*ヴィーナス・トリップ*

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 朝、横浜にいたことが信じられないぐらいに充実した一日だった。

 かなではのんびりとお風呂に入った後、ゆっくりと夜景を見ながら寛ぐ。

 こんなにも温かくて素敵な時間をくれた神南のメンバーには、感謝しなければならないと、かなでは思った。

 本当に充実した一日だった。

 ふと、携帯電話が鳴る。

 かなでは直ぐに電話に出た。

「はい、小日向です」

「ひなちゃん、俺」

 声だけでホッとして安心するのは、かなでにとっては大地以外にはいない。

「大地先輩」

「明日は朝食の後、三宮のスタジオで午前中は練習だから」

「はい」

 もっと甘い電話だと思っていたが、業務連絡だ。

 遊びに来ているわけではないから、当然ではあるのだが。

 大地は副部長で、実質はオーケストラ部を統率しているから、しょうがないことではある。

「後、ひなちゃん、午後からはまるきり自由だ。昼食と夕飯はホテルで言えば用意をしてくれるが、食べなくても良いそうだ。明後日はリハーサルと練習があって余り自由に動けないから、明日が神戸観光のチャンスかもしれないね」

「そうですね」

 またみんなでわいわいと観光するのだろう。それはそれで楽しいのだが。

「ひなちゃん、練習が終わったら、折角だし、ふたりで一緒に色々と見ようか。異人館に中華街。中華街で豚マンを食べるのも良いかもしれないね」

 大地とふたりきりで神戸観光が出来る。

 それだけでもかなでには嬉しいことだった。

「有り難うございます。是非、ご一緒したいです!」

「じゃあ、明日、思い切り神戸を楽しもう」

 大地も楽しそうに話してくれている。

 かなではその笑みに癒されるような気がした。

「ひなちゃん、明日の朝は“世界一の朝食”らしいよ? たのしみだね。じゃあ明日、おやすみ」

「おやすみなさい…」

 電話を切った後、かなでは幸せに満たされる。

 明日は半日、大地と一緒にいられる。

 それだけでかなでは良い夢が見られると思った。

 

 大地は電話を切った後、柔らかい溜め息を吐く。

 かなでと一緒にいるだけで、本当に幸せだ。

 こんなにも幸せなことは他にないのではないかと、思う。

 明日はかなでと一緒に神戸観光に出る。

 二人一緒によく知らない街を観光することが出来るなんて、なんて贅沢なことなのだろうと思った。

 つい鼻歌を歌ってしまう。

 かなでと明日は、最高のデートをしようと思わずにはいられなかった。

 

