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香穂子は、胸が華やかなリズムを刻むのを心地好く思いながら、吉羅を待つ。 甘いときめきというのは、このことを言うのではなかろうか。 そんなことを思う。 早く吉羅に逢いたい。 だが、ドレスを脱いで、美しくして貰った魔法から脱却しなければならない。 香穂子がドレスを脱ごうとしたとき、ノックが響き渡った。 香穂子を早く抱き締めたい。 香穂子がパーティ会場から楽屋に向かって直ぐに、吉羅も向かった。 香穂子を早く抱き締めたかった。 香穂子の華奢な躰をギュッと抱き寄せて、このまま離したくはないと思った。 吉羅は香穂子がいる楽屋までかなり速足で歩く。 吉羅はいち早く一緒にいたかった。 楽屋前に来ると、吉羅は息を乱して、ドアをノックする。 取り乱してしまいたくなるほどに、香穂子を求めている。 ただ、恥ずかしくて知られたくなくて、吉羅は息を整えた。 ノックが響き、いつものように冷静な声が響き渡る。 「日野君、私だ」 「はい」 吉羅の声が聞こえるなり、香穂子は直ぐにドアを開けた。 「お待たせしたね」 「まだ、着替えてないですからそんなにも待っていませんよ」 「そうか…」 吉羅はホッとしたように言うと、楽屋に入ってきた。 「…送ろう。その前にお腹も空いているだろうから、食事でも如何かな?」 「有り難うございます。お腹が空いてきました。直ぐに着替えますから、少しお待ち頂けますか?」 「このままで構わないよ」 吉羅はスッと目を細めると、情熱的なまなざしを向けてきた。 このような熱いまなざしで見つめられたら、胸の奥が切なく燻る。 甘くて熱くて、どうして良いのかが分からないぐらいに胸の高まりを感じた。 「このままで構わないんでしょうか?」 レンタルしているものだから、不安になる。早く返さなければならないのではないかと。 「ああ。大丈夫だ」 吉羅がキッパリと言い切ってくれたので、香穂子がホッとしたのは事実だった。 「では君の私物を持って行こうか。ゆっくりと落ち着いて食事をしよう」 「有り難うございます。とっても楽しみですよ!」 最高にドレスアップをして、吉羅と一緒にディナーを楽しむことが出来るなんて、魔法に掛かったかのようだ。 しかも幸せな魔法だ。 「香穂子、行こうか」 吉羅は香穂子の手をギュッと握り締めると、エスコートをして駐車場まで向かってくれる。 幸せ過ぎて、香穂子はつい笑顔になる。 吉羅の車に乗り、香穂子はうっとりとロマンティックを感じる。 ホテルから出ると、夜景がとても綺麗で、まるで宝石を眺めているかのようだった。 「本当に夜景は綺麗ですね」 大好きでたまらなくて、最高に素敵だと思うひとが横にいて、香穂子はただただ嬉しいと思う。 こんなに幸せな感覚はそううそう見つからない。 「夜景、綺麗ですね」 「そうだね。だが、夜景をもっと堪能出来るところに向かっているよ。楽しみにしたまえ」 「はい」 香穂子は笑顔になると、この先のことが楽しみでしょうがなかった。 吉羅は横浜の夜景を楽しむことが出来るレストランに連れていってくれた。 お腹が空いているはずなのに、空いていない。 そんな感覚が香穂子に宿る。 吉羅がくれたロマンティックにときめく余りに、香穂子は胸もお腹もいっぱいになってしまった。 出されて来る食事はどれも美味しい。 だがもっと美味しいのは、吉羅と夜景、そしてレストランが織り成す、ロマンティックだ。 このままだったら、霞を食べても生きていけるのではないかと思ってしまう。 それほどまでにときめきは最高潮に達していた。 今夜の香穂子は、離したくないほどに美しかった。 