*愛の願い*

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 今日は、アンサンブル仲間との合同練習会に、朝から出掛けることになった。
 香穂子にとっては、良い刺激を生むことが出来る練習だ。
 彼らは心からの仲間ではあるが、同時にライバルでもある。
 お互いに切磋琢磨しながら、頑張ることが出来る貴重な存在だ。
 特に同級生で同じヴァイオリンの月森は、特に刺激的な相手でもある。
 香穂子は、サラブレッドである月森の良い点を少しでも盗みたくて、一生懸命その演奏を聴いた。
 自分にはない美点を沢山持ち合わせているから、とても勉強になった。
「月森君、あなたの演奏を聴いていたら、物凄く勉強になるよ。本当に色々と参考になる点が多いから」
 香穂子が素直に言うと、月森は少し厳し目なまなざしを向けて来た。
「おれなんかを参考にしているなんて、まだまだのレベルだ。日野、お前はもっと良い演奏を聴いて勉強しなければならないだろうな。おれよりも素晴らしい演奏家はいくらでもいる。お前はもっと高みを見なければならないだろうな」
「…高み…」
 香穂子にとっては、月森もかなりの高みだ。
 ヴァイオリンの技倆は、プロよりも学ぶ点が沢山ある程だ。
「私は月森君の演奏が大好きだし、そこから良い点を沢山学ぼうと思っているよ」
「…そうか…。お互いに切磋琢磨することが出来ると良いな」
「うん」
 同じ年頃のライバルというにはおこがましいけれど、香穂子にはかなりの刺激を与えてくれる存在だ。
 香穂子は漲るやる気ににっこりと笑いながら、更に更にヴァイオリンに対して前向きでいられると感じていた。

 ワイナリーに戻ると、吉羅がウッドデッキで仕事をしている姿が見えた。
 秋色が僅かに滲み始めた太陽光に照らされた吉羅は、本当に魅力的で綺麗だ。
 香穂子は暫くじっと見つめるしか出来ない。
 不意に吉羅は香穂子の視線に気付いたらしく、顔を上げた。
「日野君か…」
「ただいま戻りました」
「練習は上手くいったのかね?」
 吉羅に柔らかく言われて、香穂子はにっこりと笑う。
「良い刺激になっています。とっても。本当に。同じ年頃の同じ音楽を志すひとたちとは、とても刺激になりますよ」
「…それは良かった…」
 吉羅が薄く笑ってくれたのが嬉しくて、香穂子はもっと笑みになるのを感じる。
「…本当にとても良い経験をさせて頂いています。彼らとの練習は刺激的で学ぶことも多いんです。今日は同じヴァイオリンの月森君と色々とお話をしました。やる気と前向きな気持ちを沢山貰えて、凄く有意義でしたよ」
「それは良かった」
 吉羅は静かに言うと、光を見つめる。
 何処か遠くを見つめるようなまなざしが、香穂子には痛い。
 まるで吉羅の世界にはいる場所がないように思えてしまう。
 世界の違いを見せつけられているような気がした。
「…日野君…、この風景にふさわしい曲を奏でてくれないかね?」
「…はい。喜んで」
 この美しき世界にふさわしい曲。
 香穂子は、迷いなくドヴォルザークの「新世界より」を選択した。
 ヴァイオリンでこの曲を弾くのは、本当に大好きだ。
 深呼吸をして集中をすると、香穂子は静かにヴァイオリンを奏で始めた。
 気持ちが前向きになる。
 とても清々しい瞬間だ。
 吉羅は仕事の手を休めて、口許で指を組んで聞き入っている。
 目を深々と閉じている姿がとても魅力的だった。
 ヴァイオリンを奏で終わり、香穂子はちらりと吉羅を見る。
 様々な良い演奏を聴き続けている吉羅にとっては、香穂子の演奏などは大したことがないと響くだろう。
 だが、それでも吉羅のこころに響けば、それだけで幸せだと香穂子は思った。
 吉羅は静かに目を開けると、浅く呼吸をする。
「…まだまだ技術は磨かなければならないね。君は…。…だが、技術が伴えば、君は…良いヴァイオリニストになれるかもしれない…。…まあ、それは私の希望的観測ではあるがね」
 吉羅はクールに言い、決して手放しで褒めてはくれなかったが、それでも香穂子には嬉しかった。
「頑張ります。もっと! そして、いつか吉羅さんに“ブラボー”と言って貰えるようなヴァイオリニストになります」
「…ああ。期待しているよ」
 吉羅は静かに言うと、再び仕事に集中を始める。
「では、私…、おばさんのお手伝いをしてきますね」
 香穂子は吉羅に声を掛けた後、ワイナリーの母屋に向かう。
 また一歩、夢に向かって前進が出来たような気がした。

