*I Honesty Love You*


 高級フレンチレストランということで、食事は申し分ないものだった。
 吉羅には様々な高級飲食店に連れて行って貰っていたせいか、香穂子の舌はかなり肥えていた。
 今では舌で味の善し悪しが解るぐらいだ。
 素敵な生のジャズ演奏はとてもロマンティック。ヴァイオリニストだからか、香穂子は熱心にヴァイオリンの音色だけに集中して聴いていた。
 そうすれば、吉羅のことを気にしないで済んだから。
 吉羅の鋭いまなざしに怯える必要がなかったから。
「素敵な曲ですね」
 ふとロマンティックなバラードが奏でられ、香穂子は飛び付くように耳に意識を集中させた。
「“誰かが誰かを愛している”ジャズのスタンダードだ」
 吉羅の硬い声に、香穂子は僅かに頷いた。
 タイミング良くデザートがやってきて、香穂子はそれを食べながら、ヴァイオリンの音色に集中する。
 なんてロマンティック。そしてなんて切ない。
 吉羅は相変わらず、香穂子には冷たい光を投げている。
 先程、あんなにも温かくて優しい手を結んでいた相手だとは、到底信じることが出来なかった。
 あの慈しみ溢れる温もりは、総て幻だったのではないかと、香穂子は思わずにはいられなかった。
泣きたくなる。
 どうして吉羅のこころを掴みきることが出来ないのだろうか。
 何時まで経てば、温かなまなざしで見て貰えるようになるのだろうか。
 香穂子は甘いデザートを食べているのに苦くてしょうがなかった。
 とうとういたたまれなくなり、香穂子は中座する。
「少し失礼します」
 香穂子はそれだけを言うと、化粧室へと向かった。
 化粧室に入ってひとりになり、鏡の前で自分の顔を見た瞬間、緊張が解けて香穂子は涙を零した。
 一生懸命吉羅の背中を追いかけてきたのに、それも総て無駄だったなんて。
 涙が零れてどうしようもない。
 きっと何時まで経っても吉羅には追いつくことなんて出来るはずない。
 あんなにも子供だと思われているのだから。
 香穂子はハンカチで涙を拭った後、化粧室から出ようとして、踵に痛みを感じた。
「いたあ…っ!」
 左右どちらの踵にも痛みを感じて、香穂子がハイヒールを脱ぐと、大きな靴擦れを作っていた。
 かなり痛くて、涙が滲む。
 きっとこれは、似合わないのに背伸びをした罰なのだ。
 そう思うと、情けなくてまた泣けてきた。