どうして良いか分からないほどに、香穂子が欲しい。 こんなにも美しい女性はこの世に存在しないのではないかと思わずにはいられなかった。 香穂子は本当に嬉しそうにしてくれている。 ときめいている香穂子は、なんて美しいのではないかと、吉羅は思った。 本当に綺麗だ。 香穂子の正面から見た顔も横顔も、どれを取っても美しい。 このまま帰さない。 自分の腕の中に閉じ込めて何処にも行かせない。 吉羅は強くそう思った。 食事は最高の筈なのに、その前には、更にそれよりも最高のものがあるからこそ、総てが満たされる。 ただ、香穂子が欲しいという欲望だけは、全く満たされていないと考えても良かった。 ロマンティックの仕上げはデザート。 とても綺麗で美味しいデザートの筈なのに、何だか物足りない。 いつもなら本当に幸せを感じるだろうに、今日に限っては全くといっても良かった。 デザートが終わると、このキラキラとした宝石のような時間は終わってしまう。 それを考えると、幸せな気持ちが切なさへと変わっていった。 最後の一口がどうしても食べられない。 これを食べてしまえば、夢のような時間は消え去ってしまうのだから。 甘いデザートの一口がどうしても食べられないのだ。 「…どうしたのかね?」 「…何だかお腹いっぱいみたいです。だけどとっても美味しそうなので、もう少し食べたいなあっと思っていたんです」 「そうなのかね」 吉羅はフッと笑うと、香穂子を真っ直ぐ見つめてくれた。 「…この後、少しドライブをして夜景を楽しまないかね? 君さえ良ければだが…」 願ってもない申し出に、香穂子はつい笑顔になる。 こうして吉羅と一緒にいられる。 それだけでどんなにか嬉しいことか。 香穂子は満面の笑顔を浮かべた。 ロマンティックがまだ続くのだ。 食べても飽きることがない甘いロマンティックが。 「是非、ご一緒させて下さい! 夜景を堪能したいです!」 香穂子は嬉し過ぎて、半ば興奮するような笑顔を浮かべる。 吉羅はそれを見て、柔らかな笑顔をくれた。 香穂子は嬉しくて、残していたデザートを一口でぺろりと食べてしまう。 口の中にデザート以上の美味しさが広がって、更に笑みを浮かべた。 「美味しそうな笑顔になるね」 「はい」 これでデザートを残したままでダラダラとする理由はなくなったのだから。 香穂子がにっこりとすれば、吉羅も笑ってくれる。 嬉しさと幸せが伝染しているようで、本当に嬉しかった。 吉羅とのロマンティックドライブは続く。 夜景が綺麗に見える穴場の場所に連れていって貰い、香穂子は思わず歓声を上げた。 まだまだ寒くて震えてしまうが、それを陵駕してしまうほどに夜景は綺麗だった。 夜景に夢中になってはいても、体は寒さには正直だ。 香穂子が躰を震わせると、途端にふわりとした暖かさが背中を包み込んでくれた。 「…あ…」 吉羅が背後からしっかりと抱き締めてくれている。 吉羅に包み込まれるだけで温かくて気持ちが良くて、思わず目を深く閉じた。 「これで寒くはないかね?」 「…はい…。とても温かいです」 「それは良かった」 「吉羅さんは寒くはないんですか?」 「大丈夫だ。君からも温もりを頂いているからね」 吉羅は微笑むと、香穂子を更に抱き寄せてくる。 男性らしい官能的なコロンの香りに、香穂子は心の芯から蕩けてしまいそうだ。 「…こうしているとお互いに温かいんですね」 「そうだね…」 吉羅は香穂子の手を優しく包み込んでくれる。 躰も心も満たされる。 このままずっとこうしていたい。 切ない願いに香穂子は胸を焦がす。 「…香穂子…、このまま今夜は帰したくない…」 香穂子が今、まさに望んでいることを、吉羅が口にした。 |