*Je Te Veux*

17


 吉羅は街中を歩きながら、香穂子が奏でてくれたヴァイオリンの音色を思い出していた。
 クリスマスの柔らかい暖かさに似合っている香穂子の音色。
 吉羅にとっては最もこころを潤す音色だ。
 クリスマスのディスプレイなんて、ここのところはずっと馬鹿らしいと思っていたのに、今はこうして楽しんで見る余裕すら生まれていた。
 不意に宝石店のディスプレイが気になり、吉羅はじっくりとそれを眺める。
 星と花をモチーフにしたダイヤモンドのペンダント。
 香穂子によく似合うと思う。
 香穂子のことを思い浮かべながら、吉羅は店へと足を踏み入れた。
 世間はクリスマス。
 愛するものにプレゼントをする季節。
 愛の籠ったプレゼントなんて、姉の美夜と過ごした最後のクリスマスから贈ってはいない。
 久し振りのこころからのプレゼントに、吉羅は僅かに戸惑いを隠しきられなかった。
 価格も確認せずに、吉羅は迷うことなくカウンターへと向かう。
「ディスプレイに飾ってあるペンダントを頼む」
「はい、かしこまりました」
 迷うこともなく、価格を見ることもなく、吉羅は即断を下す。
 店員は奥からディスプレイされていたのと同じペンダントを出してきてくれた。
「こちらですね。こちらは名前やメッセージを彫ることが出来るんです。如何されますか?」
 名前とメッセージ。
 それがあればこっそりと贈ったとしても、きっと誰かは解るだろう。
 コサージュですら直ぐに核心に迫った香穂子なのだから、当然といえば当然なのだが。
「…名前は良い。メッセージは“For Eternal Love”と」
「はい、かしこまりました」
 店員は丁寧に言うと、直ぐにペンダントを加工する部署へと持っていってくれた。
 待っている間に会計を済ませたが、値段を全く気にしないほどにペンダントを気に入っていた。
「吉羅様、プレゼントのご用意が出来ました」
「有り難う」
 プレゼントを受け取ると、温かな幸せを感じる。香穂子にプレゼントを贈る行為自体が、吉羅を何よりも幸せにさせてくれた。
 吉羅は自分でも知らないうちに柔らかな笑みを浮かべると、温かな街灯に照らされながら帰路についた。

 香穂子はクリスマスコンサートの最終仕上げにかかっていた。
 今までで一番の音楽を吉羅に聴かせてあげたい。吉羅に音楽の素晴らしさを教えてあげたい。
 そして音楽が結び付けてくれる絆を、吉羅に伝えたかった。
 沢山の仲間と頑張ってきた成果を、みんなで培ってきた温かなものを、吉羅に見せてあげたかった。
 日に日にアンサンブルも良くなってきている。
 “これが最高の状態”というものがないせいか、まだまだ頑張らなければならないが、クリスマスコンサートまでに出せるベストな音楽を、吉羅だけではなくみんなに伝えたかった。
「随分と良くなってきたよねっ! これで理事も考え方を変えてくれるよ」
 いつも明るく真っ直ぐな火原は、より自信を深めている。
 慎重である柚木や月森ですらも及第点を出すようになってきた。
 学院を護る。
 そのために誰もが気持ちを合わせて、最高の音楽を作り出そうとしていた。
だからこそ。
 みんなのレベルに追いつくことが出来るように、個人のレベルアップも忘れてはならない。
 香穂子はこころを込めて、ヴァイオリンが更に表現豊かになるように努力を重ねていた。
 流石にコンサートが近付いて来ると、疲労と緊張はかなり高いものになってくる。
 ひと練習終えると、香穂子はどうしようもないほどに疲れてしまい、ベンチに腰を掛けた。
 寝ている場合じゃないことぐらいは、香穂子が一番解っている。
 だがつい躰の欲求に負けてうとうととしてしまっていた。
 少しだけ、少しだけだから…。
 いつの間にか甘えが芽生えてしまい、香穂子は眠りに墜ちてしまった。

