5
大通りに出て、吉羅はタクシーを拾う。 今日は飲酒するつもりだったから、車を乗っては来なかった。 飲酒とは言っても、人一倍健康に気遣う吉羅は、それほどの量を飲む事はない。酒を楽しむのは好きだが、溺れているわけではない。 溺れるとするならば、それは何かを解っている。 横にいる少女と女のはざかいにいる女性だ。 一度手にしてしまえば、どうしようもないほどに溺れてしまうだろうから。 ふたりでタクシーの後部座席に座る。緊張しているのか香穂子は微妙な距離感を保っており、それがおかしかった。 いつもとは違った意味で落ち着きがない香穂子が、どこか愛らしい。 さり気なく手を握れば、香穂子は頬を染めて吉羅の手を握り返してくれた。 柔らかな温もり。 吉羅はいつまでもその温もりを捕まえていたかった。 吉羅の車ではないから、いつものように話をすることが出来ない。 その上、吉羅の自宅に向かっているのだから、余計に話すことなんて出来ない。 ただじっと吉羅の横顔を見つめた。 綺麗な横顔。 うっとりと見つめたくなるほどに整った横顔に、時折車のヘッドライトがあたり、より魅力的に見せている。 しっかりと手を握りあって、ただ見つめあうだけ。 話してはいないのに、お互いの熱い想いが伝わるような気がした。 タクシーは静かに吉羅の住処に到着し、香穂子の手を握り締めたままで車から降りる。 心臓が飛び出してしまうほどに香穂子の緊張が高まり、苦しくなった。 「香穂子…」 吉羅の深い声で名前を呼ばれて、嬉しさの余りに震える。 「緊張している?」 「あ、あの…、す、少しだけ緊張しています…」 香穂子の慌て振りに、吉羅はくすりと柔らかい笑みを浮かべる。 「私も緊張しているよ」 「え…?」 吉羅が緊張するなんて、香穂子は信じられない。その余裕がある横顔を見上げると、吉羅は照れたような拗ねたような顔をした。 「…おいで」 「はい…」 吉羅に着いて行くのに何のためらいもない。 香穂子は喉がからからになってしまうのを感じながら、吉羅に縋るようにその手を握り締めた。 吉羅は無言だったが、いつもよりも温かな感情が感じられる。 セレブリティが多く住んでいるせいか、セキュリティはかなり厳しい。それを吉羅は辛抱強く解除していった。 「最高のセキュリティだからここに住み始めたが、こんなにもセキュリティの解除が面倒なものだとは思ったのは、今日が初めてだけれどね」 吉羅は苦笑いをしながらエレベーターに乗り込んだ。 ずっと手を握り締めてくれるのが嬉しくて、香穂子は興奮してしまう余りに呼吸を乱した。 「まあ、こんなに面倒臭いと感じるここにいるのも、後少しだけれどね」 「引っ越しされるんですか?」 「ああ。横浜に戻ろうと思っているよ。学院に通うのも便利だし、それに…」 吉羅はちらりと意味深に香穂子を見つめる。 「それに横浜に住めば、君と逢いやすくなる」 吉羅の言葉に、香穂子のこころは芯を失ってしまいとろとろになった。 話しているうちに、吉羅の自宅に到着する。 「殆ど眠る為だけにある部屋だからね。何もないがそれは許して欲しい」 「おじゃまします…」 香穂子はキョロキョロしながら、吉羅の後を着いて行く。 夜の闇と、冷たさしか感じられない部屋だった。 ほんのりとしたホテルのような照明に、香穂子はここが温もりのない場所なのだということを思い知らされてしまった。 「ソファに座ると良い。生憎、君が好きな甘いジュースとかはないが、ミネラルウォーターならある」 「ミネラルウォーターで良いです」 まるで子供と同じような扱いを受けて、香穂子はぷいっと拗ねる。その様子を見た吉羅が笑ったものだから、更に拗ねてしまう。 子供じゃない。 