*18歳の花嫁*


 高級老舗レストランにランチに向かう。

 ここまでは、いつもとは変わりはない。

 いつものようにランチを一緒にするだけだからだ。

 だが、ふたりの関係性が変わってしまった。

 しかも百八十度と言っても過言ではない。

 結婚を約束した間柄になるなんて、思ってもみなかった。

 以前はただの…。

 香穂子はそこまで考えたところでハッとした。

 吉羅とは、今まではどのような関係だったのだろうか。

 少なくとも友人ではない。

 今までの自分達がどのような関係であったのか、香穂子は益々分からなくなってしまった。

 本当のところはどうだったのだろうか。

 香穂子には考え付かなくなっていた。

 今まで香穂子にとっての吉羅は、“大好きな男性”で片付けられていたのだから。

「…吉羅さん、どうしてこんなにも突然に、私と結婚話を持って来られたんですか? 私はまだ学生ですし、あ、あなたと結婚するには早いと思っています。そ、それに余りに突然ですし…」

 香穂子も最初は毅然とした態度で話そうと思っていたのに、吉羅が厳しいまなざしをこちらに向けて来る。

 吉羅暁彦に冷酷かつ厳しく見つめられて、冷静でいられる人間がどれぐらいいると言うのだろうか。

 恐らくは皆無だ。

 香穂子は背中に嫌な汗が流れるのを感じながら、なるべく対峙しようと努力をした。

 だが、上手く出来なかった。

「…君との結婚は早いとは思っていない。君の父上には、去年から申し出ていたことであるからね」

「…去年…!」

 かなり早い時期からこの話が進行していたなんて、香穂子は知るよしもなかった。

「私と結婚すれば、君は自由にヴァイオリンの勉強をすることが出来る。君のヴァイオリンについては、出来る限りの援助はしようと思っている。悪くはない話ではあるはずだ」

 本当に何でもないことのように平然と言う吉羅に、香穂子はただ唖然とするしかなかった。

「香穂子、食べなさい。料理が冷めてしまう」

 吉羅はさり気なく言うと、食事を続ける。

 香穂子も食事を続けるが、少しも美味しいとは思えなかった。

 いつもならばかなり美味しいと思うのに。

 吉羅と一緒にいるだけで、どのような食事を食べても美味しいと感じていたのに。

 今日は味けがなかった。

 ずっと夢見ていた。

 吉羅とディナーを楽しみながら、その最中でプロポーズを受けることを。

 サプライズが用意されていて、結婚しようと描かれているデザートが出てきて、吉羅は花を片手にプロポーズをしてくれる。その後、婚約指環が左手薬指にそっと填められる。

 ロマンス小説の読み過ぎだと言われたら、それまでかもしれないが、とにかく、香穂子の中では、最もロマンティックなプロポーズをしてくれるのは吉羅だという刷り込みがあった。

 なのに現実は、まるで会社の事業提携を提案するかのように言われている。

 これほどまでにロマンティックではないプロポーズはないと、香穂子は思わずにはいられなかった。

 吉羅は大好きだ。

 だからこの申し出も断ることなど出来ない。

 逆に言えば、断らない理由を一生懸命に探しているようにも思えた。

 断りたくない。

「香穂子、私と結婚したとしても、君の生活は何も変わらない。ただ、私と一緒に暮らすだけだ」

「…吉羅さん…」

 香穂子は胸の奥がかき乱されている気分になり、思わず俯いた。

「食事を楽しみなさい」

「…はい…」

 香穂子は、余りに美味しいとは思えないままに、そなまま黙っていた。

 いつもならば本当に美味しくて楽しい時間を過ごすことが出来る限りはずなのに、香穂子は沈んだ気分になっていた。

 結婚を受け入れる、受け入れない。

 そんな選択肢すら自分にはないのかもしれない。

 それが香穂子には辛い。

 だが、選択肢があったとしたら?

