*すれ違い*

中編


 吉羅の家に到着すると、しっかりと手を繋いで家まで連れていってくれる。

 これには香穂子も感謝する。

 こうして愛するひとが気遣ってくれるのがとても嬉しかった。

「ソファに腰かけてゆっくりしなさい。あ、紅茶でも飲むかね?」

「紅茶よりも、温かなミルクが飲みたいです」

「解った」

 小さな我が儘にも応えてくれる吉羅に香穂子は心から感謝していた。

「どうぞ、ミルクだ」

「ありがとうございます……」

 香穂子は吉羅からミルクを受け取り、ホッとしたような柔らかな気持ちになる。

 吉羅がその横に腰掛ける。

「大丈夫かね? 無理をしすぎではないかね?」

「大丈夫ですよ。吉羅さんほど無理はしていないですから」

「そう言われると、身も蓋もないけれとね」

 吉羅は苦笑いを浮かべた。

「香穂子、呼び名が“吉羅さん”になっているよ」

「あ……。つい。公的な場所だったから……。暁彦さん」

「ああ。名字で呼ぶのは止めて貰えると助かる」

「はい……」

 香穂子ははにかんで呟くと、吉羅を見上げた。

「……今夜は余り無理はしないほうが賢明だ。お風呂に入ったら直ぐに寝なさい」

「ありがとう、暁彦さん。あのね、暁彦さん、そばにいてくれますか?」

「勿論。今夜の君は随分と甘えるね。私としては悪くないけれどね……」

「暁彦さん……」

 吉羅は香穂子をギュッと抱き締めてくれると、そのまま背中を優しく叩いてくれた。

 香穂子は、吉羅の背中にしっかりと掴まり、その温もりを感じる。

 こんなにも幸せな瞬間はないのではないかと思う。

 きちんとプレスが効いたカッターシャツにしがみついて、香穂子はついシワを作る。

 この完璧なカッターシャツにシワを作り出すことが出来るのは、自分だけ。

 そう思うと香穂子は自負する。

 吉羅の完璧ではない、人間らしい面を知っているのは自分だけだ。

 香穂子は強く感じる。

 誰にもこの役目を譲る気はない。

 香穂子は吉羅から感じるムスクの香りにうっとりとしながら、暫くはじっとしていた。

 こうしていると落ち着いて満たされた気持ちになる。

 香穂子はのんびりとした気持ちを抱いていた。

 暫く、リラックスしていたが、不意に気分が悪くなり、香穂子は吉羅を見た。

「……少し気分が悪いです。振り返したみたいで……」

「大丈夫かね!?」

「あ、洗面所に行きます」

香穂子は吉羅から素早く離れると、洗面所に向かった。

 戻してしまえば、随分と楽になった。

 スッキリしたといっても良かった。

 きちんと後始末をする。

 シャワーを浴びて眠るのが良さそうだ。

 振り返ると、吉羅が心配そうにこちらを見つめていた。

「……暁彦さん」

「気分はどうかね?」

「ありがとうございます。随分とましになりました。今夜はシャワーを浴びたら、直ぐに寝ますね?」

「解った。ベッドの準備をしておこう」

「ありがとうございます」

 吉羅の家には、もう何度も泊まったことがあるから、色々と必要なものはストックされている。

「……私も直ぐに支度をして、入って寝ますね」

「ああ」

 香穂子は素早くお風呂の準備をして、入る。

 メイクをきちんとしているせいもあり、香穂子は入念にメイクを落とした。

 これでさっぱりして眠れる。

 眠る準備を終えて、バスルームに戻る頃には、眠る準備は吉羅がしてくれていた。

「香穂子」

「暁彦さん」

「早くベッドに入って眠りなさい。今夜はしょうがないね」

 吉羅の言葉には勿論、セクシャルな意味も含まれていた。

 恥ずかしい。

 けれどもほんのりと嬉しかった。

 香穂子がベッドに入るのを、吉羅は見届けてくれる。

 その優しさに甘えて、このまま一緒にいたいと思ってしまう。

 吉羅は香穂子の額に、羽根のように優しいキスをしてくれる。

 それだけで、香穂子は満たされた幸せを感じていた。

 吉羅がバスルームに行ってしまうと、香穂子は寂しくてしょうがなくなった。

 吉羅に抱き締められて眠りたいだなんて、ワガママなことを考えてしまう。

 香穂子はベッドの中でじっとしながら、ひたすら吉羅を待った。

 大好きなひとだから、つい甘えてしまいたくなる。

 香穂子は吉羅に依存して生きていることを、改めて実感せずにはいられなかった。

 暫くして、吉羅が戻ってきた。

 シャワー後の吉羅は、無防備なぐらいに官能的だ。

 このまま独り占めしたくなるぐらいに艶がある。

 抱きつきたくてしょうがなくて、香穂子はつい物欲しそうに見つめてしまう。

「……暁彦さん」

 香穂子が甘えるように呟くと、吉羅はそっと頬を撫でてきた。

「どうした、まだ、眠っていなかったのかね?」

「暁彦さんにギュッと抱き締めて欲しくて……」

 恥ずかしくてしょうがないと思いながら、香穂子は正直に話した。

「……しょうがないね、君は」

 吉羅は苦笑いを浮かべたが、それは何処か優しかった。

 吉羅はベッドに入ると、香穂子を抱き締めてくれる。

 香穂子もまた、吉羅をギュッと抱き締めた。

 ふんわりとシャンプーとボディソープの香りがする。

 同じものを使っているから、今夜は素敵な香りを共有しているのだ。

 それが香穂子には嬉しかった。

「……良い香りがします……」

「君もね」

 お互いに同じ香りを共有するというのは、なんて素晴らしいことなのだろうかと思う。

 こうしてしっかりと抱き合うのが、何よりも嬉しい。

「こうしていると幸せです」

「ああ。だけど私には少し辛いかな?」

「え?」

 思いがけない言葉に、香穂子は目を丸くする。

「……忙しくて君に会えなかっただろう? あの時間が辛くてね、ずっと君を抱きたかった。愛したかった。だから、こうして抱き合っていると、私の理性が壊れそうになる。君は体調が悪いのにね……」

 吉羅の意味していることがわかり、香穂子は真っ赤になった。

「……暁彦さんなら、良いですよ……」

 香穂子がはにかみながら言うと、いきなり押し倒される。

「……だったら遠慮しない」

 吉羅は香穂子を艶やかに見つめたあと、愛し始める。

 吉羅の深い愛情を感じていると、調子が悪いことなんて気にならなくなる。

 香穂子は心から吉羅に愛されていることを、幸せに感じていた。

 

 愛し愛されたあと、香穂子の心から不安が消え去る。

 吉羅に愛されている。

 そう感じるには、やはり、吉羅のそばにいられることが大切だと、思わずにはいられなかった。



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