*秋からのラヴソング*

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 素直な自分の気持ちで決めて欲しい。

 ならば、答えは決まっている。

 音楽科に転科したい。

 もっと深く勉強をしたい。

 許されるのであれば。

 環境は吉羅が何とかするとまで、言ってくれた。

 それならば、その厚意に応えるしかない。

 吉羅と顔を合わせて伝えたい。

 音楽科に転科すると。

 吉羅がヨーロッパに行っている間、香穂子は様々なことを考えた。

 転科のプラスとマイナスについてを。

 マイナスよりも、プラスについてばかり思いついたのも、また事実だった。

 マイナス面は、自分がしっかりと意志を貫き、そして誰よりも香穂子を守ってくれる吉羅のバックアップがあれば、大丈夫だと心から思える。

 だから大丈夫。

 絶対に大丈夫だと、香穂子は確信を持っていた。

 吉羅がいれば、乗り越えられる。

 厳しくて、優しい眼差しで吉羅が見守ってくれるから、頑張ることが出来る。

 香穂子はそう確信することが出来た。

 何かを新しくチャレンジをするのに、ここまで大丈夫だと確信するのは、初めてかもしれない。

 これも吉羅のお陰だ。

 吉羅がいるからこそ、香穂子は頑張ることが出来るのだと、自分自身で確信をする。

 こんなことは、初めてかもしれない。

 香穂子は、一旦、転科をすると決めると、安堵と新たなやる気に、ヴァイオリンの勉強にも、かなり力を入れることが出来た。

 これも吉羅のお陰だ。

 本当にどうやって恩返しをして良いのやら、香穂子には分からなかった。

 吉羅がいてくれるからこそ、香穂子はヴァイオリンに集中出来るのだと、改めて感謝することが出来た。

 これほど誰かに感謝出来るのは、初めてかもしれない。

 香穂子はそう考えずにはいられなかった。

 

 いよいよ、吉羅が日本に帰ってくる。

 香穂子は学校が終わるなり、直ぐに成田に向けて出発した。

 成田までの交通費は本当にバカにできない。

 香穂子のような、しがない高校生には特にだ。

 だが、そんなことがどうでも良いと思ってしまうぐらいに、香穂子は吉羅に会いたかった。

 こんなに誰かに会いたくて、落ち着かなくて、ウズウズとしてしまうのは、初めてかもしれない。

 香穂子は、電車に乗っている間、ドキドキし過ぎてしまい、思わず自分の身体を抱き締めずには、いられなかった。

 いよいよ、空港だ。

 横浜と成田は、どうしてこんなにも離れているのだろうかと、香穂子は思わずにはいられなかった。

 吉羅の帰国便に何とか間に合って、香穂子はロビーで待ち構えた。

 心臓がロックビートを刻んでいる。

 息が出来なくなる。

 本当にどうして良いのか分からなくなるぐらいに、鼓動は激しさを増した。

 吉羅の姿が見えた。

 その姿を見つけるなり、ゆきは笑顔になると同時に、感極まった気持ちになった。

 息が出来ない。

 胸が苦しくてしょうがない。

 香穂子は、ただ真っ直ぐ吉羅を涙目で見つめた。

 吉羅もまた、香穂子の存在に気づいてくれた。

 僅かに微笑んでくれる。

 それがまた、憎らしいぐらいに、魅力的だ。

 どうしてこのひとは、イジワルなぐらいに素敵なのだろうか。

 香穂子は、自分の存在をアピールするために、必死になって手を振る。

 すると吉羅は、更に笑みを唇と眼差しに浮かべた。

 このひとのことが、本当に好きだ。

 これ以上ないぐらいに好きだ。

 香穂子は、久々に吉羅に逢うことで、吉羅への想いを益々深めていく。

「まさか、本気で迎えに来るとは、思ってもみなかったけれどね」

 吉羅は、余り驚いているようには見えず、何処か楽しみにしていたといった、風情だった。

 香穂子は、拗ねたような笑みを向ける。

「きちんと理事長には、お伝えしなければならないと思っただけですよ。誰よりも早くに。これは生徒としての義務だと、私は思っています」

 香穂子がわざとすましたように言うと、吉羅は益々可笑しそうな笑みを浮かべた。

「分かった。後程、たっぷりと聴かせて貰うこととするよ。日野くん、君にもお土産を買ってきた。こちらだ」

 吉羅はイジワルな笑みを浮かべると、挽いた珈琲が入った袋を取り出す。

「これは、私にまた、珈琲を淹れろということですか?」

「そう取って貰っても構わないよ。君が淹れる珈琲を、私が気に入っているのも事実だかね」

 吉羅は艶やかに微笑んだ。

「それは冗談として、本当のお土産はこちらだよ」

 吉羅はフッと笑って、香穂子に箱を差し出した。

「これを見つけるなり、君のことを思い出してね。君が引き寄せたのかもしれないけれどね」

 香穂子が引き寄せたもの。

 ならば、今すぐ、何なのかを知りたくなる。

「あ、あの、開けて良いですか?」

「勿論。構わないよ」

「有り難うございます」

 香穂子は、嬉しさとドキドキに包まれながら、ほんのりと揺れる指先で、包装紙を開ける。

 箱を開けると、可愛い音楽の妖精がヴァイオリンを奏でているペンダントが入っていた。妖精はどこか自分に似ているような気がした。

 手にすると、勇気や幸運が一緒に運ばれてくるような気がする。

 御守りだ。

 香穂子は、直感でそう思った。

「有り難うございます、理事長。大事にします。このペンダントを御守りにします」

 感動する余りに、香穂子は、ついつい泣きそうになってしまう。それほど、吉羅のお土産には感動していた。

 香穂子が感激する余りに何も言えなくなって、つい、何度も頷く。

 吉羅は、見守るように柔らかな眼差しを向けているだけだ。

「さあ、行こうか、日野くん。落ち着いた場所で、話を聴きたいからね」

「はい」

 吉羅は、香穂子を先導するように素早く歩き始める。

 香穂子はそれに必死になって着いていった。

「横浜に戻ろう。帰りは責任を持って送るから」

「はい、有り難うございます、理事長」

 吉羅は駐車場に預けていた車に乗り込み、香穂子もそれに続く。

「理事長、時差ボケは?」

「ないよ。きちんと調整する術は分かっているからね」

 吉羅は、何でもないことのようにさらりと言う。

 流石は旅慣れているのだろうと、香穂子は思った。

 吉羅の車はスムーズに空港を出て、高速に乗る。

 爽快な運転だ。

「日野くん、君の返事は決まったのかな?」

 吉羅の軽やかな声に、香穂子は「はい」と、しっかりと頷いた。

「分かった。では、聞かせてくれたまえ」

 吉羅は、余り興味がないかのようにさらりと話す。

「理事長、転科をすると決めました」

 香穂子は迷いなく、吉羅に伝えた。

「それは私にとっては、またとない朗報だ。有り難う、日野くん」

 吉羅がフッと甘く微笑んだことを、香穂子は端正な横顔で確認する。

 嬉しい。

 純粋に。

 吉羅が、香穂子の決断を喜んでくれているのが分かり、とても嬉しかった。

「横浜に着いたらお祝いをしよう」

 吉羅は機嫌良く呟くと、横浜に向けて車のスピードを上げた。



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