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夫の浮気に無関心でいられる妻は凄いと、香穂子は思う。 自分もそんな女性の一人ではないかと考えることもある。 夫の浮気に無関心な妻は、大抵は夫の経済力に頼っているからこその苦しさというのはある。 香穂子もそこはあるから、全く同じことだと思っている。 結婚してから二年。 キスは一度だけ。しかも結婚式の時だけ。 そして全くベッドを共にしたことはなかった。 こんなのは異常な夫婦としか言い様がない。 しかも、夫とはたまにデートをするぐらいで、それ以外では交流がないといっても良かった。 これだったら、独身時代のほうが沢山逢っていたのかもしれない。 しかも、よく美しい女優の格好のゴシップ相手として名前が上がっている。 もうすっかりそんな記事も慣れてしまった…と、言いたいところだが、苦しいことには変わりがなかった。 もうすぐ香穂子も二十歳になる。 吉羅と結婚をして二年になろうとしている。 何もあの頃とは変わってはいない。 ただヴァイオリンだけはしっかりと勉強をさせて貰っている。 それだけは有り難かった。 有名音大に行かせて貰っている上、父親が細々と営んでいる会社への援助もしてくれている。 経済面に関しては、全く恵まれている。 だが、心は満たされていない。 こんな生活が続いているから、吉羅のことを嫌いになれると思っていたのに、全くそのようにはなれない。 それが不思議というよりは、切ないと言っても良かった。 一緒に暮らしているうちに、吉羅のさり気ない優しさを感じることが出来るようになったからかもしれない。 だが、それだけでは片付けられない想いが、香穂子の中にある。 どうしてこんなにも好きになったのかは分からない。 だが、好きになることに理由なんて本当はないのかもしれない。 香穂子はそう思わずにはいられなかった。 吉羅のことが好きで好きでしょうがない。 だが、吉羅はそのような感情を全く持ち合わせてはいないのだ。 なのにどうして結婚を続けるのだろうか。 香穂子には全く意味が分らなかった。 吉羅にとってもこの結婚は意味がない筈なのに。 あの合理主義な吉羅暁彦が結婚を続ける理由が、香穂子にはどうしても分らなかった。 その日は珍しく、吉羅にパーティの同伴を頼まれた。 所謂、世間で言うところの“幼妻”だからだろうか。 余り同伴することはなかったのだが、今回はどうしてもと半ば命令されるように言われた。 吉羅はドレスにハイヒール、バッグと、一通り新調してくれた。 まるでシンデレラのように着飾ってくれる。 綺麗になるのは嬉しいが、それは吉羅の前だから嬉しいのだということを、本人は解っているのかどうかは謎のままだった。 「香穂子、支度は出来たのかね?」 吉羅は、ブリティッシュテーラードのスタイリッシュなスーツを着こなして、香穂子の部屋に現われた。 ノックもせずに現われたものだから、香穂子は驚いて息を呑んだ。 「暁彦さん…っ」 「私たちは夫婦だ。驚くこともあるまい」 ドレスを着ていたから良いものの、着ていなかったらと思うだけでくらくらする。 それは決して不快なものではなくて、あくまでも甘いドキドキからくるものだった。 「準備は出来ているようだね。行こうか」 「はい」 吉羅は先に部屋を出て、いつものように一歩先に行ってしまう。 香穂子は一生懸命に後に着いていくが、なかなか上手く行かなかった。 吉羅はいつものように車のドアを開けて待ってくれてはいる。 だがまなざしは冷徹で、早くしなさいと言わんばかりだった。 吉羅は直ぐに車を走らせる。 香穂子は、無言で緊張しながら車に乗り込んだ。 吉羅と一緒にパーティに出掛けるなんてことは滅多にはないことだから、香穂子の緊張はマックスに達していた。 吉羅をついちらちらと見てしまう。 だが吉羅は少しもケアをするようなまなざしをくれなかった。 香穂子は、いつもなら吉羅の運転を見るのが好きではあるが、今日に限っては、見たくはなかった。 拒絶されているような気がしたから。 拒絶をする程の相手だとはいうのに、どうして結婚を続けているというのだろうか。 パーティが終わったら、別れを切り出してみようか。 今までは一度も切り出したことはないけれども、切り出さなければならないと、香穂子は思った。 車はゆっくりとホテルの車寄せに入る。 吉羅は、車を入り口前で停めると、キーをベルボーイに手渡す。 ベルボーイが駐車場まで車を置きにいってくれるのだ。 吉羅は香穂子を厳かにエスコートをすると、ホテルの中に入っていった。 エスコートと言っても、吉羅がやることだ。かなりスマートに行なってくれる。 香穂子は、吉羅にエスコートをされながら、緊張の余りにドキドキしていた。 「香穂子、力を抜きなさい。大丈夫だ。私が着いているから…」 「…暁彦さん…」 吉羅が着いているからこそ、緊張してしまうのだ。 それは本当のところだ。 香穂子は呼吸を整えながらも、なかなか緊張からは開放されなかった。 吉羅にエスコートされて向かったのは、海外財界との交流パーティだった。 夫人同伴であることも頷ける。 毎度、毎度、吉羅に同伴されるのは疲れてしまうから、本当にたまにが良いのだろう。 かなりのセレブリティが参加しているせいか、香穂子は更に身を固くした。 「香穂子、固くなるな。余り良いものじゃないからね」 吉羅にキッパリと言われてしまい、香穂子は言葉を返すことは出来なかった。 固くならないようにと思いながら、香穂子は何とか笑顔を向ける。 英語なんてそんなにも話せないから、香穂子は余計に緊張した。 吉羅はと言えば、かなり優雅に美しい英語を話している。 英語すらもろくに話せない妻を、吉羅はどうして娶ったのだろうと思いながら、香穂子はただ笑顔を向けた。 明らかにハーフだろうと思われるかなりの美女がこちらにやってきた。 本当に美しくてうっとりとしてしまうほどだ。 香穂子はブルネットの髪が美しい美女を、ついうっとりと見つめてしまった。 「暁彦さんお久し振り。その方ね、あなたが結婚されたのは。可愛らしい方ね」 落ち着いた優しさが滲んだ笑顔を向けられて、香穂子はついうっとりとする。 本当に綺麗な女性だ。 吉羅とぴったりだと言っても過言ではない。 ふたりのほうが、ずっとお似合いだと香穂子は思った。 「香穂子だ。ヴァイオリンを学んでいる。香穂子、こちらはクリステル。MBAを持つ頭の切れる女性だ」 吉羅の紹介を聞きながら、これ以上吉羅にぴったりな女性はいないのではないかと、香穂子は思った。 ふたりを見ていると、本当に愛し合っているように見えるのが不思議だ。 香穂子は、吉羅を見つめながら、本当はこの女性と結婚したいのではないかと、思わずにはいられなかった。 一通りの挨拶が終了し、香穂子はホッとした。 少し休憩したくて、ホテルの庭で月光浴をしようとひとりになる。 庭に出ると、香穂子は、吉羅と先程の女性が一緒に歩いているのが見えた。 ふたりは本当にお似合いだ。 これ以上のカップルはいないのではないかと思う程だ。 吉羅はどうしてこんなにも似合いの女性と結婚しないのだろうか。 香穂子にはそれが気になる。 もし結婚した後にふたりが出会っていたとしたら…。 吉羅を解放してあげなければと、香穂子は思っていた。 |