*18歳の花嫁*

10


 吉羅の顔色が変わる。

 ということは、十中八九図星だということなのだろう。

 香穂子は胸に激痛が走るのを感じながら、冷静にいようと努めていた。

 だが、なかなか上手くはいかない。

 過呼吸にでもなってしまいそうだ。

「…誰から訊いたのかね?」

 吉羅は香穂子を責めるような冷たい声で言う。

 吉羅の声が冷静過ぎて恐ろしかった。

「何人かの女性が噂をされていました…」

 香穂子は、まるで自分が悪いような気分になり、つい頭を垂れてしまう。

 このような気分になるのは、吉羅の前だけだ。

 吉羅の前だけは、自信がなくなってしまう。

 吉羅を見ると、皮肉げにこちらを見ている。

「香穂子、君は私の言葉よりも人の噂を信じるのかね?」

 吉羅の氷よりも冷たい言葉に、香穂子は唇を噛み締めた。

「…そんなことは信じなくて良いんだ。君は…」

 吉羅は低い声で香穂子を諫めるように言う。

 吉羅を信じたい。

 そんなことは笑い飛ばしたい。

 だが、自信がない。

 そんなことが出来るほどに愛されている自信が、香穂子にはなかった。

「不安なのかもしれませんね…、私…」

 香穂子は声が揺らぐのを感じながら、深呼吸をした。

 不意に顔を上げると、吉羅が立っている。

「暁彦さん…」

「君は私の妻だ。何も心配しなくても良いんだ…」

 吉羅は、香穂子を抱き締めてくる。

 息が出来ないぐらいに抱き締められる。

 まるで香穂子以外にはいらないとばかりに。

 そのまま抱き上げられると、ベッドに運ばれる。

「…暁彦さん…」

「君の不安を消したい」

「…はい。消して下さい…」

 吉羅と愛し合えば不安はなくなるだろうか。

 不安がなくなればこれ以上素晴らしいことはないだろう。

 香穂子は吉羅にその身を任せる。

 熱い世界へと香穂子は誘われた。

 

 吉羅に抱かれている間は、不安などなくなり、ただ幸せな気分に浸ることが出来る。

 だが、朝になると再び不安がむくむくと頭を擡げてくる。

 吉羅とこのままずっと一緒にいられるのだろうか。

 横で眠る吉羅の寝顔を見つめながら、香穂子は幸せな気持ちと切ない気持ちがせめぎあうのを感じた。

 本当に泣きそうになる。

 吉羅は、こうして今更“本当の夫婦”になって、どうしようと言うのだろうか。

 それが香穂子には不思議でならなかった。

 吉羅の寝顔を見た後、香穂子はガウンだけを羽織り、窓辺へと向かう。

 今日は吉羅が完全に休養をする日だ。

 のんびりと眠ることだろう。

 香穂子は、まだ暗い外を見つめながら、どう気持ちを整理すれば良いのかが分からなくて、思わず涙を零してしまった。

 吉羅にはこんな気持ちは分からないかもしれない。

 香穂子は自分ですらも持て余している感情に溜め息を吐いていた。

 ふと背後に温かな気配がする。

 振り返る間も無く、背後から吉羅に抱き締められた。

「まだ夜も明けてはいないよ。君はいったいどうしたのかね…?」

 吉羅は宥めるかのように香穂子の首筋に唇を着けながら、優しい声で呟いた。

「…何でもありません。外を見たかったんです…」

「…風邪を引いてしまう」

「暁彦さんが抱き締めて下さっているから、大丈夫です」

 香穂子はなるべく笑顔で言うが、声に切なさが滲んだのは否定出来なかった。

「…余り無理はしなくても良いんだ…。香穂子…」

「暁彦さん…」

 吉羅は腕の中でくるりと香穂子の躰を回転させると、額に甘いキスをしてくれる。

 泣きたいほどに甘いキスに、香穂子は思わず目を閉じた。

 吉羅は香穂子を抱き上げると、そのままベッドに連れていってくれる。

「香穂子…、今日と明日はリラックスした時間を過ごそうか…」

「有り難う…」

 吉羅の腕の中で、香穂子は安心しきった子猫のように丸くなる。

 今度はゆったりと眠れそうだと、香穂子は思った。

 

