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穏やかに時間は流れていく。 ようやく夫婦らしい生活が出来るようになった。 まだ理想からは遠いがそれでも、以前に比べるとかなり心を通わせるようになった。 吉羅もなるべく時間を作ってくれ、ふたりで過ごす時間も増えつつある。 焦らなくても良い。 少しずつで良いから、夫婦らしい夫婦になっていけば良い。 香穂子もそうのんびりと考える余裕が生まれてきた。 そのせいかヴァイオリンの調子もとても良い。 あんなにも伸び悩んでいたのに、本当に驚くばかりだ。 これも心が安定しているからだと、香穂子は思った。 ヴァイオリンの調子が良いからか、最近は、仕事の依頼も舞い込んできている。 吉羅からも仕事の依頼を受け、香穂子は嬉しく思っていた。 吉羅からの依頼は、とあるパーティでのヴァイオリン演奏だった。 吉羅にとってはかなり重要なパーティらしく、ゲストに楽しんで貰うためにも、最高の演出をして欲しいとのことだった。 吉羅はそのパーティの内容を詳しくは聞かせてはくれなかったが、恐らくは重要なビジネスパーティだと思った。 香穂子は吉羅のためにも、最高の演奏をしなければならないと心に誓った。 曲の指定はなかったが、曲調の指定はあった。 幸せになれるような美しくて温かな音楽。 どちらかといえば得意な解釈だったので、香穂子はより磨きをかけようと思った。 吉羅に喜んで貰いたい。 香穂子にはそれだけだった。 ヴァイオリンの練習にもかなり熱が入る。 吉羅のオファーだからこそ、素晴らしい演奏にしたかった。 夕食の支度の後、香穂子は時間を惜しんでヴァイオリンの練習をする。 練習の途中で、吉羅が帰ってきたので、香穂子はヴァイオリンを止めて、振り返った。 「お帰りなさい、暁彦さん」 「ただいま。香穂子、ヴァイオリンを続けてくれないかね。もう少しだけで良いから、君の音色を聴いていたい…」 「有り難うございます。では、後少しだけ練習させて頂きますね」 「ああ」香穂子は幸せになれる温かなメロディになるように、気持ちを込めて演奏をする。 すると吉羅はしっかりと目を閉じて聞き入ってくれた。 香穂子にはそれが嬉しかった。 吉羅が一生懸命聴いてくれるのだから、香穂子も全力でヴァイオリンを奏でた。 ヴァイオリンを奏で終わると、吉羅がゆっくりと目を開けた。 「悪くないね」 「有り難うございます」 吉羅が拍手をしてくれる。 香穂子はそれが嬉しくてつい笑顔になった。 「本番を楽しみにしているよ。私にとっては大切なパーティだからね。君ならば最高の演奏を聴かせてくれると信じているから」 「有り難う、頑張ります」 吉羅のためにも素晴らしい演奏をしよう。 香穂子はそう誓った。 「香穂子、パーティに着るドレスとバッグ、ハイヒールを準備しておいた。使ってくれたまえ」 吉羅はそう言うと、香穂子に幾つか箱を差し出した。 どの箱を見ても、有名ブランドのロゴが入っている。 流石は吉羅暁彦だと思う。 「当日はヘアメイクも手配をするからそのつもりで。君はヴァイオリン演奏にだけ集中をしてくれたら良いから…」 「有り難うございます」 吉羅の気遣いを嬉しく思いながら、香穂子は笑顔になった。 「中身を見ても良いですか?」 「勿論構わないよ」 「有り難うございます」 スペシャルなプレゼントを貰えたのが、香穂子は嬉しい。 まるで子供のようにワクワクしながら見つめた。 箱を開けると、白いドレスがキラキラと輝いていて素敵だった。 こんなにも素敵なドレスを着ることが出来るなんて、それだけで幸せだと香穂子は思った。 