子供だったら、一人暮らしの吉羅に着いていくなんてことはしなかった。 めいいっぱい背伸びをしているかもしれないが、こころはすっかり女になっていた。 「どうぞ」 スパーリングウォーターを出してくれ、香穂子は緊張しながらそれを受け取った。 「相当緊張しているようだね。タクシーでも無言だったし…」 「…あ。あれは…、吉羅さんの運転じゃなかったから落ち着かなかったこともあって…」 「私の運転だと落ち着くのかね?」 吉羅が息がかかる程に近い場所に腰を下ろしたものだから、香穂子は息を乱しながら小さく頷いた。 緊張しているのに、震えているのに全く嫌じゃない。それどころか、抱き締めて欲しいとすら思っている。 吉羅に強く抱き締められたらどんなに幸せだろうかと、躰中の細胞が囁いている。 息をどうして良いのか解らないぐらいに追い詰められる。 「…私の運転を気に入っている?」 「…あ、はい。吉羅さんの運転って、とっても丁寧ですから…。スピードもちゃんと出ているのに怖くないし、 乱暴でもありませんから…。だからとても乗り心地が良いんですよ。吉羅さんの運転する姿を見るのも好きですけど」 香穂子は素直に日頃思っていることを言う。 吉羅の表情に明らかに喜んでくれているかのような表情が浮かび上がり、香穂子もそれに釣られるようにして笑った。 こうしと微笑んでくれるのが、何よりも嬉しい。 「…あっ…!」 突然、抱き寄せられてしまい、香穂子は甘い声を上げてしまう。 ずっと抱き締めて欲しかった。 ずっと逞しい吉羅の胸に顔を埋めたかった。 それが今現実に叶っている。 「…君が余りに嬉しくて可愛いことを言うから…」 吉羅の声はくぐもり、いつも以上に艶やかさを帯びている。 こころが痛くなる程の潤んだ喜びに、香穂子は泣きそうになった。 「…君が…せめて高校を卒業するまでは…、待とうと思っていたのだが…、それも限界のようだね…」 吉羅は自嘲ぎみに笑うと、香穂子の頬を撫でてきた。 「…理性を保つのも、冷静でいるのも、自信があったのにね。君と出会ってしまってからは、それがいかに上辺だけのものだということを知ったよ…」 吉羅は溜め息を吐くと、香穂子の唇に自分のそれを近付けてく。 キスなんて初めてだから、香穂子はどうして良いかが解らない。 震えながら目をギュッと瞑ると、吉羅から笑みが零れ落ちる。 「…力を抜いて…」 吉羅の声はまるで魔法のようで、ゆっくりと呪文のように香穂子に語り掛けてくる。 香穂子は魔法に掛かったかのように、力をするりと抜いた。 吉羅の唇が近付いてくる。 唇が触れ合った瞬間に、愛を感じた。 皮膚で一番薄い部分がお互いに重なりあって、想いを伝え合う。 冷たかった唇がお互いの想いによって温められていった。 唇がより深い角度で重なり、吉羅の舌が、香穂子の歯列を割って口腔内に入り込んでくる。 甘くて背筋が震えてしまうほどの切ない快楽が、躰の隅々まで満ち溢れてくる。 これが恋なのだということを、香穂子は生まれて始めて知った。 自分が今まで“恋”だと思っていたことは、いかに上辺だけのものであったかを、香穂子は思い知らされた。 お互いの感情を熱で交換し合うことで、更に恋心が高まることになるなんて思いもよらなかった。 吉羅の舌が、香穂子の上顎をくすぐってきた。こそばゆいのに気持ちが良くて、何だか頭がぼんやりとしてくる。 躰の奥がぼんやりと熱くて、全身に力が入らなくなった。 唇を離されるともっと欲しくなって吉羅を激しく求めてしまう。 ふたりは繰り返し繰り返しキスを重ねた。 キスをし終えると、吉羅は香穂子を見つめる。その欲情が滲んだ瞳に香穂子は焼かれた。 「覚悟は出来ている?」 吉羅に魅入られて、香穂子はただ頷くことしか出来なかった。 |