 吉羅と朝食を取った後、一泊二日の旅の準備をするようにと言われた。

 のんびりとリラックスをするには、確かに旅行は効果的だと思った。

 それに、今の香穂子には気分転換が必要だ。

「有り難うございます。気遣って頂いて」

 香穂子の言葉に、吉羅はフッと微笑むと、頭を軽く撫でてくれた。

 

 支度を終えて、吉羅とふたりで車に乗り込む。

「何処に行くんですか?」

「煩わしいことを忘れられる場所だ」

「楽しみにしていますね」

「ああ」

 吉羅の車に穏やかな気持ちで乗るのは久し振りかもしれない。

 香穂子は優しい笑みをたたえながら、運転する吉羅と景色を交互に楽しんだ。

「今日は随分とご機嫌だね」

「暁彦さんとのんびりと出掛けるのが久し振りだから嬉しいんです」

「それは良かった。私も君と一緒に出かけられて、とても嬉しいよ」

「はい、私も」

 吉羅も同じように楽しんでくれるのが、香穂子にとっては何よりも楽しいことだった。

 車はやがて海方面を走っていく。

 暫くすると湘南の海が見えてきた。

 キラキラと輝く湘南の海を眺めながら、なんて素晴らしいのだろうかと、香穂子は思う。

 美しくてついうっとりと見惚れた。

「葉山に小さなホテルがあってね。そこに行こうと思っている。海に近くて静かだ」

「嬉しいです」

 吉羅とふたりでのんびりとホテルで過ごせるなんて、香穂子は嬉しかった。

 

 ホテルは海が望める上に、庭は草花がとても美しかった。

「本当にさっきから何度もうっとりと見つめてしまっています。本当に素晴らしいところですよね」

 香穂子は庭を歩きながら、夢でも見ているのではないかと思った。

「香穂子、気に入ったようだね」

「はい、とっても!」

「部屋に荷物を置いたら、庭と海をゆっくり歩こうか」

「はい。嬉しいです」

 吉羅とのんびりと散歩をすることがなかったから、香穂子は顔に満面の笑顔を浮かべた。

 

 部屋に荷物を置いて、ふたりは手を繋いでホテルの中庭に出た。

 ロマンティックな雰囲気に、香穂子は楽園にいるかのような幸せな気分になる。

 吉羅と寄り添っているだけで、香穂子は何よりも幸せだった。

 ホテルのプライベートビーチまで下りていくと、小さな女の子が砂遊びをしていた。

 本当に可愛らしくて、香穂子はつい笑顔で見つめる。

 女の子は香穂子たちの存在に気付いたようで、手招きをしてきた。

「おねーしゃん! こっち!」

 勢い良く手招きをするものだから、香穂子は可愛くて、小さな子に近付いていった。

「お砂遊び?」

「あい!」

 女の子は元気良く答えると、砂山を作っている。

「えっとね、しゅなのお山を作って、しゅむの」

「そうなんだ。素敵だね」

 香穂子が笑顔で言うと、女の子は頷く。

「おねーしゃんとおじしゃんは仲良し?」

 おじさんと言われて、吉羅は一瞬ショックそうな顔をした。

「とても仲良しだよ。私たちは結婚しているからね」

 吉羅は、おじさんと呼ばれたことを不快に思いながらも、何とか笑顔で答えてくれた。

「しょっか、仲よち」

 女の子は満足したかのように笑顔になりながら、繋がれている手をしっかりと見つめていた。

「一緒に遊ぼうか」

「うん、遊ぼ!」

 女の子と一緒に、ふたりは砂山遊びをする。

 娘が生まれたら、こんな風に三人で過ごすのだろうか。

 香穂子はくすぐったいと思いながら、女の子と吉羅と三人で、砂浜遊びを楽しむ。

 こんなにも楽しいことは他にはないと、香穂子は思わずにはいられなかった。

 こんな時間が愛する吉羅と過ごせたら、幸せなことはないのに。

 香穂子は夢見るように思っていた。



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