*背伸びをしても*

2


 吉羅と先ほどの女性との影が気になってしょうがない。

 そんなところが子供なのだろうと思う。

 吉羅はと言えば、相変わらず涼しい顔をしていた。

 吉羅にすれば、自分自身の色恋沙汰に香穂子は関係ないのだから、当然と言えば当然なのだが。

 それが香穂子にはほんのりと切ないのは、言うまでもないことだった。

 吉羅とふたりでいると、どうしても気にしてしまう。

 それだけ吉羅に恋をしているということが、言えるのかもしれない。

 

 吉羅が連れて行ってくれたのは、美味しさとスマートさが両立されているレストラン。

 いつも大人のスマートさをさり気なく見せてくれている。

 それが香穂子には憧れであり、背伸びをして見る世界でもあった。

 席に着いて落ち着くと、先ほどのことを訊けるかもしれない。

 言葉にすれば簡単なのに、なかなか言い出すことが出来なかった。

 吉羅にはなかなか言えないのは、やはり恋をし過ぎているからだろうか。

 香穂子の探るようなまなざしに気付いたのか、吉羅はちらりと見つめてきた。

「日野君、何か言いたいことがあるのだろう?」

 吉羅に真実を突かれて、香穂子はうろたえてしまう。

「構わないから言いたまえ」

 吉羅は相変わらずの冷たいトーンで呟いてくる。

「は、はい。あ、あの、理事長」

「ふたりきりの時は“理事長”は駄目だ」

 吉羅にピシャリと言われて、香穂子は姿勢を質した。

「吉羅さん、先ほどの女性は…」

 この際ストレートに訊かなければ、ボロが出るだけだから、香穂子は思い切って訊いた。

「…財務関係のコンサルタントとして、話に来たんだよ。表向きは」

「表向き?」

「世話好きの知人が、私の結婚相手にと送り込んで来たんだよ」

 吉羅の言葉に香穂子は驚いてしまう。嫌なドキドキで心臓が跳ね上がり、汗が滲んでしまう。

「…けっ、結婚って、吉羅さんは…されるんですか?」

 本当に嫌な気分だ。

 吉羅が結婚なんてしてしまったら、大失恋で立ち直れそうにない。

「…いつかは結婚したいとは思っているがね」

「…その…いつかって…いつですか?」

 香穂子はつい素直に泣きそうな気分で呟く。

 すると吉羅が優しい笑みを浮かべて香穂子を見た。

「…気になるのかな? お嬢さんは」

「はいっ、じゃなくてっ、えっと、そのっ」

 つい素直に言ってしまい、香穂子はしまったと思ったが、後の祭りだった。

 吉羅がおかしそうに香穂子を見ている。

 余裕のある笑みで、何だか嫌だった。

「…日野君」

 吉羅は柔らかな笑みを浮かべる。

「最近、私は縁談が沢山持ち込まれて困っているんだ。どうかね? 私の婚約者のふりをするというのは…」

「婚約者のふり!?」

 香穂子は驚く余りに、声をひっくり返す。

 目を丸く見開いて、ただただ吉羅を見た。

「困っているんだ。助けてくれないかね?」

 吉羅は憐憫を誘うようなまなざしを、香穂子に向けてくる。

 それを見つめるだけで、香穂子は催眠術に掛かったかのようになる。

 吉羅が困っているならば。

 それを堂々とした言い訳にして、香穂子はつい頷いてしまう。

「わ、私で良ければ…」

 理性が感情の暴走を止める前に、唇が勝手に動いてしまう。

 吉羅の願いであるというだけで、香穂子はつい聞いてしまうのだ。

 結局、コンミスを引き受けた時も、吉羅の為だからというところが大きかった。

「有り難う、日野君」

 吉羅は嬉しそうに甘く微笑む。

 こんなにも甘い笑みを浮かべられたら、堪らなくなるではないか。

 香穂子はついうっとりとしてしまった。

「君が最適だからね。私の事を最もよく解ってくれているのが君だからね。少なくとも私はそう思っている。君はひとを表面上で判断しないからね。地位だとか容姿だとか家柄とかではね」

