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意識を取り戻すのと同時に、香穂子はこのうえなく幸せな気分になった。 吉羅が腕の中で優しく包み込んでくれている。 幸せ過ぎて、ふふっと笑ってしまった。 秘密だけれど幸せ。 幸せだけれども秘密。 秘密でも、こうして二人きりの幸せな時間が過ごせることが嬉しかった。 「…香穂子…、気分は大丈夫かね?」 「はい、羽根が生えたみたいに幸せな気分ですよ。本当にほわほわとした気分です」 「それは良かった…」 「吉羅さんは…?」 吉羅も勿論、この幸せを共有してくれているだろう。 それだけで香穂子は嬉しかった。 「勿論、このうえなく幸せな気分だよ…」 吉羅は静かに笑うと、更に香穂子を抱き締めてきた。 「君を抱いてしまったら、離せなくなると思っていたんだが、益々そうなってしまったね…」 「吉羅さん…」 香穂子は胸がいっぱいになるぐらいに幸せな気分になり、泣きそうになる。 「香穂子…」 低い声でその名前を呼ばれて、香穂子は吉羅のまなざしを見た。 吉羅の瞳はいつも以上に真摯な光が宿っている。 「香穂子…、私は君をずっと離す気はない。君が離れて行こうとしたら、恐らくは地獄の果てまで追いかけていくだろう…。覚悟するんだね…? 君が何と言おうと、私は君を離さない」 吉羅はキッパリと言い切ると、香穂子の華奢な躰を思い切り抱き締めてきた。 息が出来ない。 それほどまでに愛されていることが嬉しくて、香穂子は本当に泣きそうになった。 吉羅がこんなにも求めてくれている。 それが嬉しかった。 香穂子も吉羅から離れる気なんてさらさらない。 「…吉羅さん…、吉羅さんも覚悟をして下さいね? 私も吉羅さんを離す気なんて、さらさらないですから。あなたが私を離そうとしたら、それこそしつこく食い下がるかもしれません」 香穂子は自分がこんなにも情熱的な言葉を話せるなんて思いもよらなかった。 吉羅をそれだけ愛しているということなのだ。 それはとても幸せなことだと、香穂子は思った。 「…大好きです…。吉羅さん…」 「私も愛しているよ…。香穂子、君が縋るよりも、私が追いかけるほうが早いかもしれないね」 「…それだったら、それで嬉しいですよ…。そんなことは有り得ないですから…」 香穂子が幸せにうっとりとしながら呟くと、吉羅は唇を重ねてくる。 甘い甘い奇跡の味がするキスに、香穂子はうっとりと溺れていった。 心地好い疲労を手にして、ふたりは眠りに落ちた。 本当にほわほわとした気持ちで眠れたせいか、疲労が一気に吹き飛んだ気分だった。 吉羅は、誰かの横で眠ることが出来るのは初めてだった。 今まではひとりでしか眠ることが出来なかった。 人の気配が苦手で、逆を言えば、本当に心から信頼している人間が少かったことを示している。 香穂は奇跡だ。 吉羅の世界に入り込めた唯一無二の女性だからだ。 もう香穂子以上に関わりを持ちたいという女性はいないだろう。 香穂子以外に、その気にさせる女性は現われないということだ。 吉羅は、生涯、香穂子を心から大切にしなければならないと、深く感じていた。 気怠い幸せに満たされた朝を迎えて、ふたりで朝食を取る。 もうすぐこの幸せな時間が終わりを迎えるかと思うと、香穂子は胸が苦くなるのを感じた。 切なくて苦しい瞬間だ。 どうして幸せな時間というのは、過ぎ去るのが早いのだろう。 いつもいつもそう思う。 幸せな時間は、息をしている間に、瞬く間に通り過ぎてしまうのだから。 香穂子は寂しくて、余り食が進まなかった。 「どうしたのかね? 