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散々ふたりと遊んだ後、女の子の母親がやってきて、連れていく。 「またねー!」 女の子は本当に楽しかったとばかりに、何度も、何度も手を振ってくれたのが、印象的だった。 勿論、吉羅も香穂子も何度も手を振ってくれたのが、とても印象的だった。 女の子の背中が見えなくなるまで見送った後、ホテルのビーチは、ふたりだけになった。 「楽しかったですね…」 「そうだね」 吉羅を見上げると、太陽の光よりも眩しくて魅力的な笑みを浮かべる。 本当にうっとりとしてしまうほどに素敵だと、香穂子は思った。 「香穂子、君は小さい子が好きなのかね? とても楽しそうだったからね」 「はい、大好きですよ。だけど暁彦さんもとっても楽しんでいらっしゃったでしょう?」 香穂子が温かな気分で微笑むと、吉羅もそれを認めてくれた。 「そうだね。私もとても楽しかった…」 吉羅が素直に認めて微笑んでくれる。それだけでも嬉しくてしょうがなかった。 「…香穂子…」 吉羅が不意に抱き寄せてくる。 ベッドを共にするようになってから、こうして甘く抱き締めてくれることが多くなった。 それは香穂子にはとてもロマンティックで幸せなことだ。 抱き寄せられた後、吉羅はゆっくりと唇を近付けてくる。 その甘さに、香穂子は溺れてしまう。 吉羅がそばにいれば、それだけで幸せだと、香穂子は思った。 のんびりとふたりで手を繋いで散歩をして、キスをして、美味しい食事を食べて眠る。 それが香穂子にとってはかけがえのない幸せで、リラックス出来る時間だ。 それをプレゼントしてくれた吉羅には感謝しかなかった。 ふたりでのんびりと食事をした後、部屋に戻った。 「暁彦さん、素敵な時間を有り難うございます。とても楽しくて嬉しかった」 香穂子は素直に吉羅に笑顔を向ける。 結婚してからは向けることが出来なかった笑顔を、こうして向けられるのが嬉しかった。 このような笑顔は、結婚前には沢山向けていたというのに。 今までは全く向けることが出来なくなっていた。 「私こそ楽しい時間を過ごさせて貰ったよ」 吉羅の笑顔に、香穂子は頷いた。 ふたりで一緒にお風呂に入り、同じベッドに眠る。 なんて幸せな時間なのだろうかと、香穂子は思わずにはいられなかった。 幸せでしょうがなくて、香穂子はずっと笑顔でかけがえのない時間を過ごすことが出来た。 翌朝はスッキリと目覚めることが出来た。 やはり気持ちが満ち溢れていると、幸せな気分になる。 香穂子は、幸せ過ぎてしょうがないと思いながら、こっそりとベッドを抜け出す。 ずっとこうした時間を取ることが出来るのならば、こんなにも幸せなことはないのにと香穂子は思う。 朝日を見つめながら、そうなるようにと祈るしかなかった。 「香穂子、随分と早起きだね」 「久し振りに気分良く起きられました」 「そうか…」 吉羅は何処かホッとしたように呟くと、香穂子を背後から抱き締めてきた。 こんなにも幸せな気分でいられるのは、結婚してから初めてかもしれない。 「暁彦さん、有り難うございます。本当に楽しくて幸せな時間でした」 「それは良かった。君が満足してくれるなら、ここに来たかいがあるからね」 「有り難う…」 吉羅とこうしてふたりで重ねる時間が、香穂子にとっては何よりも大切なものだったから。 「香穂子、まだまだ早い。もう少しだけ、二人でゆっくりとしようか…」 「…はい…」 吉羅は軽々と香穂子を抱き上げると、再びベッドへと向かう。 こんなにも幸せで満ち足りた時間は、香穂子にとっては何よりものプレゼントになった。 