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吉羅と暮らす家は、映画に出てくるのかと思うぐらいにロマンティックなものだった。 「日野さん、あなた様のお部屋はこちらです。きちんと防音されていますから、ヴァイオリンの練習も出来ますよ」 「有り難うございます」 部屋のドアが開けられる。 開け放たれた部屋は、想像以上に広くて、明るかった。 しかも、香穂子がゆったりとリラックス出来るように、様々なものが準備されている。 デザインも、まるでヨーロッパのインテリア雑誌に出てくるようだ。 白を基調にしたデザインだ。 オーディオやテレビなども用意されて、クローゼットも広く、本箱やライティングデスク、パソコンまで準備されている。 本当にここまでしてもらっても良いのだろうかと思う。 「こちらのお部屋はご自由に使って下さい」 「有り難うございます」 「こちらがセキュリティがかかった鍵です。ご利用下さい」 鍵を渡され、その重みを感じる。 精神的な重みだ。 香穂子は、それに負けないように強く握りしめた。 香穂子は、先ずは自分の荷物の整理をする。 荷物はそれほど量はなかったので、すんなりと片付けが終わる。 吉羅はよく解っているのか、ヴァイオリンの収納も用意してくれていた。 その気配りに、香穂子は、吉羅は以前、ヴァイオリンを演奏していたことがあるのかもしれないと思った。 そう思ってしまうぐらいに、吉羅はきちんと準備をしてくれている。 気遣いが嬉しい。 香穂子は、ヴァイオリンを更に上手くならなければならないと、本気で思わずにはいられなかった。 先ずは、この部屋での、ヴァイオリンの弾き心地を試してみる。 防音なのに、スタジオ並にきれいに響く。 香穂子は感動して、ヴァイオリンを更に弾く。こんなにも良いコンディションで演奏が出来るなんて、思ってもみなかった。 これならば、練習に集中することが出来る。 こんなに素晴らしく演奏が常に出来るなんて、今までは無かったことだ。 香穂子は、吉羅に感謝しなければならないと強く思った。 ヴァイオリンを奏でるのに夢中になっていると、携帯電話が鳴り響く。 香穂子が慌てて携帯電話を手に取ると、吉羅だった。 「日野です」 「日野くん、引っ越しは無事に終わったかね?」 「はい。終わりました」 「それは良かった。夕食だが、適当に済ませてくれたまえ。冷蔵庫には食材のストックがあるはずだから、それを自由に使ってくれて構わないから」 「有り難うございます」 「では、私はこれで。あまり時間がないからね。じゃ」 部屋の礼を言う前に、吉羅は電話を切ってしまった。 吉羅には、ヴァイオリニストにとって、最高の部屋を有り難うと、きちんと礼を言いたかった。 携帯電話で伝えるよりは、きちんと会ってお礼を言おうと思い、香穂子は思い直した。 夕食は、冷蔵庫にある食材を使って作らせて貰った。 様々な食材が一人分で小分けされており、何でも作れそうな勢いだった。 香穂子は和食風にアレンジをして作って食べた後、大学のレポートをして、ヴァイオリンの練習に入る。 なんて充実しているのだろうか。 こんなに有意義に時間をコントロール出来るなんて、思ってもみなかった。 香穂子は、本当に有り難いと思わずにはいられなかった。 ヴァイオリンの練習の途中でメールが入った。吉羅からで、先にお風呂に入ってい、眠るようにとのことだった。 香穂子は、お風呂を沸かし、先にはいることにした。 お風呂の後に、またヴァイオリンを練習すれば良いと、思わずにはいられない。 香穂子はお風呂に手早く入る。 だが、お風呂に入ると、吉羅と自分の契約内容を思い出して、背筋を震わせる。 それは甘さが滲んだ戦慄で、香穂子は緊張で息が出来なくなるのを感じた。 息が出来なくなるぐらいにきつい。 それが決して不快ではないことは、香穂子が一番よく解っていた。 解っている。 本能の何処かでは、吉羅とそうなっても構わない自分がいることを。 香穂子は目を閉じる。 肌がより敏感になっている。 吉羅に抱き締められて心地が良い妄想をしてしまう。 妄想し過ぎて、暴走してしまいそうだ。 香穂子は深く溜め息を吐きながら、自分の妄想ぶりに苦笑いをするしかなかった。 香穂子はお風呂上がりの手入れをしっかりとした後、再びヴァイオリンの練習に集中した。 やはりヴァイオリンの練習は好きだ。 心が落ち着いて、華やいだ気持ちになる。 香穂子は、防音であるから思いきりヴァイオリンを奏でられるのが嬉しくて、どんどん練習を重ねた。 その間に、吉羅も帰ってくるだろう。 ヴァイオリンの練習を、楽しみながら、かつ集中して行った。 香穂子は練習の途中で喉が渇いてしまい、キッチンに水を飲みにいった。 水をしっかりと飲むと、体が潤う気がする。 もうひと頑張りしようとしたところで、玄関のセキュリティが解除された。 吉羅だ。 吉羅が帰ってきたのだ。 香穂子は、慌てて玄関先へと走ってゆく。 すると、吉羅がちょうど家に入ってくるところだった。 「おかえりなさい、吉羅さん」 「起きていたのかね?」 「はい。ヴァイオリンの練習に夢中になってしまって」 香穂子は、正直に言う。 「あまり遅くまで起きていない方が良い。早く寝なさい」 吉羅は感心しないとばかりに、表情を歪めた。 「あ、あの!吉羅さんにお礼を言いたくて!」 香穂子の勢いある声に、吉羅は眉を静かに上げる。 「あ、あの、ヴァイオリンを練習するのに最高の環境と部屋を用意して下さいまして、有り難うございます!」 香穂子は、深々と吉羅に頭を下げる。 心からの気持ちが籠っていた。 「君にはヴァイオリンをしっかりと練習して欲しい。それだけだよ」 吉羅はクールに呟くと、いきなり香穂子を強く抱き締めてきた。 声とは異なりとても情熱的だった。 「……日野くん、君は無防備にもほどがあるよ……。私が男であるということを忘れてはいないかね?」 吉羅は咎めるように言うと、唇を深く重ねてきた。 目眩くような熱いキスに、香穂子は呼吸もすることが出来ずに、溺れてしまう。 甘い嵐に、ヴァイオリンの音以上の震えを感じていた。 吉羅との初めてのキス。 人生初めてのキスは、香穂子を新しい世界へと誘うのは、言うまでもなかった。 |