*18歳の花嫁*

17


 タイムリミット。

 いったいどういうことなのだろうか。

 香穂子の背中に嫌な汗が伝わる。

 子供を作らなければならないから、作ったのだろうか。

 香穂子はショックで動けなくなる。

 悪阻が込み上げてきて、その場にいられなくなった。

 やはり吉羅は愛してくれていないのだろうか。

 香穂子は哀しい気分になった。

 

 吉羅は母親を睨み付けると、そのまま立ち上がる。

「お母さん、私は、子供を作らなければならないから作ったわけではありません。香穂子とずっと人生を共にしたいからです。子供がいなければ相続出来ない。そんなことはどうでも良いです。相続しなくても結構です」

 吉羅はそれだけを言うと、香穂子を追いかけて洗面所に向かった。

 

 香穂子は悔しくてしょうがなくて、嗚咽が零れた。

 吉羅が理由があって子供を作ったのであれば、これほどまでに切なくて屈辱なことはない。

「…香穂子…」

 名前を呼ばれて振り返ると、そこには吉羅がいた。

「…暁彦さん…」

「…香穂子…、今までのことがある以上…、君に信じて貰えるとは思ってはいない…。だが…、君を抱いたのは、子供を作ったのは、母が言うようなリミットがあるからじゃない」

 吉羅は苦しげに言うと、香穂子が逃げ出さないようにとばかりに、思い切り抱き締めてくる。

 吉羅の苦しい思いが伝わってくる。

 香穂子は、その想いに喘いだ。

「君に信じて貰えないのは、自業自得だと思っている。だが、それでも君に伝える。母が言っていたのは、私が三十代の間に結婚をして、男の子を作れば、祖父の遺産が引き継げるというものだが、そんなことは関係ない。そんなものがなくても、私は充分にやっていけるのだからね」

 吉羅は忌々しい遺言だとばかりに、吐き捨てるように言う。

「…暁彦さん」

「だが…、私は君がいなければ、生活することが出来ない…」

 吉羅は苦しげに言うと、香穂子を思い切り抱きすくめた。

「…私はそれほど暁彦さんのお世話は焼いていません…。暁彦さんは何でも出来るから…」

 香穂子は弱々しく笑いながら呟く。

 本当にそうなのだからしょうがない。

「世話をする、しないは関係ない。君にただそばにいて欲しい。私が望んでいるのは、それだけだよ…」

 吉羅は苦悩に満ちた表情で呟く。

 もしそうならば、これほどまで嬉しいことはないのにと思う。

「…それは本当ですか…? 本当に…私を求めて下さっていますか?」

 香穂子が震える声で呟くと、吉羅は優しい抱擁をする。

「…君を求めているよ…。何時でも求めていた…。香穂子…、帰ってから話そうか。ここに長居をする必要はもうないのだからね」

「はい」

 吉羅は抱擁を解くと、香穂子の手をギュッと握り締めてくれた。

「帰ろうか…。私たちの家へ」

「はい、有り難うごさいます…」

 香穂子が礼を言うと、吉羅は静かに頷いた。

 ふたりが洗面所から出て行くと、吉羅の母親が心配そうに立っていた。

 本当に申し訳ないとばかりに、不安そうな表情をしている。

「…暁彦…ごめんなさい…。香穂子さんも…。あなた方が知っているとばかり思っていたのよ…」

 母親は本当に反省しているようで、心配そうにふたりを見つめている。

 うなだれている様子を見ると、やはりかなり反省しているのだろう。

「…大丈夫です。そんなにも心配そうにされないで下さいね」

 香穂子が優しく声を掛けると、母親はホッとしたのか泣きそうな顔になっていた。

「有り難う…。本当に…」

 母親は安心したように言うと、香穂子を真直ぐ見た。

「お母さん、今日のところは、香穂子が余り気分が優れないようですので、失礼します。また改めて挨拶に伺います」

「解ったわ…」

 母親は頷くと、重い表情をしていた。

 

