*18歳の花嫁*

13


 吉羅は今夜、帰って来ないかもしれない。

 香穂子は当然だと思った。

 吉羅はあれだけ呆れて怒っていたのだから。

 これで益々、あの美しい女性が良いと思うだろう。

 実際にふたりはかなりバランスが取れているように、香穂子には思えた。

 本当にお似合いだ。

 ふたりの姿を想像するなり、香穂子は泣けてきた。

 ダメだ。これ以上泣いてしまっては。

 香穂子は自分を奮い立たせて、なんとか涙を堪えた。

 暫くして、吉羅が帰ってきたのが解った。

 吉羅がこちらにやってくる。

 寝たふりをしなければ怒られてしまうだろうか。

 香穂子がそのようなことをあたふたと考えていると、吉羅がノックもせずに部屋に入ってきた。

「香穂子、怒らないから、起きているのなら顔をあげてくれないか」

 吉羅の声が優しかったから、香穂子はつい顔を上げた。

「…香穂子、気分はどうかね?」

 吉羅は相変わらずビジネスライクな表情だったが、その声はこの上なく優しかった。

「…大丈夫です。しっかりと眠りましたから…」

 香穂子も穏やかなリズムで話をすると、吉羅は頷いた。

「それは良かった…。香穂子、今夜もゆっくりと休みなさい…」

「…はい」

 吉羅が大きな掌を額にあてがって熱をみてくれる。

「朝よりはマシなようだね…。良かった。では、ゆっくりと休みなさい。おやすみ」

 吉羅は随分とあっさりと言うと、部屋から出て行った。

 香穂子は甘い気持ちを抱きながら、少しは心が晴れ上がった。

 ふと携帯電話を見ていないことに気付いて、香穂子はバッグから取り出す。

 すると何度かの吉羅からの着信履歴が残っていた。

「…暁彦さん…」

 心配してくれたのだろう。何度も電話をくれたのが嬉しくて、香穂子は吉羅に礼を言い行くために向かった。

「暁彦さ…」

 ノックをして中に入ろうとすると、吉羅が電話をしているのが見えた。

「ああ、もう心配ないようだ。有り難う。この礼はさせて貰うよ。君が望むままに…」

 吉羅が誰と話しているのかが、香穂子には直ぐに解った。

 胸が苦しい。

 彼女が望むもの。

 それが吉羅自身だとしたら?

