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吉羅の背中をしっかりといると情熱が沸騰して行く。 吉羅のキスは激しくて、香穂子は自分の自分のものだと強く主張しているように見える。 香穂子は、吉羅に夢中になりすぎるぐらいに夢中になってしまう。 ドキドキし過ぎて、更にそれよりも上のときめきが欲しくなった。 どのようなものであるかは分かっている。 それを欲しいと、女としての本能が、香穂子に囁いていた。 吉羅は、香穂子に自分を刻み付けるかのように、口腔内を舌先で愛撫して行く。 背中がゾクゾクとしてくる。 もっと甘い戦慄が欲しいと、香穂子は思わずにはいられない。 香穂子がとことんまで愛欲に乱れるような、深い、深いキスをしながら、吉羅はほんのりと、香穂子のボディラインを撫でてくる。 それが更に香穂子に甘い戦慄を感じた。 ようやく唇を離されても、香穂子はぐったりと吉羅に身体を預けることしか、出来なかった。 甘くて何処か倦怠感のある感覚だ。 深いキスなんてしなかったとばかりに、吉羅は平然と香穂子を見た。 「ドライブの続きをしようか。香穂子……」 ドライブをしていたことを、香穂子はすっかり忘れてしまっていた。 これにははずかし過ぎて、香穂子はつい小さくなってしまう。 吉羅は再びステアリングを握ると、何事もなかったように車を走り出した。 香穂子はこんなにも恥ずかしいのに、どうして吉羅はこんなにも平然としていられるのだろうか。 それは、香穂子には分からなかった。 香穂子はこんなにもドキドキしているというのに、吉羅は全く何もない。 一方的に自分だけが好きなのではないかと、思ってしまう。 どうしても、愛人契約を結んでいるという、後ろめたさが、香穂子を苦しめる。 恋人ならば、太陽の輝かしい下にいたとしても、とても微笑ましいと感じれる。 だが、愛人と言う響きはそうじゃない。 かなり重たい気持ちになってしまう。 それが香穂子は苦しかった。 一線は越えてはいないが、それが香穂子にはかえって苦しかった。 辛くて苦しい。 いっそ、そのような関係にならば、それはそれで割りきれたかもしれない。 だが、それが出来ないのは、この苦しい立場にあるからだと、香穂子は改めて感じずにはいられなかった。 「どうしたのかね、日野くん。先程から気分転換にはなっていないような雰囲気だね?」 吉羅はあくまでソフトに訊いてくる。 それがかえって、苦しかった。 本当に香穂子を戯れの感情のおもちゃとぐらいにしか、思ってはいないのだろうかと、思わずにはいられない。 香穂子はただ曖昧にしか笑えなかった。 「ドライブぐらいでは、君の気持ちは晴れないかな?」 「いいえ、そんなことはありません。楽しいですよ」 香穂子は、なるべく吉羅を見ないようにしながら、にっこりと微笑んだ。 ひょっとして、先程のキスがなければ、もっとときめくことが出来たのではないかと、思わずにはいられない。 「更なる気分転換が必要かな?その調子だとね……」 吉羅は困ったように薄く笑う。 「ドライブでも充分に楽しいですよ」 「そうは思えないからね」 吉羅は苦笑いを浮かべた後、香穂子を見ることなく、運転に集中している。 その横顔を見つめていると、余計に苦しくなる。 こんなにも苦しいことが他にないのではないかと、思わずにはいられないぐらいだった。 吉羅の運転に集中し続ける横顔は、隙がないぐらいに素晴らしく、香穂子はつい魅入られる。 こんなにも素敵で大人なひとが、自分なんかを好きになるはずなんてない。 香穂子はずっと自問自答し続けた。 吉羅に呼ばれて、香穂子は、会社に向かっていた。 吉羅への恋心に苦しみすぎているからか、最近は、ヴァイオリンの調子が全く出ない。 これには香穂子自身もかなり困っていた。 恋をしている女の子ならば、いつも素敵な音楽を奏でられるとずっと思っていた。 だが、今の自分は違う。 明らかに吉羅に恋をしているのは、もう自覚している。 だが、それが苦しい恋であるのは間違いなく考えれば、考えるほどに、香穂子を余計に苦しくさせた。 ヴァイオリンの調子が悪いことを、吉羅に指摘されるのだろうか。 安易に予測できるのは、それぐらいなのだ。 香穂子は溜め息を吐きたくなる。 それが事実なのは分かっているのだから。 重い気持ちで、吉羅がいる、CEO室のドアをノックする。 「……吉羅さん、日野香穂子です」 「入りたまえ」 吉羅はクールに返事をする。香穂子は静かに部屋に入る。 すると吉羅は相変わらず完璧な姿で、仕事をしていた。 「ご用は何でしょうか?」 「ああ。気分転換をしようと言っていただろう? クラシックのコンサートに行くよ。ただし、かなりの格調がある演奏会だからね、ここに行って、綺麗にしてもらって来なさい」 吉羅はテキパキと言うと、香穂子にメモを渡してくれた。 「はい。こちらに向かえば良いんですね。ですが、いつから……?」 「今からだよ。車は手配しておいたから、行きたまえ」 吉羅は有無を言わせないとばかりに、言う。 香穂子のスケジュールは全く確認すらしない。 「あ、あの、私のスケジュールは無視ですか?」 香穂子が困惑ぎみに訊くと、吉羅は眉を寄せる。そんなことは当然だとばかりに。 「君は暇だろう?」 「まあ、そうですが」 吉羅の眼差しの前では嘘なんて吐けるはずもなくて、香穂子は認めるしかなかった。 「だったら構わないだろう。行きなさい。今回は君にはかなり勉強になるコンサートだからね」 吉羅はさらりと言うと、チケットを見せてくれた。 「……!!!」 香穂子がかなり憧れているヴァイオリニストも参加するコンサートだ。 だが、今回はかなり格調が高いコンサートで、チケットもプラチナだと噂があった。 とてもではないが、香穂子がチケットを取れるレベルではないと思うぐらいの、価額設定であり、競争率だった。 これは本当に行きたい。 香穂子はついうっとりとした笑顔になった。 「あ、あのっ!是非にでも行きたいです!」 つい、勢いで言ってしまい、香穂子は恥ずかしくなってしまう。 吉羅はフッと笑う。 「そう言うと思っていたよ。行ってきなさい。君が支度が終わるタイミングで迎えに行くから」 「はい」 「では、いっておいで」 吉羅の気遣いに、香穂子は胸がほんのりと暖かくなった。 少しだけ、後ろ向きで暗い恋心が何処かにいってしまった。 「では、行って参ります」 「ああ」 吉羅に見送られて、香穂子は車が用意されていた駐車場に向かった。 何だかシンデレラにでもなたような気分だった。 |