靴も白いハイヒール。 ドレスにはピッタリだ。 「パーティが楽しみです。頑張って演奏をしますから宜しくお願いします」 「ああ。楽しみにしているよ。君ならきちんと演奏してくれるのは解っているからね」 「有り難うございます。ご期待に添えるように、しっかりと頑張ります」 「ああ。私も純粋に楽しむことにするよ」 「有り難うございます」 吉羅の甘い笑顔に、香穂子は更にやる気を沢山貰っていた。 いよいよ吉羅からのオファーで、ヴァイオリンを演奏する日がやってきた。 ドレスとヒール、バッグを持参して、吉羅が予約を入れておいてくれたビューティサロンへと出かけた。 たかがメイクをするだけなのに、エステからされた時には驚いてしまった。 メイクをしながら鏡に映し出される自分を見つめた。 吉羅のためにヴァイオリンを演奏するのだから、とびきり綺麗になりたかった。 吉羅の妻であると、堂々と紹介をして貰えるように。 香穂子は魔法がかかって、世界一美しい女性になれれば良いのにと思わずにはいられなかった。 香穂子は髪をスタイリングして貰ったが、いつものようにきっちりとしたアップスタイルではなく、抜け感がある下ろしたカールスタイルだった。 いつもよりもかなり艶やかな雰囲気が出て、香穂子は驚いてしまった。 「これで完成です。ヴァイオリン演奏、頑張って下さいね」 「有り難うございます」 笑顔で礼を言えるぐらいに、なりたいイメージにしてくれた。 それがとても嬉しい。 吉羅も気に入ってくれるだろうか。 香穂子は、サロンを出て、吉羅と待ち合わせをしているロビーへと向かった。 とっておきの魔法を掛けて貰ったのだから大丈夫だと自分に言い聞かせながら、香穂子は背筋を伸ばして優雅に歩いていく。 すると様々なひとがじっと見つめていることに気付いた。 こんなにも見つめられると、どうして良いかが分からない。 自分ではかなり気に入ったスタイルにしてもらったが、傍から見れば、ただの小娘にしか見えないのかもしれない。 ひょっとして似合わないだとか、奇妙だとか思われているかもしれない。 どうしてだろう。 いつも吉羅が絡むと、自信がなくなってしまう。 自分を卑下する気持ちでいっぱいになってしまう。 いつもそうなのだ。 他人の視線が気になってしまい、自信が地の底に墜ちてしまうのだ。 吉羅がロビーで立っているのを見つけた。相変わらず隙のない素晴らしさだ。 香穂子がゆっくりと吉羅のそばにゆく。 すると吉羅も香穂子の存在に気付いたらしく、ゆっくりとこちらを見た。 だが、香穂子を見るなり、忌々しい表情になる。 まるでだらしない女を見ているような表情だ。 もう少し地味に仕上げたほうが良かったのだろうか。 香穂子は不安な気持ちを抱きながら、真直ぐ吉羅を見つめた。 「…暁彦さん…、お待たせしました」 「行こうか。時間が惜しい」 「はい」 吉羅は相変わらずクールだ。 だが、吉羅は思い切り情熱的に香穂子の腰をしっかりと抱き寄せる。 密着して、誰にも渡さないといった勢いすらある。 こうしてくれることが、香穂子には嬉しかった。 「香穂子、演奏の時以外は私のそばから離れないように」 「はい…」 吉羅は独占欲を漲らせながら、香穂子を駐車場まで連れていく。 こうして独占欲を見せてくれるのは何よりも嬉しい。 香穂子は、胸をときめかせながら、吉羅に従った。 車に乗り込むと、吉羅はいきなり抱き締めてくる。 こんなにも情熱的に迎えられたのは初めてで、香穂子は嬉しかった。 「…暁彦さん…」 「君を離さないからそのつもりで」 吉羅は熱い吐息が混じった声で囁くと、そのまま唇を重ねてくる。 情熱に全身が蕩けてしまいそうだった。 |