19
求めているのならもっと深く求めて欲しい。 こんなにも自分が求めているのだから。 香穂子が求めるほどに、求めて欲しい。 もっともっと欲張りに求めて欲しい。 吉羅には心から求めて欲しい。 わがままかもしれない。 勝手すぎるかもしれない。 だが、同じぐらいに愛して欲しい。 だが、愛人なんかではなく、対等の男女の関係を求めてはいけないのだろうか。 そんなことを強く思う。 強く願う。 「どうしたのかね?」 「吉羅さんは、ずっと私がそばにいることを望んでいらっしゃいますか?」 「それはもちろんだ」 吉羅は、香穂子を更に自分に引き寄せて抱き締めてくれる。 「それはとても嬉しいです。私も出来たらずっと吉羅さんのそばにいたいです。出来たらずっと……」 「だったらずっとそばにいれば良いんだ」 「有り難うございます」 そう言って貰えるのは嬉しい。だが、それでは物足りないのだ。 「君は何処にも行かなくて良いんだ。私のそばに……」 吉羅は一瞬、言葉を澱ませる。何処か自嘲気味な微笑みを浮かべた。 香穂子はそれを見逃さなかった。 吉羅は深く求めてくれているが、何処かに何かに遠慮しているようにも思えた。 香穂子は、それが恋人だとかではないかと、思わずにはいられない。 「余り夜風にあたりすぎるのも良くないからね。香穂子、部屋に戻ろう」 「はい」 素直に返事をすると、吉羅はもう一度強く抱き締めてくれた。 とても力強くて、息が出来ないぐらいに切なくなる抱擁だった。 切ないぐらいに甘い抱擁だ。 香穂子は吉羅の匂いと強さをしっかりと受け止めた後、吉羅に総てをためらいなく預けられたら良かったのにと、思わずにはいられなかった。 吉羅は香穂子から抱擁を解くと、その手をギュッと握り締めてくる。 吉羅は、香穂子の手を強く握り締めると、そのまま自分の寝室に連れていく。 「君が欲しくて堪らないんだよ」 「吉羅さん……」 香穂子は、吉羅に総てを託すと、そのまま身を任せる。 本気で愛してはいけない。 そんなことを吉羅は言っていなかった。 本気になることは契約違反にはならない。 隠していれば。 本当に好きすぎて堪らなくなる。 苦しい。 だが、今は愛人としてしか、吉羅の傍にはいられないのだ。 吉羅は香穂子をしっかりと抱き締めてくれる。 このひとときだけを糧に、香穂子は生きて行こうと、今は思っていた。 吉羅との関係性は変わらない。かえって泥沼化しているのではないかとすら思う。 今夜は、香穂子はパーティでヴァイオリンをメインで演奏することになっていた。 吉羅の尽力のお陰で、香穂子はかなり濃密にヴァイオリンを勉強することが出来ている。 そのお陰で、香穂子のヴァイオリンの技量はかなり伸びてきている。これも吉羅の助力のお陰なのだ。 それは本当に感謝していた。 吉羅のお陰で、技術と表現力のどちらもかなりの力をつけることが出来た。 技術は、吉羅のバックアップでしっかりとレッスンが出来ていることもあり、目を見張るほどに上がっている。 表現力は、吉羅に恋をすることによって得られた。 どちらも吉羅のお陰で向上出来たのだ。 それにはかなり感謝している。 今日のパーティには、吉羅も参加している。 たが、あくまで来賓と楽しませる側なのだ。 ふたりの間には、分厚い壁がある。 香穂子は、吉羅が、綺麗な女性を伴ってパーティに参加をし、ふたり揃って挨拶をしているのを見た。 胸が痛い。 苦しくて、香穂子は早くここから逃げ出したいとすら思った。 ヴァイオリンの演奏が終わったら、早く帰ろうと思う。 これが現実なのだ。 吉羅と香穂子の。 吉羅は、香穂子を愛人としてしか扱わないのだ。 決して結婚なんてしないのだ。 ひとりの愛するひととして扱ってはくれないのだ。 それが重い事実として、香穂子にのしかかってきた。 香穂子は、嫉妬すら許されない自分の立場を呪いながら、ヴァイオリンを演奏したら、直ぐに帰ろうと思っていた。 香穂子は、切ない気持ちをヴァイオリンの調べにのせて演奏する。 胸の痛みと切なさに苦しくなった。 ヴァイオリン演奏の評判はかなり良くて、主催者には、また是非、演奏して欲しいと言って貰えた。その上、色々とヴァイオリン演奏の仕事のオファーを幾つか貰うことが出来た。 これには香穂子も感謝していた。 切なくて苦しいパーティではあったが、明らかな収穫はあったのだから。 恋する香穂子としては、かなり苦しい部分もあったのだが、それでもヴァイオリニストとしては、一歩進み出すことが出来たのはかなり大きかった。 香穂子にとっては、それが一番の望みだったのだ。今までは。だが、吉羅に真剣に恋をしてしまってからは、もっと欲張りになってしまった。 吉羅が欲しい。 たまらなく欲しい。 贅沢な願いであることは解ってはいる。 だが、欲しくて、欲しくて堪らないのだ。 そんな自分の強欲ぶりに、香穂子は目眩がしそうだった。 吉羅と美しい女性を見つめる。ふたりがかなり親密な関係であることは、見ていて分かる。 本当に羨ましくて嫉妬を深くしてしまうぐらいに、羨ましくて堪らない。 お似合い過ぎて、香穂子は泣きそうになった。 香穂子は吉羅と話すこともなく、帰った。 家に戻ると、香穂子は暫く声を忍ばせて泣いた。 その夜、吉羅は戻っては来なかった。 明くる日からも、吉羅は帰るのが遅くなることが多く、香穂子は顔を会わせることがなくなった。 もう飽きられたのかもしれない。 愛人の悲しいところは、飽きたら捨てられることだ。 何日も会えないのが、辛い。 起きていれば怒られる。 香穂子は、悶々とした気持ちになる。 気持ちがおさえられなくて、香穂子はキッチンで水でも飲んで、落ち着こうと思った。 水を飲んでいると、吉羅が帰ってきた。 「おかえりなさい、吉羅さん」 香穂子が声をかけると、吉羅は視線だけを送って、横をすり抜ける。 ほんのりと優しい香水の香りがする。 それは香穂子に絶望しかもたらさなかった。 吉羅には求められてはいない。 香穂子にはその事実が痛くてたまらなかった。 もう、吉羅と一緒にいられないかもしれない。 それが苦しかった。 吉羅しかいらない。 そんな自分が悲しいのは、言うまでも無かった。 |