 香穂子が中座した後、金澤と吉羅はふたりになり、どこか気まずい空気を出していた。
「…吉羅よ…。先程からのお前さんの日野に対する態度…。あれはないだろう? 冷た過ぎる」
「金澤さん、私はいつも通りにしたまでです」
 吉羅はあくまでしらっとして言う。ポーカーフェースを装わなければ、切なくて苦しい感情を金澤に知られてしまうから。それが嫌だった。
「…お前さん、日野とふたりきりの時、あんなに愛しそうに日野を見て、守るように手を握っていたじゃねーか。あれは違うのかよ」
 見られていたのを解っていたから、吉羅はわざと香穂子から手を離したのだ。
「あれは日野君が何度も躓いていたからですよ。あんなハイヒールを履いていたら当然ですが」
 吉羅があまりにも淡々と話すからか、金澤は苛々を募らせていく。
 どこか非難しているようにも、怒っているようにも見えるような瞳を、吉羅に向けて来た。
「アイツはお前さんのためにだけ、ハイヒールを履いてお洒落したんだぜ!? そこは解っているのか?」
「…日野君がどのような格好をしようが、何をしようが、私には関係ないですから…」
 本当は、香穂子の姿を見るなり、息が苦しくなるほどに綺麗だと思った。
「…じゃあ、お前さん、俺が今後、日野にアプローチをして付き合うようになっても良いってことなんだよな?」
 金澤の瞳を見ると、本気であることが解る。
 金澤が香穂子を生徒以上に思っていることを、吉羅は気付いていた。
 苛々する。
 落ち着いてなんていられない。
 香穂子を慕う者が多いのは、出会った頃から知っていた。自分は決して彼女の賞讃者にはならないと思っていた。あの頃は。
 第一印象は負けん気は強いが、どこか透明な柔らかさを持っている少女。今時の女の子としては珍しいタイプだと思っていた。
 関わるにつれて、ころころと変わる表情が魅力的な少女だと思うようになった。容姿も魅力的で、絶世の  美女とは呼べないかもしれないが、集団にいると目を惹く。
 だが一番魅力的なのは真っ直ぐ前向きな思いやりのあるこころだった。
 こんなにも誰かに惹かれたことなんて、今までなかったかもしれない。
 無邪気な童女のような部分も、ハッとさせられる大人びた部分も、こんなにも魅力的な相手はいない。見る角度によって、毎回新たな発見をさせられて、吉羅のこころを翻弄する。
 吉羅は金澤をもう一度見た。その瞳には、明らかな宣戦布告が滲んでいる。
 もう後輩になんて譲れないとばかりに、吉羅を見ている。
「…お前さんがその気ならば、日野の為にもここは引くのが得策かもしれないが…、お前さんが本気でないならば、俺は引かない」
 キッパリと宣言をされて、吉羅の胸は切迫する。
 こうして堂々と宣言が出来る金澤を、男として羨ましく思う。
「日野をお前が傷付けるようなことをすれば、俺は許されないし、他の連中も許さないだろうな。…ま、お前さんがうかうかしていたら、日野はあっという間にお前さんから離れていく。もう、ドライブに誘っても、着いていってくれなくなるぞ。誰かにさらわれるんだよ、お前さんが初めて本気になった女をな」
 金澤はいつになく饒舌だ。本人は、久し振りに酒を飲んだからだと言っていたが、本当は吉羅に対しての 最期通告だったのだろう。
 吉羅の世界から日野香穂子がいなくなる。
 そんなことを今まで幾度となく考えては、結論を先回しにしてきた。
 香穂子を失うことを恐れて、吉羅は今までずっと一歩先を踏み出せないでいた。恋の深みにはまってしまえば、取り返しのつかないほどに傷付いてしまう自分が、安易に想像出来たから。
 だが一歩踏み出さなければ、やがて香穂子を本当の意味で失ってしまうことを、今、ようやく気付いたのだ。
 何もしないままで失うのは、姉だけで良い。
 吉羅は浅く深呼吸をすると、金澤を見る。
「日野君は誰にも渡しませんから」
 吉羅は言葉の重みを感じながらも、キッパリと宣言してしまえば、とても気分が楽になることに気付いた。
 それどころか、華やいだ気分にすらなる。
 ふと吉羅の視界に、香穂子の姿が飛び込んできた。
 脚を怪我しているのか香穂子が躓きそうによろめいた瞬間、吉羅は誰よりも早く駆け寄っていた。
「日野君…!」
 香穂子が倒れ込む前に、その腕に閉じ込める。
 柔らかく華奢な躰を抱き留めた時、もう離せないと思った。

 足が痛くてしょうがない。
 まるでこころに共鳴しているかのようだ。
 涙が零れてしまいそうだ。香穂子は洟を啜り、顔をしかめながら、吉羅と金澤が待つテーブルへと戻る。
 きっと吉羅のことだ。
 背伸びをするからだと、揶揄するに違いない。それを想像するだけで、香穂子は溜め息が出そうだった。
 足の動きがおぼつかない。
 痛みがまた走り抜け、香穂子はバランスを崩した。
「…あっ…!」
 このまま転んで吉羅に馬鹿にされてしまう。
 そう思った瞬間、逞しい腕に抱き留められていた。
 ほんのりと香る香穂子のこころを乱すコロン。
 顔を上げると、そこには心配そうに見つめてくる吉羅の瞳があった。
「大丈夫か!?」



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