*愛人契約*

18


 吉羅の温もりに包まれているのを感じながら、香穂子はゆっくりと目覚めた。

 吉羅と目が合い、恥ずかしくなる。

「香穂子、目を逸らさないでくれ」

「吉羅さん……」

 吉羅は香穂子を厳しい目で見つめてくる。そんな目で見つめられると、切なくなって余計に自分の殻に閉じ籠ってしまう。

 自分で決めた選択。

 自己責任なのは解っている。

 だが、そんな目で見つめられると、激しく胸が痛くなった。

 吉羅は解っているだろうか。

 香穂子がひどく切なく感じていることを。

「吉羅さん……、後悔されていますか?」

 香穂子の問いに、吉羅は更に眼差しを厳しくする。

「なぜ?君はしているのかね?」

 吉羅は香穂子を厳しく叱るように言う。

 香穂子は萎縮しながら、小さく丸くなった。

「……私は後悔なんてしません。私が決めたことですし、私が望んだことですから……。それだけです……」

 香穂子は静かに呟くと、目を伏せた。

 すると背中から包み込むように吉羅に抱き締められてしまう。

 いきなりの甘い行為に、香穂子は胸が甘く疼いた。

「……私もずっと望んでいたことだから、後悔なんてしていない。君は素晴らしかった」

「吉羅さん……」

 吉羅が情熱的に囁きながら、香穂子の首筋に唇を強く押し付けてくる。

 苦しくて甘い感覚に、背中にざわつきを覚えた。

「……君は私だけのものだよ。君を離さないからそのつもりで」

 吉羅はキッパリと言うと、香穂子を仰向けに寝かせて、組み敷く。

「……君はこれからは私と一緒に休みなさい。私は、君をもう離さない。君は私のものだ。解るね?」

 吉羅は香穂子の瞳を真っ直ぐ見つめると、宣言する。

 宣言されると、香穂子はときめかずにはいられない。

「はい。吉羅さんのそばにいたいです……」

「香穂子……。君は最高の女だよ……」

 吉羅は唇を軽く押し付けてくると、香穂子を愛し始める。

 大切なひと。

 香穂子の大切な恋。

 吉羅とふたりでずっと一緒にいたい。

 願いが叶えば。

 吉羅がくれる情熱に、香穂子はそのまま溺れていく。

 この情熱の中にいつまでもいられたら良いのにと、思わずにはいられなかった。

 

 翌日から、香穂子は世界が変わったような気がした。

 愛するひとと結ばれる。

 それがこんなにも素敵なことなのだろうかと、改めて実感する。

 確かに情熱的な時間だけは、吉羅は香穂子のものだった。

 だが、こうして日常に戻ったら、吉羅は香穂子のものではない。

 香穂子は四六時中、吉羅のものではあるが、吉羅はそうではない。

 その事実が香穂子には切なかった。

 吉羅が欲しい。

 その心も。

 香穂子は、吉羅と肉体的に結ばれてから、益々、高望みをするようになってしまった。

 吉羅と肌を重ねれば、重ねるほど、香穂子は苦しいほどにその想いを強くしていった。

 

 その週は、吉羅はなかなか帰っては来なかった。

 いつものこととはいえ、吉羅は今夜も遅い。

 最近は、甘くてバラの香りがする残り香を身に付けていることが多い。

 明らかに女性の香水の香りであるのは、明白だった。

 吉羅が、誰と逢うか、誰と付き合うのか、香穂子には口を出す権利はない。

 幸せなカップルのような感情を抱いてはいけないのだ。

 香穂子は息苦しくて、堪らなくなる。

 香穂子は、感情をもて余しながら、ひとり、ベランダに出た。

 今夜も吉羅はかなり遅いのだろう。

 香穂子がひとりで食事をして、お風呂に入っても、吉羅は帰っては来なかった。

 マキシワンピースを着て、香穂子はベランダに出る。

 夜空を見上げながら、香穂子はこの関係を清算しなければならなくなるかもしれないと、考えてしまう。

 そんなことが起こったら、きっと香穂子は死んでまうのではないかと、思った。

 だが、そんな日が近づいているのだということを、肌で感じていた。

 最近は、吉羅のことばかりを考えているからか、香穂子は自分が情緒不安定になってしまう。

 その事ばかりを考えていて、体調も優れなくなる。

 香穂子は、このままでは壊れてしまう。

 壊れる前に、自分でなんとかしなければならないと、香穂子は強く感じていたり

 ただ夜空を見上げる。

 切なく甘い、夜空だった。

 

 最近、準備をすることが多くて、吉羅は溜め息を吐く。

 この忙しさを癒してくれるのはひとりしかいない。

 香穂子だ。

 吉羅は、急いで車を飛ばす。

 香穂子に逢いたい。

 香穂子を抱き締めたい。

 強く思わずにはいられなかった。

 自宅に戻ると、香穂子の気配が感じられない。

 吉羅は焦る。

 香穂子がいなくなることなんて、吉羅には考えられないことだった。

 吉羅は、ベランダに通じているリビングの掃き出し窓が開いているのに気が付いた。

 ベランダに出ると、マキシワンピースを着た香穂子が、ただ夜空を見上げているのが見える。

 無心で眺めているようにも、何か決意を秘めて眺めているように見える。

 美しすぎて、吉羅は思わず見つめてしまう。

 このまま何があっても離したりはしない。

 それは吉羅が強く思っている。

 香穂子だけは、絶対に離したくはないと、吉羅は感じずにはいられない。

 何があっても、香穂子を諦めたりはしない。

 そう強く感じた。

 吉羅は、ゆっくりと香穂子に近づいてゆく。

 近づくだけで、幸せだと感じる。

 本当に今日の香穂子は美しいと、思わずにはいられなかった。

 

 夜風に吹かれながら、香穂子は深呼吸をした。

 やはり、決断の時なのだろうか。

 そんなことを感じずにはいられない。

 香穂子は暫く、涼んで、部屋に戻ろうとした時だった。

「……!!!」

 いきなり背後から抱き締められて、身体を固くする。

 身体が強ばってしまう。

 息が出来ない。

 直ぐに吉羅だと気がついて、香穂子は力を抜いた。

「香穂子……」

「おかえりなさい、吉羅さん」

 香穂子が声をかけると、吉羅は更にギュッと抱き締めてくる。

 息が出来ないほどに抱き締められて、香穂子は熱い吐息を溢した。

 切ないぐらいに胸がドキドキしてしまう。

「香穂子、どうしたのかね?」

「夜空を眺めていただけです。宇宙に比べたら、私なんかちっぽけだなあって。そんなことをぼんやりと考えていました……」

「本当に?」

「はい」

 香穂子は、吉羅には誤魔化しは効かないと思いながら、穏やかに呟いた。

「何処にも行くな……。香穂子、私は一生、君を離す気はない」

 吉羅は切ない声で呟くと、更に香穂子を抱き締める。

 吉羅が心から求めてくれていると、今は強く感じられるのに。

 香穂子はそれが切なかった。



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