*蜜よりも*


 吉羅がこんなにも強引だなんて、香穂子は思わなかった。

 驚いたままでいると、そのまま腕を取られたまま、車に連れていかれてしまう。

 大好きなひとにこのような一面があるなんて、香穂子は思っても見なかった。

 強引に力任せで腕を引っ張られる。

 吉羅の指が食い込んで痛い。

 香穂子が顔をしかめると、吉羅は直ぐに気付いたようだった。

「……すまない。大丈夫かね?」

 いつも冷静沈着な吉羅には珍しい行為に、香穂子は笑顔になった。

「……大丈夫ですよ。大丈夫だから、なにも言わなかったんですよ。吉羅理事長。少し痛かっただけですから」

 香穂子が冷静に伝えると、吉羅はホッとしたようだった。

 いつもとは逆だ。

「すまなかったね。君と話をしたかっただけだからね」

「はい。分かっています。……だけど、お話ってなんでしょうか?」

 香穂子は少しだけ不安にはなりながら吉羅を見た。

「……君のヴァイオリンの成果が聞きたくてね。最近、報告を受けてはいないからね」

 吉羅はさらりと何でもないことのように言うと、車を発進させる。

「車の中より、落ち着いて話が出来るほうが良いだろうからね。レストランにでも行こうか。バーに誘いたいところだが、今日はあいにく、車だからね」

「落ち着いて話をしなければならないことでもあるのですか?ヴァイオリン以外で……?」

 香穂子は不安になってしまう。

「いいや。ヴァイオリンのことだけだ」

 吉羅はキッパリと言ったが、何時ものような歯切れはなかった。

 車は横浜の郊外にある、静かな創作料理のレストランの駐車場に停まる。

 見晴らしがとても良く、遠くに横浜の中心街が見えた。

 とても夜景が綺麗に見える。

 席にかけると、吉羅がじっと見つめてきた。

 艶やかな眼差しに、香穂子はドキリとせずにはいられない。

 香穂子は吉羅をちらりと見つめた。

「ヴァイオリンの調子は如何かね?」

「まあ、ぼちぼちというか……。自分なりにベストを尽くしてはいますけれど、更に上を目指さないといけないかと、思っていますよ」

 最近、吉羅のことばかりを考えてしまい、練習に力が入らないなんて言える筈がない。

 そんなことを、吉羅が許してくれるはずがないのだから。

「そうか。君には益々ヴァイオリンを頑張って貰わなければならないからね。精進したまえ」

「はい……」

 吉羅は、恋をして浮わついている香穂子に、釘を指したいから、こうして呼んだのかもしれない。

 そんな気にしかなれない。

 吉羅がこうして素敵なレストランに連れて行ってくれる時には、何らかしらの学院の利益が絡んでいるだろうから。

 何度も会食を続けてはいるが、それは香穂子が、吉羅にとっては大切なコマに過ぎないからだろう。

 香穂子はそれを痛感してしまい、胸が苦しくなる。

 料理が運ばれてきても、なかなか手をつけられずにいた。

「日野くん、食べたまえ。いつもの元気はどうしたのかね?」

「有り難うございます。いただきます」

 こんなロマンティックなレストランで、大好きな吉羅とふたりきりなのに、デートではなく、ただの報告会だなんて、何だか切なくなる。

 本当は、吉羅とデートをしたいのに。

 香穂子は胸が苦しい。

 吉羅がデートをするのは、きっとあの美しいひとだけなのだ。

 それだけだ。

「また、ヴァイオリンの報告は理事長にしますね。こうして、わざわざ機会を儲けて頂くだけでは申し訳ないですから」

 香穂子がにっこりと微笑むと、吉羅は困惑したような表情を浮かべる。

「気にしなくても構わない。私は君と食事をしたくて、話をしたいからこそ、こうして付き合って貰って要るのだからね」

「有り難うございます」

 香穂子は穏やかに礼を言いながらも、胸が痛む。

 それが香穂子にとっては、残酷なのだということを、吉羅は果たして分かって要るのだろうか。

 そればかりを思ってしまう。

「さあ、食べようか。ここの料理は美味しいからね。冷めると勿体無いからね」

「有り難うございます」

 香穂子は返事をすると、ぎこちなく食事をする。

 吉羅も同じようで、何処かぎこちない。

 それどころか、何度か眼差しを香穂子にしっかりと向けてきた。

 こんなにも情熱的な眼差しで見つめられると、一瞬、吉羅に恋されているのではないかと、勘違いをしてしまうではないか。

 香穂子はドキドキとしてしまい、喉がからからになるのを感じていた。

「……日野くん、メイクを変えたのかね?」

 吉羅がさりげなく訊いてくる。

 気付くところは、流石は吉羅暁彦といったところだろうか。

「もう少し大人のメイクが出来ればと、思ったんです。それで天羽さんに相談して、メイクを少し変えてみたんです」

 吉羅に釣り合うように。

 大好きなひとに綺麗だと思って貰えるように。

 そんな下心が満載なのだけれども。

「私も年齢的に大人になりましたから」

 年齢的には大人なのだ。

 ただし、吉羅は認めてはくれないが。

「……そうか。君ももう二十歳なのだね。私も年を取るはずだよ」

 吉羅はフッと自嘲ぎみに微笑んだ。

「だが、君はまだ学生だ。大人だと言うのは、社会人になってからではないのかね?」

 吉羅の冷徹な言葉に、香穂子は泣きそうになる。

 確かに吉羅のいう通り、学生である以上は、子供なのだ。

 それを指摘されるのが苦しい。

「理事長にとっては、私はまだまだ子供なのかもしれないですね」

「……そうだね。君はまだ、子供だ」

 吉羅はキッパリと言い切るが、一瞬、逡巡したかのように迷う間があったのも、また確かだった。

 だが、子供は子供なのだ。

 どうあがいても、あの女性には追いつけないのだろう。

 それが、香穂子には辛いところだ。

「社会人になれば、理事長は私を大人の扱いをして下さいますか?ううん。きっと、いつまでも理事長にとっては、私はまだまだ子供なんでしょうね……。私が、子供を持ったとしても」

 いつまでも子供扱いをされていると、ひしひしと感じながら、香穂子は吉羅を見た。

 だが、吉羅はいつもとは違い、明らかに不快が感じられる表情をしていた。

「日野くん、君は子供を持つ予定でもあるのかね?相手が決まっているのかね?」

 吉羅は厳しい視線を香穂子に真っ直ぐ投げかけてくる。

 もし、視線が凶器になるのであれば、香穂子は死んでいただろう。

「予定もないですし、相手もいません。どうしてそのようなことを訊かれるんですか?」

 香穂子の言葉に反応するように、吉羅は手を思いきり握り締めてきた。



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