のんびりと散歩をしてランチを楽しんだ後、ふたりは日常生活へと戻っていった。 明日からはまた現実が始まる。 甘くはないけれども、幸せであれば香穂子は良かった。 ずっとずっと吉羅のそばに居続けたのは、やはり愛しているからだ。 香穂子はそれを強く感じていた。 愛しているからこそ、離れられなかった。 いつか愛してくれると思っていたからこそ、離れなかった。 その夜は、本当に幸せで、明日からもきっと薔薇色の時間が待っていると香穂子は思い込んでいた。 朝、吉羅を幸せな気分で送り出した後で、香穂子はヴァイオリンの練習をする。 自分自身が幸せだと、ヴァイオリンの音色も弾んで良い音が出る。 香穂子は、吉羅のお陰だと強く思う。 この調子でいけば、更なる上達も見込めるのではないかと思った。 今夜は遅くなっても以前のようにはならないだろう。 そんなことを期待して、香穂子は吉羅を待つ。 しかし、吉羅は何時まで経っても帰っては来ない。 携帯電話に連絡をしようかと何度も思ったが、出来なかった。 何か事故でも遭ったのだろうか。 香穂子はそればかりが気にかかり、何度も携帯電話や家の電話を見た。 時計を見ると、日付が変わるところだ。 香穂子はついに携帯電話に電話をした。 「はい、吉羅だ」 「香穂子です…。あ、あの…、事故とかではないですよね?」 「ああ。いつものように仕事だ。君こそこんなにも遅くまで起きているのは感心しないがね」 吉羅はいつも以上に冷たい声で呟いている。 昨日の優しさが幻だったような気すらする。 「分かりました。直ぐに眠ります」 香穂子が携帯電話を切ろうとした時だった。 遠くで女性の声が聞こえる。 これ以上聞きたくはなくて、香穂子は直ぐに電話を切った。 シャワーを浴びて、とにかく眠ってしまおう。 今はそれしか出来ない。 香穂子は携帯電話の電源をオフにすると、直ぐにシャワーを浴びてベッドへと向かった。 吉羅はなんて残酷なのだろうかと香穂子は思う。 昨日まではあれほどまでに優しかったというのに、今日は驚くほどに冷たい。 それが香穂子にはショックだった。 シャワーを浴びてベッドに入っても、不安と不快で、香穂子はよく眠れなかった。 ようやくうとうととし始めた時に、吉羅の気配がした。 吉羅が部屋に入ってくる。 香穂子が不貞寝をしているのを確認するかのように見つめてくる。 ふと優しい吉羅の手のひらが頭に下りてきた。 そのまま優しく頭を撫でられる。 昨日と同じ優しさだ。 香穂子がついうっとりとしてしまうような、甘い優しさ。 頭を撫でられているうちに、香穂子はいつの間にか眠ってしまっていた。 優しくて幸せな夢を見ながら。 翌朝、香穂子は躰が痛くて怠いのを感じた。 その不快さに、思わず目を閉じる。 何とか起きなければならないと、ふらふらとしながらベッドから起き上がり、そのままダイニングへと向かう。 すると吉羅は既に朝食を準備して、食べていた。 「ご、ごめんなさいっ! 寝坊してしまったみたいで…」 余りにも心地良い眠りだったから起きるのが難しかったのだ。 しかも夢とは裏腹に、身体の状態は余り良くはなかった。 「支度は終わった。君の分の茶粥も用意しているから食べると良い」 吉羅は淡々と言い、いつものようにクールなままだ。 怒っているのか、いないのか、今の香穂子には区別がつかなかった。 吉羅は立ち上がって、玄関へと向かう。 「本当にごめんなさい…」 「遅くまで起きているからだよ…。君は…」 吉羅は叱るように苦々しい声で言うと、玄関ドアを開けた。 「いってらっしゃい…」 香穂子が何とか吉羅を見送った時だった。 視界が不意に暗くなる。 そのまま意識がフェイドアウトした。 |