 それでも、結局は同じことを選ぶのではないかと香穂子は思った。

 

 食事の後、吉羅はいつものように送ってくれるのとばかり思っていた。

 だが。

「香穂子、気分転換をしにドライブに行かないか? その後は、ちょっとしたクラシックの演奏会がある。行かないかね?」

 吉羅はいつもと同じ態度ではあるが、かなり気遣ってくれているようだ。それはかなり有り難かった。

 吉羅なりに、香穂子な心情を気遣ってくれているようにも思えた。

「有り難うございます。気分転換しなくちゃダメですね…。今の私は…」

「そうだね。君にはリフレッシュすることが大切だ」

「はい」

 いつもは手を繋いでくるということはないのに、吉羅は手を繋いでくれる。

 それは香穂子には嬉しいことだった。

 これまではこんなに甘く接してくれたことはなかったのだから。

 もう少しキツく手を握られても構わない。

 そんなことすら思ってしまう。

 吉羅と手を繋いだまま駐車場へと向かう。

 香穂子は苦いときめきが華やいで来るのを感じていた。

 車に乗り込むと、吉羅はドライブへと連れていってくれる。

 車窓に流れる風景が、昔から大好きだ。

 昔から吉羅とのドライブは、最高のアミューズメントだった。

 車窓には懐かしい風景が流れている。

 香穂子が小さい頃から大好きな海に向かって走っているのが解った。

「鎌倉の海ですね」

「ああ。気持ちが良いからね。鎌倉は君も好きだろう?」

「はい。小さな頃から春や秋の鎌倉の海が好きでしたから」

 横浜からのんびりと鎌倉へ。

 香穂子は楽しい気分で、ドライブを楽しむことにした。

 吉羅が好きなことは確かだ。

 結婚といきなり言われて本当に驚いてしまったが、まだどうして自分と結婚したいのかを、きちんと聞いたことはなかった。

 吉羅の横顔をちらりと見る。

 吉羅はいつでも素敵だけれども、特に今は本当に素敵だ。

 車を運転する吉羅が大好きだった。

 車は、香穂子が大好きな静かな海岸へと到着する。

 小さな頃から、いつもこの場所に連れて行ってくれた。

「小さな頃は、君はよくここで水遊びをしていたね」

 吉羅は懐かしそうに言う。

 吉羅との出会いは八年前。

 まだ香穂子が10歳の頃だ。

 吉羅が新進気鋭の経済人として鳴らし始めた頃だ。

 あの頃は、吉羅と逢えるだけで、本当に幸せだった。

「吉羅さん、あの頃と違って、私は成長しましたよ。だって、もう吉羅さんと結婚が出来る年齢ですから」

「確かに。君は私と結婚出来る年齢だね。だからこそ、君に結婚を申し込んだんだけれどね」

 吉羅は苦笑いをしながら言うと、香穂子を見つめる。

 春風が吉羅の甘い黒曜石のような髪を優雅に靡かせている。

 なんて綺麗なのだろうかと、香穂子はただ見つめることしか出来なかった。

 ふたりの視線が砂糖菓子のように甘くなる。

「…吉羅さんは、どうして私と結婚しようと思われているんですか? あなたにはもっと相応しい綺麗な女性は沢山いるんじゃないですか」

 髪が揺れて、声もまるで小さな子供のように揺れている。

 本当に小さな女の子みたいで、恥ずかしかった。

「…それは、君と結婚したいからだよ。それだけの理由ではダメなのかね?」

 結婚したいから。

 これ以上の理由なんて他にないのではないかと、香穂子は思う。

 ならば。

 これ以上の理由がない以上、拗ねる必要はないように思える。

 大好きな男性と結婚する。

 手を伸ばせば、香穂子の夢のひとつは叶うのだ。

 香穂子は深呼吸をすると、吉羅をみた。

「…だったら、私をあなたのお嫁さんにして下さい…」

 その瞬間、香穂子は吉羅に思い切り抱き締められた。



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