 香穂子がベンチで居眠りをしている姿を見つけ、吉羅は柔らかな笑みを浮かべた。
 相当、疲れているのだろう。
 クリスマスコンサートまでは後少しなのだから無理はないと、吉羅は思う。
 香穂子のあどけない寝顔を見ていると、まだまだ子供であることを感じずにはいられなかった。
 不意に香穂子の躰が大きく揺れて、ベンチから落ちそうになる。
 吉羅は慌ててそれを支えるように横に腰掛けた。
「…間に合ったか…」
 鍛えられた吉羅の精悍な肩が、香穂子がベンチから落ちるのを防いだ。
「…ん…っ」
 香穂子は寝ぼけた声を出したが、またすぐに深く眠ってしまった。
 吉羅のがっしりとした肩に安心しきったかのように、幸せそうに眠っている。
 吉羅に凭れ掛りながら眠る姿は、どこか子供のようなのに女だった。
 こんな小さな躰で、普通科と音楽科の橋渡しをする少女。
 かつて精神的な厚い壁があった普通科と音楽科が、ひとつになって学院を守ろうとしている。
 こころをひとつにさせたのは、香穂子を始めとするアンサンブルのメンバーだ。
 普通科、音楽科の垣根を超え、音楽で絆を表した彼らがいたからこそ、学院はかつてないほどの団結力を持ったのだ。
 吉羅は肩で香穂子の躰を支えながら、ゆっくりとした時間を過ごす。
 陽射しは柔らかくて優しい冬を感じさせる。
 温かな陽の光を浴びながら、吉羅もまたかけがえのない時間を過ごしていた。
 どれぐらいそうしていたかは解らない。
 ただ吉羅にとっては幸せな時間であったことは間違なかった。
 香穂子の瞼が僅かに動いたかと思うと、ゆっくり開かれる。
 お姫様のお目覚めは意外と早いものだった。
「…あ、…え、あ…!?」
 最初は寝ぼけていたのだろう。しかし、視界に吉羅の姿を認めるなり、香穂子はパチクリと目を大きく開いた。
 その表情は、大それたことをしてしまったと、言っているようだ。
「すっ、すみませんっ! 吉羅理事っ! わ、私、いつの間にか寝ていたみたいで、あ、あの、ご、ごめんなさいっ!」
 香穂子が慌てて謝罪をしながら離れる仕草がなんともおかしくて、吉羅は笑みを浮かべる。
「し、失礼しましたっ!」
 香穂子は躰を小さくさせてちんまりと姿勢を正して座り直す。
「疲れているのか…?」
「いいえ」
 香穂子はキッパリと言い切ると、明るい前向きな笑顔を唇に浮かべる。
 その明るさに、吉羅は思わず目をすがめた。
 眩しくて明るい香穂子の瞳は、吉羅のこころを痛くさせる。
 痛みは肉体的な痛みというよりは、精神的な部分が大きかった。
「これは辛い疲れなんかじゃないんです。なんて言うのか、上手く言えないですけれど…、楽しい疲れというか、充実した疲れというか、まあ、でろでろに疲れているわけではないんです」
 香穂子はあくまで明るく言うと、空の高みを見上げる。
「…音楽と関わって、横にも縦にも沢山の絆が出来て、とても嬉しいと思っています。今、こうやって一緒に やっている仲間は、きっとこれからもかけがえのないものになると思っています」
 清々しく言い切る香穂子が、吉羅にはとても綺麗に映った。
 香穂子の横顔は生気に満ちていて、本当に美しい。
 音楽をこころから愛して、そして何よりもかけがえのないものだと思っているのが解る。
 かつて同じような表情を浮かべた美しいひとがいた。
 吉羅美夜。
 吉羅の姉。
 呪縛が解き放たれる瞬間が迫っていた。
 その呪縛から解き放ってくれるのは、日野香穂子ただひとり。





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