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吉羅の側にいるには、ヴァイオリンをもっと頑張るしかない。 香穂子はそれしか方法はないのだと、思う。 吉羅との繋がりはヴァイオリンしかない。ヴァイオリンにしがみつくしかないのだ。 「日野くん、ヴァイオリンの調子は如何かね?」 「まあ、まあです。まだまだ練習しないと、みんなとの差はまだまだうまりませんから。だけど、具体的な目標が出来ると、頑張れるから不思議ですね」 「目標が出来ることは良いことだよ。力を出しやすくなるしね。せいぜい頑張りたまえ」 吉羅はフッと甘く笑うと、香穂子を真っ直ぐ見つめた。 「はい」 吉羅に微笑まれる。それだけで、なんて嬉しいのだろうと、香穂子は思う。 吉羅の笑みを見ているだけで、香穂子のときめきは暴れたくなるぐらいに、嬉しいものになった。 吉羅の笑顔が見られるのは、ヴァイオリンを頑張っているからだ。 この笑みを曇らせないためにも、更なる笑みをもらうためにも、もっとヴァイオリンを頑張らなければならない。 香穂子にとって、一番のご褒美は、やはり吉羅の笑顔だった。 コーヒーが運ばれてきた。 芳醇な香りに、思わず酔っぱらってしまいそうになる。 デザートも出てきて、本当にこれでおしまいだ。 そう考えるだけで、香穂子はしょんぼりとした。 「日野くん、コンクールはしっかりと頑張りたまえ。今日はカジュアルな食事だが、コンクールで良い成績を取れば、本格的なディナーにご招待しよう」 「有り難うございます!」 吉羅とまた一緒に過ごす約束が出来た。それが何よりも嬉しい。 吉羅とまた、このような甘い時間を過ごすことが出来るということなのだ。 香穂子は踊り出したくなった。 「コンクールの結果を期待しているよ」 「はい、頑張ります!」 香穂子は笑顔で返事をする。 吉羅暁彦の存在そのものに、香穂子は餌付けされたような気分になった。 食事が終わっても、それほど寂しくはならなかった。 次の約束が出来たからが、大きい。 また、吉羅とこうして二人で、過ごせるのだ。 その約束が出来ただけでも大きかった。 帰りは車で自宅まで送ってくれる。その気遣いが、ゆきには嬉しかった。 「コンクール、期待しているから、頑張りたまえ」 帰り間際、吉羅は声をかけてくれる。 「はい、有り難うございます。送って下さいまして、有り難うございました」 香穂子が頭を下げると、吉羅はうっすらと笑みを浮かべてくる。とても、甘くて優しい笑みだ。 最後にとっておきのプレゼントを貰ったような気分だった。 また、頑張れる。 香穂子は少しでも結果を出すように、頑張るしかない。 香穂子は更にヴァイオリン練習を頑張らなければならないと、心に誓った。 香穂子を送った後、満たされた幸福感と、幾ばくかの寂しさを吉羅は感じずにはいられなかった。 香穂子にご褒美だと託つけて、また約束が出来た。 香穂子といつまでも一緒にいたい。そんな気持ちが、約束をさせたのだろう。 吉羅は寂しく思いながらも、楽しい気分も持ち合わせていた。 吉羅は、真っ直ぐ車を自宅に走らせる。 今出来ること。 それは香穂子をバックアップすること。 吉羅はそのためにはどのようなことでも、しようと誓った。 ヴァイオリンをもっと上手くなりたい。 そのためには、ひたすら練習しかないのだ。 香穂子は、コンクールに向けて、ひたすら練習を重ねる。 夢中になりすぎて、時間を忘れるほどだった。 吉羅がバックアップをしてくれている。 だから大丈夫。 香穂子は、ヴァイオリンを集中して練習出来る環境を手に入れて、ひたすら鍛練を重ねた。 いよいよ初めての外部でのヴァイオリンコンクールだ。 香穂子は不思議と落ち着いていた。 会場の後ろに、吉羅暁彦の姿を見つけたからかもしれない。 ただ、ゆったりと座り、香穂子の演奏を待ってくれているようだった。 吉羅の姿を見てしまったら、余計に緊張してしまうと思っていたのに、逆に安堵を感じた。 吉羅の姿を見たからこそ、落ち着いていられるのだ。 吉羅は、香穂子にとっては守り神のようになっていた。 吉羅が見てくれているから。 聴いてくれているから。 だから大丈夫なのだ。 吉羅がいるから、なにもかもが大丈夫。 そんな風に思えてしまうのが、とても不思議だった。 香穂子は深呼吸をすると、ヴァイオリンに集中する。 このままいつものように演奏すれば大丈夫だ。 「日野香穂子さん」 名前を呼ばれて、香穂子は背筋を糺す。 「はい」 香穂子は、平常心だと自覚しながら、ステージに向かって歩いていった。 吉羅が見守ってくれている。だから大丈夫。 香穂子は冷静でいられた。 今はヴァイオリンに集中すれば良いのだ。 香穂子は自分の力をしっかり出そうと決めて、課題曲に取り組んだ。 吉羅に聴いてもらいたい。 ずっと支えてくれているひとに。 香穂子はヴァイオリンにただただ集中した。 ヴァイオリンを奏でていると、世界で一番幸せに思えてくる。 ヴァイオリンに感謝をしながら、香穂子は弾き続けた。 ヴァイオリンを奏で終わる。 すると、大きな拍手がわき起こり、香穂子は曲の世界から引き戻された。 深々と礼をした後、客席の吉羅と目があった。視線には、香穂子への労いが込められている。 とても温かな眼差しに、香穂子はほっこりとする。 達成感が瑞々しいぐらいに身体に染み込んだ。 香穂子が優勝する。 そんな確信が吉羅にはあった。 大丈夫だ。 香穂子ならやりとげる。 短時間によくここまで伸びたと、吉羅は感心せずにはいられない。 コンクールが終わったら、お祝いをしてやりたい。 とっておきのお祝いをしたかった。 やり遂げた。 後は結果だけだ。 香穂子が緊張しながら待っていると、いよいよ発表だ。 レベルはそれほど高くはないとはいえ、立派なコンクールには違いなかった。 「では、第一位は、星奏学院高校普通科の日野香穂子さん」 名前を呼ばれた瞬間、香穂子はその場で飛び上がりたくなるぐらいに嬉しく、同時に感動で動けなくなった。 係員に促されてステージに出て、賞状とトロフィーを受けとる。 ようやくスタートラインに立てた。 その喜びに泣きそうになる。 ここまで来られたのは、吉羅がいたからだ。 支えてくれたからだ。 香穂子は無意識に吉羅に視線を向けていた。 |