*愛人契約*


 吉羅とのキスは、今まで経験したことのないような、情熱的でめくるめくものだった。

 ヴァイオリンの演奏にも影響があるかもしれない。

 より情熱的な演奏が出来るのではないかと思わずにはいられない。

 香穂子は頭がぼんやりとなるのを感じながら、吉羅を見つめた。

「キスは……、初めてかな?」

 吉羅は艶のある声で訊いてきた。

 ぎこちなくも、香穂子はそれに頷く。

 初めてのキス。

 それが経験豊富であろう吉羅が相手だなんて、いきなりエベレストの登頂をしたような気分になる。

 吉羅は香穂子の頬を柔らかく触れる。

 触れられるだけで、全身が熱の塊になるような、そんな感覚に襲われる。

 この感覚が何かは、香穂子には解らない。

 ただ、身体の細胞総てが吉羅を求めているように感じた。

 香穂子は潤んだ瞳を吉羅に向ける。

 すると、思いきり抱き締められる。

「……君は初めてのキスの筈なのに、私を誘うのが上手いね……」

 こちらがゾクリとするような艶やかな声で囁かれて、香穂子は心を震わせる。

 もう一度、吉羅の艶やかで魅力的な唇が、香穂子に重なってきた。

 しっとりとした大人のキス。

 それが、とても艶やかなものになる。

 こちらの心を震わせ、蕩けさせるようなキスになる。

 甘いキスに、香穂子は鼓動を激しくせずにはいられない。

 吉羅の舌は、ごく自然に香穂子の歯列を割ると、口腔内にソフトに押し入ってくる。

 とても紳士的なのに、激しい情熱が迸っている。

 吉羅らしいと、香穂子は思わずにはいられない。

 吉羅の舌で、巧みに口腔内を愛撫される。舌先の動きの巧みさに、香穂子はくらくらしてしまう。

 吉羅に総ての熱が奪われてしまうのではないかと、思わずにはいられない。

 自分では立っていることが出来なくて、香穂子は身体から力が抜けていくのを感じる。

 吉羅もそれに気付いたのか、香穂子の身体をしっかりと支えてくれた。

 息すらも奪われてしまうほどのキスをされたあと、香穂子は、身体の奥がぼんやりとして、熱いのを感じた。

 その理由が何なのかが、解らない。

 ぼんやりとしていると、吉羅かフッと笑った。

「今日はここまで……、だね。これ以上は、君が我慢出来そうにないからね……」

「……え?」

「少しずつ慣れていかなければならないね。こういうことは……」

 吉羅は静かに言うと、ゆきの頬をもう一度緩やかに撫で付けてくれた。

 甘い行為に、香穂子は思わず目を閉じた。

「そんな表情をされると、私も先に進めたくはなるが、まだまだだね……」

 吉羅は苦笑いを浮かべると、もう一度、香穂子を抱きしめてくれた。

「さ、ヴァイオリンの練習に戻りなさい」

「……はい……」

 吉羅は香穂子から離れると、静かに書斎に向かう。

 ゆっくりと進めてゆく。

 その事実が、香穂子に甘い切なさを遺した。

 

 吉羅とのキスは、香穂子にとっては、より表現力を上げるのに役立ててくれているように思えた。

 更なる情熱的な楽曲にも挑戦したいと思わせてくれる。

 熱い想いが溢れたような楽曲を演奏したい。

 それには、やはり、ヴァイオリニストとしてのテクニックが必要になってくる。

 それを補ってくれるのが、吉羅が手配してくれたレッスンだった。

 有名なヴァイオリン講師にコーチを受けて、より技術力を高めてゆく。

 ヴァイオリンの技術が上がれば、より演奏も厚みが生まれる。

 それに表現力が加われば、本当に様々な曲を演奏することが出来るのだ。

 香穂子は、日に日に、力がついてきていることを、感じずにはいられなかった。

 吉羅のお陰だ。

 吉羅が静かに見守ってくれているから。

 吉羅が、香穂子を一人前のヴァイオリンニストにするために、尽力を尽くしてくれているから。

 これ以上のことはないのだ。

 吉羅には、いくら感謝をしてもしきれないと、香穂子は思わずにはいられない。

 ここまで来られたのは、本当に吉羅のお陰だと、香穂子は思わずにはいられなかった。

 吉羅に、どれだけ成長をしたかを、ヴァイオリンで伝えたい。

 音でどれほど成長出来たかを感じて欲しい。

 だが、吉羅は、かなり忙しくしているようで、なかなか香穂子とは時間があわなかった。

 一緒に暮らしているのにもかかわらず、顔すらも合わせない日すらあった。

 そのような日が続くと、香穂子は寂しくてしょうがなくなる。

 吉羅に逢いたくてたまらなかった。

 起きて吉羅を待つことにする。

 怒られても構わない。吉羅に逢いたくてたまらなかった。

 日付が変わった頃、吉羅が帰ってきた。

 香穂子は慌てて吉羅を迎えにいく。

 濃密なキスをしてから、恥ずかしくてなかなか話すことが出来なかった。

「おかえりなさい、吉羅さん……」

「ただいま。君は……全くしょうがないね。私を待つ必要はないと言ったはずだがね」

 吉羅は明らかに不快感を洗わしながら、香穂子を見つめた。

 折角、吉羅に会えたのに。

 香穂子がしょんぼりとすると、いきなり吉羅が抱き締めてきた。

「……私を待っているということは、どういうことかな? 教えてくれるかね?」

「あ、あの……」

 抱き締められて囁かれると、香穂子はドキドキし過ぎて固まってしまう。

「君はどうして、私を待っていたのか、それを訊いているんだよ?」

「……私は……」

 ただ吉羅に会いたかった。

 本当にそれだけなのだ。

 それ以上に、香穂子には理由なんてなかった。

 純粋に吉羅暁彦に逢いたかった。

 ただ、それだけなのだ。

「……逢いたかったからだと言ったら、笑いますか?」

 香穂子が思い詰めたように言うと、吉羅は静かに首を横に振った。

「なら、君はどうして、私に逢いたかったのかね?」

「……それは……」

 どうして逢いたかったのか。

 その理由は解らない。

 ただ、ただ逢いたかった。

「……分かりません……。ただ逢いたかった……。それだけじゃいけませんか……?」

 香穂子は純粋な気持ちを吉羅に伝える。

 その瞬間、深いキスを受けた。

 心のなかにしっかりと刻まれた、あの甘いキスを思い出す。

 吉羅は、香穂子を支えるようにしっかりと腰を抱いてくれる。

 頭がくらくらするほどの情熱と官能が交差するキスに、香穂子は夢中になった。

 唾液が交換するような激しいキスに、香穂子はすっかり溺れた。

 キスのあと、吉羅はクールな眼差しを香穂子に向けてくる。

「この続きを経験したいかね?」

 吉羅の言葉に、香穂子は頷く代わりに、その身体をしっかりと抱き締めた。



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