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食べ放題でもないのに、香穂子は相当飲茶を食べた。 特に大根もちと小籠包がお気に入りで、相当おかわりをした。 香穂子が食べている様子を、吉羅が楽しそうに眺めてくれている。 「そんなに沢山食べて貰えると逆に気持ちが良いね。もっと食べたまえ。しっかり栄養を取って、頑張って貰わなければならないからね。ヴァイオリン演奏のガソリンのようなものだね」 「これだけ食べたら頑張れそうですよ」 香穂子が嬉しそうに笑うと、吉羅も頷いてくれた。 飲茶を食べた後、ふたりは食後の運動がてらに中華街に散歩に出る。 流石に春節なだけあり、かなりのひとがごったがえしていた。 「日野君、迷子にならないように気をつけたまえ」 「私、小さな子供じゃありませんよ」 香穂子が拗ねると、吉羅は笑いながら、その手を握る。 手を繋いでくれるのが嬉しくて、香穂子は頬を染めて吉羅を見上げた。 「これで迷子にはならないからね。安心しておきたまえ」 「もし、迷子になったら、吉羅お父さんを呼ぶから良いです」 香穂子の言葉に吉羅は苦笑いを浮かべていた。 吉羅と手を繋いでぶらぶらとするのが、何よりも嬉しい。 日頃のハードな練習のご褒美だと思っていた。 「あ、チャイナドレスですよ。可愛いです」 香穂子はうっとりと見つめながら、溜め息を吐いた。 仕立てが良い高級店であるらしく、値段もかなり張る。 「試着してみるかね?」 「良いんですか?」 「ああ」 「有り難うございます」 香穂子は嬉しくてたまらなくて、スキップしながら店内に入っていく。 それを吉羅は優しい芽で見つめていてくれた。 「お嬢さんはやはり緋色のチャイナドレスが似合うんじゃないかしら」 「じゃあ、それを試着させて下さい」 「どうぞ」 シルクで出来た肌触りの良いチャイナドレスを受け取り、香穂子はうっとりと見つめた。 「では着替えてきますね」 「ああ」 香穂子は微笑んで試着室に入る。 どうか、似合いますように。 どうか、吉羅が気に入ってくれますように。 香穂子はチャイナドレスにドキドキしながら、袖を通す。 まだ子供だと思われているだろう。 だがほんの少しで構わないから、吉羅には女として見つめていて欲しかった。 脚の露出が少し気になってしまったが、それでも肌触りやデザインが気に入った。 「お待たせしました」 香穂子が試着室から出ると、吉羅の視線が注がれる。 熱いまなざしに、香穂子のこころがとろとろに蕩けてしまいそうになった。 しかし愛撫するような甘いまなざしも直ぐに溶けてなくなってしまい、いつも通りの吉羅の姿になる。 「…まあまあかな。まだ、君には大胆なドレスは似合わないね…」 スッと軽蔑するかのように目が細められて、香穂子のこころは切なくなった。 「お嬢さん、とても似合っていますよ。艶があって大人っぽく見えるわ。そうね、髪を上げると良いかもしれないわね」 「…有り難うございます」 いくらショップのひとに褒められたとしても、香穂子は少しも嬉しくはなかった。 吉羅だけに褒めて貰いたい。 いつもそうだった。 ヴァイオリンも何もかも、吉羅に一番に褒めて貰いたかった。 ショップの女性が髪をあげてくれて、少しは大人っぽく見える。 だが、吉羅の表情は、全く変わることはなかった。 気に入らなかったのだ。 そもそも、香穂子の格好なんて、気にしないのではないかと思ってしまう。 「有り難うございました。着替えますね」 香穂子はどこか落胆が滲ませながら微笑むと、試着室に戻った。 香穂子にはぴったりなチャイナドレスだったが、価格的には手が届かなくて、諦める。 