 香穂子はお払い箱になるということだ。

「そうだね…。妻は可愛い子どものようなところがあるね」

 吉羅の声が柔らかく響いていたが、やはり子供と見られていたところがショックだった。

 香穂子がとぼとぼと歩いて部屋に戻ろうとすると、不意に腕を掴まれた。

 相手は勿論吉羅だ。

「…香穂子、どうしたのかね?」

「あ、あの、今日は電話を頂いていたのに、眠っていて気付かなくてごめんなさいと、言おうと思って…。だけどお邪魔でしたね。あ、もう、眠ります」

 香穂子は一方的に言うと部屋に戻ろうとした。

 しかし吉羅は、腕を離さない。

「…一緒に眠るんだ」

「今日は熱が出ていて、あ、あの汗臭いですし…」

 香穂子は焦るように言うが、吉羅は全くいつも通りで動じない。

「君が何かあったら困るからね。看病がてらに一緒に眠ろう」

 吉羅はキッパリと言うと、香穂子を抱き上げた。

「あ、あの、せめて、パジャマを着替えて、シャワーを浴びたいです…」

 愛している男性と眠るのだから、香穂子はつい気にしてしまう。

 やはり乙女の恥じらいはあるのだ。

「…しょうがないね。シャワーを軽く浴びてきなさい。ただし、風邪を引かないように気をつけたまえ」

 吉羅はようやく少しだけではあるが、優しい笑みを浮かべてくれた。

 それには香穂子もホッとする。

「ではシャワーを浴びてきます」

「ああ」

 香穂子は熱でかいてしまった汗をシャワーで洗い流した後、パジャマを着替えてサッパリとした。

 ベッドルームにドキドキしながら行くと、吉羅が待っていた。

「香穂子、ベッドに入って眠りなさい。私も直ぐに戻って来るから」

「…はい。有り難うございます…」

 香穂子は素直にお礼を言うと、ベッドの中に入った。

 事前に温めてくれていたのだろう、とても温かかった。

 このままのんびりと眠りたい。

 香穂子が安心しきってうとうととし始めると、吉羅がベッドに入ってきた。

 優しいボディソープの香りがして、とても心地好い。

 吉羅はしっかりと抱き締めてくれると、そのまま背中を撫でてくれた。

「…ゆっくりと眠りなさい…。今夜は」

「有り難うごさいます」

 今夜は、吉羅の温もりでゆっくりと眠ることが出来る。

 それだけで香穂子は幸せだった。

 

 充分に休んだからなのか、翌朝はとても目覚めが良かった。

 香穂子は、いつもどおりに起きることが出来て、吉羅に朝食を作ることが出来た。

 やはり、香穂子にとっての特効薬は吉羅なのだ。

 吉羅がいれば、幸せな時間を過ごすことが出来るのだ。

 吉羅にはその点は感謝しなければならないと、香穂子は思った。

 吉羅はいつものように隙ないビジネスマン姿で、ダイニングに現われた。

「香穂子、今夜は遅くなるから、先に眠っていなさい。まだ本調子ではないだろうから、夜更かしはしないように」

「はい」

 今夜も仕事が忙しいのだろう。

 経済界の寵児や若き帝王と呼ばれるだけはある忙しさだ。

「…分かりました。お仕事ですか…?」

「まあ、そのようなものだ。香穂子、君は早く眠りなさい」

 吉羅は曖昧に答えると、素早く話題をすり替えてしまう。

 香穂子にとってそれはかなり辛いことだ。

 またあの女性と逢うのだろうか。

 昨日の電話の内容が苦々しくも蘇ってきて、香穂子は憂鬱な気持ちになった。

 吉羅を送り出した後、香穂子は溜め息を吐きながら、ヴァイオリンレッスンの準備を始める。

 こんなにも求めているのに。

 こんなにも愛しているのに。

 肝心の愛する男性は、少しも応えてはくれない。

 それが香穂子には苦しい。

 いつか応えてくれる日がやって来るのだろうか。

 香穂子はそればかりを考えてしまっていた。

 

 吉羅が帰って来ない夜は寂しい。

 そして、あの女性と一緒なのかもしれないと思うだけで辛い。

 病み上がりだからだと外に出ることも出来ずに、香穂子は孤独に堪えるしかなかった。

 どうしてこのような生活を続けようとするのだろうか。

 香穂子にはそれが分からない。

 別れたいと言えば、吉羅はそれを強く否定をする。

 なのに愛する女性とは、繰り返し逢っている。

 それが香穂子には不思議でならなかった。

 吉羅にとっては、香穂子はどのような存在なのだろうか。

 そればかりが気にかかってしまう。

 吉羅は自由になれるはずの選択をあえてしない。

 香穂子はその意味が知りたかった。

 

 吉羅が帰って来ないまま、香穂子は眠りにつく。

 本当は眠れないことを、吉羅は知っているのだろうか。

 吉羅がいないと安眠を得られないということを、果たして吉羅は解ってくれているのだろうか。

 香穂子にはそれが謎だった。

 浅い眠りを繰り返していると、吉羅の気配を感じた。

 吉羅が寝顔を見つめているのが分かる。

 かなり恥ずかしいが、何処か嬉しい。

 吉羅がいつものように頬にキスをしてくれる。甘いキスだ。

 瞼を僅かに揺らして目を開けると、吉羅が眉を寄せた。

「起こしてしまったかね?」

「いいえ。うとうとしていたので…」

「そうか…。香穂子、一緒に眠ろうか」

「はい…」

 吉羅の優しい声に頷くと、抱き上げられる。

 そのままベッドルームに運ばれた。

 香穂子は、この瞬間が忘れられないからこそ、吉羅のそばにいるのだと、強く感じていた。



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