 吉羅と一緒に車に乗って、帰宅する。

 きちんと話し合える機会を神様からプレゼントされたのではないかと、香穂子は思った。

 車の中では特に話はしなかったが、吉羅がずっと手を握ってくれていた。

 その手の温もりから、香穂子は優しい気持ちになれた。

 吉羅からの愛情が感じられる。

 愛情が感じられる。

 それだけで香穂子にとっては幸せなことだ。

 香穂子は、感じている愛情が本物と感じたいと思った。

 

 ようやく自宅に到着し、ふたりは早速、リビングへと向かい、お互いに顔が見える場所に腰を下ろすことにした。

「…暁彦さん…。私と…どうして結婚されたんですか? あなたなら、どのような女性でも不自由はしないはずです…。なのに…」

 香穂子は率直に訊きたいことを訊く。

「理由は簡単だ。ひとつしかない…」

 吉羅は目線をさり気なく伏せた後、真直ぐ香穂子を見た。

「君を愛しているからに決っているじゃないか。他に理由はない」

 吉羅はキッパリと言うと、香穂子を抱き寄せた。

 力強く抱き締められて、息が出来なくなる。

「…暁彦さん…」

 信じられる?

 それとも信じられない?

 吉羅の抱擁を感じれば、信じることが出来る。

「…だったらどうして…私にずっと冷たかったんですか…?」

 ずっと妻として認められなかった。

 だからこそ愛なんてないと思っていたのだ。

 だが、吉羅は「愛している」と言ってくれている。

「…愛しているのに…どうして私と本当に夫婦になろうとしたんですか?」

 香穂子は今までずっと噛み締めていた苦い感情を吐き捨てるように言う。

「…君が…、私と結婚したのは政略的なものがあったからと思ったからだ。君は…、私との結婚を後悔しているものとばかりに思っていたから、君を抱けなかった。君が傷付いてしまうのではないかと思ったからだ…」

 吉羅は苦しげに切なげに呟くと、香穂子のまなざしを見た。

「暁彦さん、私は…一度として、これが政略的な結婚だとは思ったことはないです…。あなたを愛していたから…、あなたが大好きでしょうがなかったから…」

 香穂子は、吉羅への想いをまなざしに滲ませながら、真直ぐ見つめた。

 その瞬間、吉羅は感きわまったように激しく香穂子を抱き締めてきた。

 抱擁だけで吉羅の強い想いが伝わってくる。

「君を愛しているよ。だからこそ…、私は君と結婚したんだ」

 吉羅は愛が迸るような声で言うと、香穂子を思い切り抱き締める。

 愛されていることが実感出来る。

 泣きたくなるぐらいに愛されている。

 思えば、吉羅の愛にずっと見守られて、助けられてきた。

 本当は愛に対しては不器用な男性だから、ストレートな表現をして貰えなくて、気付かなかった。

 いいや気付こうとしなかったのだ。

 香穂子はなんて罪深いと思う。

 愛する人の気持ちに気付かないなんて、なんという愚かさだったのか。

 香穂子は涙を零すと、吉羅を真直ぐ見つめた。

 今度は自分がきちんと誠意を見せなければならない。

 香穂子は背筋を伸ばして吉羅を見た。

「暁彦さん…、私はずっとあなただけを愛していました。あなただけを…。だからこそ…、ずっとそばにいたんです…」

 香穂子は吉羅に精一杯の気持ちを向ける。

「あなたを愛しています…。これからもずっと…」

「香穂子…!」

 吉羅は覆い被さるように熱く愛が溢れたキスをしてくれる。

 涙が出るほどに熱いキスだ。

 他に何もいらない。

 ようやく吉羅の愛を手に入れることが出来たのだから。

 いや、本当は最初から手に入れていたのかもしれない。

 香穂子は、気付いた愛を二度とは離さないと、強く誓った。



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