吉羅が褒めてくれたなら、貯金をしていつか買うかもしれないが、似合わないと瞳が言っている以上は、買うことが出来なかった。 いつものラフなスタイルに戻って、香穂子は明るい笑顔をわざと浮かべる。 「お待たせしました!」 香穂子が試着室から出るなり、紙袋を押し付けるように渡される。 「あ、あの…」 「ご褒美だ」 吉羅はさらりと感情なく言うと、そのまま店を出て行く。 中身をちらりと見ると、綺麗に箱に入れられている。きっとチャイナドレスなのだ。 「あ、有り難うございます」 香穂子が何度も頭を下げても、吉羅の表情はクールなままだった。 嬉しいのにどこか切ない。 香穂子が一歩後ろを歩くと、吉羅は振り返った。 「…行こうか。冬の午後は暮れるのが早いからね」 「はい」 香穂子の手がギュッと結ばれる。 温かく逞しい手。 守って貰えるような心地好さに、こころが温かなものになるのが解る。 こうして人込みにいて手を繋いでいる間は、幸せな気分になれた。 「吉羅さん、今日は本当に有り難うございます。とても楽しいです」 「たまにはこんな休日も良いんじゃないかね」 「はい。楽しいです」 ふたりは当て所なく歩くが、それだけでも幸せだった。 「関帝廟ですよ! お参りついでに、おみくじを引いて行きましょう」 「ああ」 香穂子に引っ張られる形で、吉羅は関帝廟に歩いていく。 おみくじを引き、香穂子はわくわくしながら見る。 吉羅はしょうがないとばかりに笑いながら、おみくじを開く。 「吉羅さん、余りおみくじとかは信じられませんか?」 「全くね」 吉羅らしい言葉に、香穂子は苦笑いするしかなかった。 「あ! 中吉ですよ、私っ!」 香穂子は嬉しくて顔を綻ばせて笑う。 「大吉が良いんじゃないかね?」 「中吉の緩さが良いんですよ。吉羅さんは?」 香穂子がおみくじを覗き込むと、そこには“吉”と書かれている。 「どうでも良いけれどね」 吉羅は眉間に皺を寄せて呟くと、香穂子のおみくじと合わせて枝にくくり付ける。 「これで私たちの運は一蓮托生だね。オーケストラを成功させるという意味でも、一蓮托生だ」 吉羅はクールな笑みを浮かべて、満更でもないようだった。 「…一蓮托生ですか。だけどそれでも良いかもしれません」 香穂子が笑うと吉羅も笑う。 こうしてふたりで笑いあえるなんて、とても幸せなことだと思わずにはいられなかった。 関帝廟を出る頃には、すっかり日は傾いていて、癒しの夕暮れになる。 香穂子は吉羅と共に夕暮れを眺めながら、どこか寂しい気分になっていた。 もうすぐ、楽しかった吉羅との休日も終わってしまう。 そう考えると切なくて泣けてきてしまう。 「日野君、もう少しだけ一緒にいないか? 夕食を付き合ってくれると、私はとても嬉しい」 「はい、勿論嬉しいです」 「では行こうか」 「はい」 ふたりは手をしっかりと結んだままで、緩やかに歩いていく。 いつもは悴んでしまう手も、今日は春のように温かい。 この温もりがずっと続けば良いのにと、香穂子は思わずにはいられなかった。 みなとみらいの夜景を楽しむドライブをした後で、軽めの夕食を取る。 ランチが中華だったので、この配慮はとても有り難かった。 夕食が終わる頃には、もう夜も更けて来て、香穂子は帰らなければならない時間になった。 時を止まれだなんて大胆なことは言えないけれども、なるべくゆっくりと時間が過ぎれば良いのにと、香穂子は思わずにはいられない。 車が香穂子の家の前まできて、静かに停止した時には、流石に辛かった。 「日野君、それではまた」 「はい、有り難うございます」 香穂子はいつも以上に丁寧に吉羅に礼を言うと、見えなくなるまで見送った。 少しだけ、吉羅に近付けたような気がした。 |