうになる。 いや、切な過ぎて泣いてしまっていたのかもしれない。 「…そんなこと…言わないで下さい…。大地先輩のことが大好きな患者さんは沢山います…」 「…ひなちゃん…」 大地は逆に驚いたようにかなでを見る。 「だって大地先輩は一生懸命で親身になって下さるお医者様だって、みんな解っています。だから、そんなことは言わないで下さい。皆、信じているから…」 かなでに真直ぐ言われて、大地は思わずその華奢な躰を抱き締める。 本当に泣きそうになるぐらいに愛しい。 かなでにならば、自分の弱い部分をさらけ出せる。 「…ひなちゃん…。今の医学には、薬を飲んでも、手術をしても治らない病気があるんだ…。どんなに治してあげたくても、治してあげられない。痛みを和らげてあげることしか出来ないんだ…。怪我もそうだ。酷い怪我をしてしまったら、手術をしても元通りとはいかなくなる…。残酷な事実だよ…」 大地は珍しく声を震わせると、かなでに縋るように抱き寄せる。 「…俺が担当しているひとは、悪性リウマチの患者さんで、痛みを和らげてあげることしか出来ない…。不甲斐ないって思うよ…」 「…先輩…」 大地の心の痛みが伝わり、かなでまで泣きそうになった。 大丈夫だから。 本当に大丈夫だから。 かなでは何度もそう言いたかった。 「…先輩…、大地先輩…。患者さんはきっと大地先輩に感謝をしているよ…。だって…、一番辛い痛みを、なくしてくれるひとだから…。だって、痛みがなくなるだけでも本当に幸せなことなんだよ…。だから、そんなにも気にしないで下さい。だって…大地先輩が切なくてなっていたら、今度は患者さんが切なくなるから…。だから…気にしないで下さい…。大丈夫だから…」 かなでは優しくなだめるように、大地の背中を何度も撫でた。 「…有り難う…、ひなちゃん…」 ふたりはしっかりと抱き合いながら、そのまま目を閉じる。 心地好さにまどろみながら、ふたりは優しい夢の中へと入っていった。 翌日目覚めると大地はスッキリとした気分だった。 迷いも沢山あるが、今は前を向いて頑張らなければならない時期でもある。 意識を切り換えて、頑張ることにした。 朝起きると、既にかなでは起きているのか、キッチンから音が聞こえてきた。 とりあえずの身支度だけをしてキッチンに向かうと、かなでが朝食を作っていた。 「おはようございます、大地先輩」 「おはよう、ひなちゃん」 かなでは、朝からコンロでご飯を炊いて、美味しそうな和食を作ってくれていた。 「大地先輩、朝ご飯を食べたら、お弁当を持って、公園に桜でも見に行きませんか?」 桜が咲いていることすら気付いていなかった自分に、大地は苦笑する。 「そうだね。久しぶりにふたりでのんびりしようか」 「はい!」 かなでの笑顔を見ていると、本当に幸せな気分になる。 ずっとずっとそばにいて欲しい。 それにはもう掴まえておくしかないことに、大地は気付いていた。 まだ臨床研修医で、一人前ではない。 だが、このままかなでと今ままでいれば、誰かに取られてしまうだろう。 それだけは避けたかった。 朝食は本当に美味しくて、大地は久しぶりに食事らしい食事をしたような気がした。 学院にいた頃から、かなでは本当に料理が上手だった。 今もそれは変わらない。 それどころか、今の方が料理が上手くなっているのかもしれない。 「お弁当が楽しみだ。高校生の頃は、とても楽しみにしていた」 「嬉しいです」 「ヴァイオリニストと料理人の二足の草鞋を履いたら良いのに」 「どちらも中途半端になるような気がしますよ。まだまだヴァイオリンは半人前ですから、料理にばかりかまけてはいられないんですよ」 「どちらも凄いと思っているよ」 「有り難うございます」 かなでと朝食を食べた後、ふたりは手を繋いで清々しい春の町を歩く。 のんびりとした気分で、ふたりはウキウキしながら道を進んだ。 「こうして大地先輩と一緒にお散歩が出来るのがとても嬉しいです」 かなでの屈託のない笑顔に何度救われたことだろうか。 「…こちらこそ、ひなちゃん、色々と有り難う…」 大地は繋いだ手をギュッと握り締める。 このままこの手を離したくはない。 大地は、かなでを離したくないと思いながら、じっと見つめる。 「…ひなちゃん、今から、無謀に思えることを言って良いかな…」 大地はかなでの手を改めて握り締めた。 |