 吉羅は不快そうに顔をしかめた。

 それはやはりあるのだろうと思う。

 そしてそれが吉羅にとっては悩みの種なのだろうと、香穂子は思った。

「君なら私も気を遣わなくて良いから楽だしね。最適だ」

 吉羅はそう言うと、食事を続けた。

 そういう風に思ってくれているのは嬉しい。

 だが、それは裏を返せば、女だときちんと認めて貰ってはいないからではないかと、香穂子は思った。

 

 吉羅は内心ホッとしていたのは事実だった。

 香穂子が引き受けてくれたのが嬉しくてしょうがない。

 もし、上手くこれを利用することが出来たなら、香穂子ともっと近しい関係になるのではないだろうか。

 そんなことを考えてしまう。

 香穂子はどんどん綺麗になってゆく。

 今夜なんて本当に綺麗だ。

 あっという間に、誰よりも美しい大人の女になるのだろう。

 それが容易に想像出来る。

 誰よりも美しくなるのは解っているから、吉羅は早く香穂子を手に入れなければならないと思った。

 こうして百面相な香穂子を見つめているだけで、吉羅は幸せな気分になれた。

 幸せな気分にさせてくれる、唯一の女性と言っても良かった。

 香穂子に偽婚約者を装って貰えば、恐らくは誰も縁談は持って来ない筈だ。

 しかも香穂子をそばに置けるのだから、吉羅にとっては最も幸せな時間を過ごす事が出来る。

 一石二鳥だと吉羅は思った。

「日野君、君は最近随分と化粧をするようになったが、誰か意中の相手でもいるのかね?」

 吉羅はさりげなさを装って呟く。

 すると香穂子は一瞬、恥ずかしそうな表情を浮かべた。

 もしそうだとしたら、かなり嫌だ。

「あ、あの、きちんと化粧をしなければならないと思って…。私ももう大学生ですし…、間も無く成人しますから…。本当にそれだけ…なんです…」

 香穂子は何処かしどろもどろに呟く。

 本当は誰か気になる相手がいるのではないかと、思わずにはいられない。

「…そうか。私の婚約者の振りをして貰うためには、それぐらいのメイクはして貰わなければならないからね」

 吉羅はわざとクールに呟いて、何でもないことのように香穂子を見た。

 冷酷さを装うのは、吉羅が身に着けた処世術のひとつだ。

 こうしていれば、自分が冷徹な人間であるとアピールして、本当の感情を隠す事が出来る。

 吉羅にとっては、それが何よりも大切なことだった。

 

 吉羅は相変わらず冷徹な男だと香穂子は思う。

 こんなにも冷たい雰囲気を持つ男性は他にいない。

 だが、時折見せる温かさが、吉羅の本質であることを、香穂子は充分に知っているから、少しも冷たさを感じない。

 むしろ冷たさはフェイクのように思えた。

 そんな吉羅の婚約者のふりをする。

 これこそ大それたことのように思えてならなかった。

「これぐらいのメイクと服装だったら、吉羅さんと釣り合うでしょうか?」

 そうならばこのスタイルを基本とすれば良い。

 ただ、それだけだ。

「まだまだ…と言いたいところだが、充分かもしれないね。今のところは及第点にしておこうか」

「はい」

 少しは大人びて見えるだろうか。

 香穂子はそう思うと、ほんのりと嬉しかった。

「これから君には婚約者として、色々と頑張って貰わなければならないからね。君という婚約者がいるということを、パーティなどで積極的にアピールしなければね。君という婚約者がいれば、流石に、私にこれ以上の縁談を持ち込むことはないだろうからね」

「…縁談がなくなっても、ご結婚したいんですか?」

 香穂子がストレートに訊くと、吉羅はふと目を伏せた。

「…それでも…ね」

 吉羅の一言に、香穂子は複雑な気持ちになっていた。

 



Back Top Next