 翌朝、かなでは楽しみにしながら朝食場所であるレストランへと向かう。

 “世界一の朝食”とはどのようなものなのだろうか。

 かなでは想像するだけで笑顔になった。

 レストランに入ると、既に仲間たちがスタンバイをしている。

「ひなちゃん、こちらだ」

 大地に手招きをされて、かなでは席に着いた。

「朝食なんだが、物凄く充実しているよ」

「そうですか!?」

 レストランのスタッフが、食事を運んで来てくれる。

 その素晴らしさにかなでは目を丸くした。

 パンもかなりの種類がありどれも美味しそうだし、ジャム類も素晴らしい。

 しかもフルーツ類の種類の多さに、かなでは感激した。

 きちんと高級ハムなどもあるし、飲み物も充実している。

 かなでは嬉しくてつい笑顔になった。

「こんなに素敵な朝ご飯は初めてです」

「じゃあ、しっかりと食べて、午前中の練習に備えなくてはならないね」

「そうですね。頑張ります」

 かなでが気合いを入れた笑顔で言うと、大地は髪をクシャクシャとしながら頭を撫でてくる。

 また子供扱い。

 だが、それが何処か心地よくさえ感じるのは、大地に恋をしているからだと、かなでは感じていた。

 朝食は本当に美味しかった。

 パンもジャムもヨーグルトともフルーツも。

 女の子好みのメニューだからか、どちらかといえば客層は女性が多かった。

 かなではこのようなホテルを選んでくれた東金に感謝する。

「東金さん、蓬生さん、有り難う」

「…千秋が小日向ちゃんが好きそうな場所を探したんや。気ィ引こうと思うてるんかも」

 土岐がちらりと挑発をするかのように大地を見る。

 誰もが副部長対決があるのかと、ある意味楽しみで緊張しているようだった。

「こちらこそ素敵なもてなしを有り難う。俺も星奏のメンバーも、至誠館のメンバーも、勿論、感謝している。このような素晴らしい歓迎をしてくれたんだからね」

 あくまでも大地は挑発には乗らないとばかりに、クールを装っている。

 だが、何処か楽しんでいるようにも、かなでには見えた。

「おい、かなで、ふたりとも似た者同士だよな…」

 響也がそっと耳打ちをしてきて、かなではそれを苦笑いで認めた。

 仲間たちと食べる最高の朝食。

 これだけしっかりと楽しんで食べることが出来たら、更にパワーが出るというものだ。

 かなでは、朝からもりもりと食べて、この後の練習に備えた。

 

 練習場所は、三宮駅近くの貸しスタジオだった。

 ここならば、みっちりと練習することが出来る。

 各校が別れてそれぞれの練習場所でみっちりと練習をするのだ。

 何処も高校生としたらかなりのレベルを持っているから、全国大会よりも素晴らしい演奏をしなければならない。

 かなでたちにはプレッシャーだった。

 だが、今回は争うために集まったわけではない。

 お互いの成長ぶりを見極めるためだ。

 かなでは、ファーストヴァイオリンとして、やるべきことをやるのと同時に、とことんまで楽しもうと思った。

 自分達が一生懸命演奏をするのはもちろんだが、他の高校の演奏を聴くことが出来るのも、かなり勉強になるとかなでは思った。

 練習では、相変わらず律がかなり厳しかったが、かなではそれでもしっかりと着いていくことにした。

 充実した練習だ。

 ほぼ休みなしで、かなでたちはアンサンブルの練習を続けた。

 大地がいる。律がいる。響也がいる。ハルがいる。

 アンサンブルを組むには、ベストなメンバーだと思っている。

 このアンサンブルで演奏出来るのも後少しなのだ。

 そう思うと、たとえ練習時間であったとしても、かなり貴重だった。

 

 みっちりとアンサンブルの練習をしたからか、本当にくたくたになってしまった。

 あんなにも立派な朝食を食べたというのに、既にかなりお腹がペコペコになった。

「腹が確実に減るのも想定して、朝食が立派なあのホテルを選んでくれたのかもしれないね」

「そうですね。ああやって相変わらずひとをからかうようにしていますが、本当に良く考えてくれているのだなあって思います」

「そうだね」

 かなでは大地と話ながら、ヴァイオリンの後片付けをした。

 

 午後からは自由行動だ。

 いよいよ楽しみにしていた大地との神戸散策が始まる。

 かなではうきうきしながら、支度をする。

「ひなちゃん、お腹が空いたね。先ずは中華街にでも繰り出そうか」

「はいっ!」

 神戸にも中華街がある。

 大地とかなでは中華街へとのんびりと歩きながら向かった。

 神戸の中華街は、横浜よりも規模は小さかったが、美味しそうな店が沢山あった。

 その中でも、先ずは、列が出来ている豚マンの店へと向かう。

「蒸したてが美味しいですよね」

「そうだね」

 大地とおしゃべりをしながら、順番を待つ。

 買った豚マンを、早速、大地とふたりで囓ってみる。

「うわあ! 美味しい!」

「流石は列が出来るだけあるよね。だけどこれだけじゃ足りないから、他にも散策しようか」

「はい」

 かなでは大地としっかりと手を繋ぐと、中華街を散策した。

 



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