気分が悪いのかね? それとも口には合わなかったのかね?」 吉羅がいつもよりは優しいクールさを滲ませながら訊いてくれる。 「いいえ、大丈夫です。…ただ、とても幸せな時間はあっという間に終わってしまうのだなって…、切なくなっていただけですから」 香穂子は誤魔化すように笑おうとしたが、上手く出来なかった。 「私もいつまでもこの時間が続けば良いと思っているよ。…だが、いつもの何気ない一日があるからこそ、こうして幸せな時間が際立つのではないかね?」 確かに吉羅の言う通りだ。 幸せな時間は、いつもの忙しい日々が輝かせてくれるのだ。 「だったら、切なくなっていたらいけないですね。日常の忙しい時間も大切にしなければなりませんね」 香穂子は笑顔になると、食事を始める。 「しっかりと食べて頑張らなければなりませんね。いっぱい食べます」 「そうだ。しっかり頂きなさい。また忙しくなるからね」 吉羅はフッと笑顔を浮かべると、静かに頷いてくれた。 そこからは香穂子はしっかりと食事をする。 「お腹が空いていたみたいです」 「それはそうだろうね」 吉羅に意味深に笑われてしまい、香穂子は真っ赤になってしまった。 「香穂子、だが、今日は素晴らしき休日だ。のんびりとゆっくりと過ごそう。君さえ良ければ、このまま、日曜日まで一緒にいようか…」 「はいっ!」 吉羅と幸せに愛し合った余韻からか、香穂子はすっかり、曜日や日付を忘れてしまっていた。 改めて今日が土曜日であることを確認して、つい笑顔になった。 「嬉しいです! まだまだ楽しい時間が残っているなんて! 凄く、嬉しいです!」 香穂子が笑顔になると、吉羅は頷いてくれた。 「まだまだ私達は一緒にいられるから」 「はい」 素敵な休日になる。 香穂子はそう確信せずにはいられなかった。 ホテルを出て、吉羅に車に乗せられる。 何処に向かうのか、全く見当がつかなかった。 「今日はのんびりとしよう。六本木に向かっている。私の家はそこだからね」 「はい」 吉羅の家に行くなんてドキドキしてしまう。 吉羅とドライブ感覚を楽しみながら、六本木へと向かう。 「君はドライブが好きだね。ドライブがてら、遠回りをしようか?」 「嬉しいです!」 「私もドライブをするのが好きだからね。君とは利害が一致するということだ」 「はい」 吉羅と一緒にドライブをするのが、香穂子にとっては、何よりも贅沢なデートだった。 高校生の頃も、今もそれは変わることはない。 香穂子は吉羅とふたりで爽快なドライブをしながら、なんて幸せなのだろうかと思う。 今日のことは絶対に忘れない。 そう思わずにはいられなかった。 吉羅とは本当にのんびりとした休日を過ごした。 ふたりの恋は秘密の恋だから、出来る限り、人目を避けてきた。 だから吉羅の自宅なのだ。 「すまないね、近場は色々とあるかもしれないと思ってね。今度、時間を取って何処か遠くへ行こう」 吉羅は済まなさそうに言うと、香穂子をそっと抱き締めてくれた。 「はい、こうして一緒にいられるだけで幸せですから」 「有り難う…。私もそうだ 。君と時間を過ごせたら、それで良い…」 「はい」 香穂子も本当にそれで良かった。 吉羅と一緒にいられるだけで幸せなのだから。 知られてはならない。 何も後ろぐらいことはしてはいない。 香穂子は吉羅に甘えながら、これだけでも幸せなのだと思うことにした。 「香穂子、そろそろ送らなければならないね」 「…そうですね…」 吉羅を見上げると、フッと微笑んでくれる。 本当は離れたくはない、 だが、仕方がないのだ。 吉羅を困らせるわけなはいかないのだ。 名残惜しそうに見つめると、吉羅もまた同じように抱き締めてくれた。 |