 その夜、香穂子はあしながおじさんに手紙を認める。
 メール全盛の時代だが、こうしてこころを込めたものを送る時は、手書きで書きたい。
 急ぐ時や、他愛ないものを書く時はメールを使うが、こうした気持ちを認める時は、手書きが良かった。

 私の尊敬し親愛なあなたへ。
 アンサンブル結成に向けての練習が本格的に始まりました。
 みんなは忙しいので、そんなには一緒に練習することは出来ないですが、とても刺激になっています。
 こうして素敵に前向きでいられることが、何よりも今は嬉しいです。
 今、恐らくはあなたの知人でいらっしゃるでしょう吉羅暁彦さんが、ワイナリーに来ています。
 この間は、向日葵畑に連れて行って下さいました。
 本当に綺麗で癒されました。
 吉羅さんには本当に感謝しています。
 私に前向きさを与えて下さる方です。
 来週には東京にお帰りになるのがとても残念ですが、その前日に、ワイナリーの蔵で、小さなヴァイオリンコ ンサートをすることになりました。
 あなたにお聴かせしたいのは山々ですが、録音して下さるとのことでしたので、そのCDをまたお送りしますね。
 楽しみにしていて下さい。
 最後にこのような機会を与えて下さいまして、本当に有り難うございます。
 本当に嬉しくて、仕方がない程です。
 どうも有り難うございます。
 残りの時間も有意義に過ぎそうです。
 有り難うございます。
 またお手紙とメールを致します。
 香穂子
 本当に大好きなあなたへ。

 ヴァイオリンミニコンサートの準備は着実に行われている。
 香穂子はコンサートが近付くにつれ、楽しみである気持ちと、寂しさが込み上げてくるのを感じる。
 寂しさは、恐らく吉羅がいなくなってしまうことが大きい。
 そばにいたい。
 そばにいて欲しい。
 そんな気持ちのせめぎあいに、香穂子は泣きたくなってしまう。
 アンサンブルの練習と、コンサートに向けての練習。
 コンサートは、本当に内輪だけで、周りのワイナリーの人々が僅かにやってくるぐらいだ。
 だが、香穂子にとっては単独での初めてのコンサートであるから、かなり緊張していた。
 夕食後に、吉羅やワイナリーの夫妻の前で数曲演奏するのが、良いリハーサルになっていた。
 夕食後、ワイナリーの奥さんが溜め息を吐いた。
「ぼっちゃんは明後日には帰ってしまうんですねぇ…。寂しくなりますよ。こうして四人で食事をするのは、今夜でお終いですね」
 余りに切なそうに呟くものだから、香穂子も泣きそうになってしまう。
「…また、こうして四人で食事をしましょう」
 吉羅は落ち着いた声で、静かに言う。
 本当に、またこの四人で夕食を取ることが出来たら良いのに。
 香穂子は切なく思いながら、吉羅を見つめることしか出来なかった。

 夕食の後、香穂子が片付けをした後で、吉羅に声を掛けられる。
「日野君、夜のドライブに行かないか? 今夜は月も星も美しいからね」
 吉羅の誘いが嬉しくて、香穂子はドキドキしながら頷く。
 こんなにも緊張する瞬間は他にないとすら思っていた。



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