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吉羅と先ほどの女性との影が気になってしょうがない。 そんなところが子供なのだろうと思う。 吉羅はと言えば、相変わらず涼しい顔をしていた。 吉羅にすれば、自分自身の色恋沙汰に香穂子は関係ないのだから、当然と言えば当然なのだが。 それが香穂子にはほんのりと切ないのは、言うまでもないことだった。 吉羅とふたりでいると、どうしても気にしてしまう。 それだけ吉羅に恋をしているということが、言えるのかもしれない。 吉羅が連れて行ってくれたのは、美味しさとスマートさが両立されているレストラン。 いつも大人のスマートさをさり気なく見せてくれている。 それが香穂子には憧れであり、背伸びをして見る世界でもあった。 席に着いて落ち着くと、先ほどのことを訊けるかもしれない。 言葉にすれば簡単なのに、なかなか言い出すことが出来なかった。 吉羅にはなかなか言えないのは、やはり恋をし過ぎているからだろうか。 香穂子の探るようなまなざしに気付いたのか、吉羅はちらりと見つめてきた。 「日野君、何か言いたいことがあるのだろう?」 吉羅に真実を突かれて、香穂子はうろたえてしまう。 「構わないから言いたまえ」 吉羅は相変わらずの冷たいトーンで呟いてくる。 「は、はい。あ、あの、理事長」 「ふたりきりの時は“理事長”は駄目だ」 吉羅にピシャリと言われて、香穂子は姿勢を質した。 「吉羅さん、先ほどの女性は…」 この際ストレートに訊かなければ、ボロが出るだけだから、香穂子は思い切って訊いた。 「…財務関係のコンサルタントとして、話に来たんだよ。表向きは」 「表向き?」 「世話好きの知人が、私の結婚相手にと送り込んで来たんだよ」 吉羅の言葉に香穂子は驚いてしまう。嫌なドキドキで心臓が跳ね上がり、汗が滲んでしまう。 「…けっ、結婚って、吉羅さんは…されるんですか?」 本当に嫌な気分だ。 吉羅が結婚なんてしてしまったら、大失恋で立ち直れそうにない。 「…いつかは結婚したいとは思っているがね」 「…その…いつかって…いつですか?」 香穂子はつい素直に泣きそうな気分で呟く。 すると吉羅が優しい笑みを浮かべて香穂子を見た。 「…気になるのかな? お嬢さんは」 「はいっ、じゃなくてっ、えっと、そのっ」 つい素直に言ってしまい、香穂子はしまったと思ったが、後の祭りだった。 吉羅がおかしそうに香穂子を見ている。 余裕のある笑みで、何だか嫌だった。 「…日野君」 吉羅は柔らかな笑みを浮かべる。 「最近、私は縁談が沢山持ち込まれて困っているんだ。どうかね? 私の婚約者のふりをするというのは…」 「婚約者のふり!?」 香穂子は驚く余りに、声をひっくり返す。 目を丸く見開いて、ただただ吉羅を見た。 「困っているんだ。助けてくれないかね?」 吉羅は憐憫を誘うようなまなざしを、香穂子に向けてくる。 それを見つめるだけで、香穂子は催眠術に掛かったかのようになる。 吉羅が困っているならば。 それを堂々とした言い訳にして、香穂子はつい頷いてしまう。 「わ、私で良ければ…」 理性が感情の暴走を止める前に、唇が勝手に動いてしまう。 吉羅の願いであるというだけで、香穂子はつい聞いてしまうのだ。 結局、コンミスを引き受けた時も、吉羅の為だからというところが大きかった。 「有り難う、日野君」 吉羅は嬉しそうに甘く微笑む。 こんなにも甘い笑みを浮かべられたら、堪らなくなるではないか。 香穂子はついうっとりとしてしまった。 「君が最適だからね。私の事を最もよく解ってくれているのが君だからね。少なくとも私はそう思っている。君はひとを表面上で判断しないからね。地位だとか容姿だとか家柄とかではね」 吉羅は不快そうに顔をしかめた。 それはやはりあるのだろうと思う。 そしてそれが吉羅にとっては悩みの種なのだろうと、香穂子は思った。 「君なら私も気を遣わなくて良いから楽だしね。最適だ」 吉羅はそう言うと、食事を続けた。 そういう風に思ってくれているのは嬉しい。 だが、それは裏を返せば、女だときちんと認めて貰ってはいないからではないかと、香穂子は思った。 吉羅は内心ホッとしていたのは事実だった。 香穂子が引き受けてくれたのが嬉しくてしょうがない。 もし、上手くこれを利用することが出来たなら、香穂子ともっと近しい関係になるのではないだろうか。 そんなことを考えてしまう。 香穂子はどんどん綺麗になってゆく。 今夜なんて本当に綺麗だ。 あっという間に、誰よりも美しい大人の女になるのだろう。 それが容易に想像出来る。 誰よりも美しくなるのは解っているから、吉羅は早く香穂子を手に入れなければならないと思った。 こうして百面相な香穂子を見つめているだけで、吉羅は幸せな気分になれた。 幸せな気分にさせてくれる、唯一の女性と言っても良かった。 香穂子に偽婚約者を装って貰えば、恐らくは誰も縁談は持って来ない筈だ。 しかも香穂子をそばに置けるのだから、吉羅にとっては最も幸せな時間を過ごす事が出来る。 一石二鳥だと吉羅は思った。 「日野君、君は最近随分と化粧をするようになったが、誰か意中の相手でもいるのかね?」 吉羅はさりげなさを装って呟く。 すると香穂子は一瞬、恥ずかしそうな表情を浮かべた。 もしそうだとしたら、かなり嫌だ。 「あ、あの、きちんと化粧をしなければならないと思って…。私ももう大学生ですし…、間も無く成人しますから…。本当にそれだけ…なんです…」 香穂子は何処かしどろもどろに呟く。 本当は誰か気になる相手がいるのではないかと、思わずにはいられない。 「…そうか。私の婚約者の振りをして貰うためには、それぐらいのメイクはして貰わなければならないからね」 吉羅はわざとクールに呟いて、何でもないことのように香穂子を見た。 冷酷さを装うのは、吉羅が身に着けた処世術のひとつだ。 こうしていれば、自分が冷徹な人間であるとアピールして、本当の感情を隠す事が出来る。 吉羅にとっては、それが何よりも大切なことだった。 吉羅は相変わらず冷徹な男だと香穂子は思う。 こんなにも冷たい雰囲気を持つ男性は他にいない。 だが、時折見せる温かさが、吉羅の本質であることを、香穂子は充分に知っているから、少しも冷たさを感じない。 むしろ冷たさはフェイクのように思えた。 そんな吉羅の婚約者のふりをする。 これこそ大それたことのように思えてならなかった。 「これぐらいのメイクと服装だったら、吉羅さんと釣り合うでしょうか?」 そうならばこのスタイルを基本とすれば良い。 ただ、それだけだ。 「まだまだ…と言いたいところだが、充分かもしれないね。今のところは及第点にしておこうか」 「はい」 少しは大人びて見えるだろうか。 香穂子はそう思うと、ほんのりと嬉しかった。 「これから君には婚約者として、色々と頑張って貰わなければならないからね。君という婚約者がいるということを、パーティなどで積極的にアピールしなければね。君という婚約者がいれば、流石に、私にこれ以上の縁談を持ち込むことはないだろうからね」 「…縁談がなくなっても、ご結婚したいんですか?」 香穂子がストレートに訊くと、吉羅はふと目を伏せた。 「…それでも…ね」 吉羅の一言に、香穂子は複雑な気持ちになっていた。
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