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夕方になり、ワイナリーでのフェアウェルパーティが始まる。 空を見ると、既に秋の装いを纏い始めている。 ワイナリーのコンサート。 創立祭の時よりも緊張してしまい、香穂子は我ながら苦笑いをするしかなかった。 吉羅が近くでヴァイオリンを聴いてくれるからだろうか。 香穂子は緊張で呼吸がおかしくなるのを感じていた。 コンサートなんてするつもりはなかったから、きちんとしたドレスなんて持って来なかった。 今日は一番気に入っているサマーワンピースに、サンダルの組み合わせ。髪だけはシニヨンにした。 香穂子は着替えて、お客様が来るのを待ち構える。 今回は招く側だから、きちんと挨拶をしなければならない。 「…いらっしゃいませ。ようこそお越し下さいました」 香穂子はにっこりと笑うと、深々と頭を下げた。 親しみ易い招待客もいれば、吉羅と同じように何処かセレブリティな雰囲気の者もいる。 招待客の中で、一際目を引く美しい女性が入ってきた。 背筋が綺麗に伸びて凛としており、同性ながら憬れずにはいられない雰囲気がある。 女性は軽く優雅に香穂子に会釈をした後、吉羅の姿を見つけるなり、小走りになる。 「暁彦さん!」 吉羅の知り合いだというのはその態度で解った。 しかもふたりはかなり親しい様子だった。 女は、もう誰も見えていないとばかりに、吉羅だけに向かって駆けていった。 「久し振りだね」 吉羅も魅力的な笑みを浮かべている。 直ぐにふたりが同じ世界に住む人間だということが、香穂子は思い知らされた。 女は、まるで吉羅の恋人のように寄り添うと、甘えるように躰を預けている。 吉羅は拒絶することなく、まるで女を見守っているように見えた。 悔しいが自分には、吉羅にこのような表情をさせられやしない。 それは認めざるをえなかった。 ふたりの仲が良さそうな様子を見ていると、香穂子はとてもではないがふたりの間になんて入れないと思った。 痛くて、そして切ない。 ふたりをまともに見てはいられなくて、香穂子は視線を避けるしかなかった。 招待客が集まってきたところで、香穂子は馴染みの顔を見つけた。 月森だ。 月森はきちんとはしているが、彼にしてはラフなスタイルをしていた。 「月森君…」 「…ヴァイオリンを演奏すると聴いて、来させて貰った。うちもこの近くのワイナリーを所有しているから、招待された」 「うん。来てくれて有り難う。一生懸命演奏するから、練習の成果を聴いてね」 「ああ」 月森はいつもとは違って、ほんのりと優しい笑みを向けてくれた。 その笑顔がとても嬉しくて、香穂子も同じように微笑む。 月森が来てくれたのはとても嬉しかった。 香穂子は月森と少しばかり話した後、ヴァイオリン演奏の準備に向かう。 吉羅に喜んで貰いたい。 勿論、折角、聴きにきてくれた月森が喜んでくれる顔も見たかった。 スタンバイをしながら、つい吉羅を見つめてしまう。 つい吉羅を探してしまう。 いけないと思ってはいるのに、無意識にそれを行なってしまっていた。 香穂子は更に胸が張り裂けそうなぐらいに痛くなるのを感じながら、なるべく見ないように努力をするしかなかった。 「香穂子ちゃん、演奏の前に何かを食べたほうが良いんじゃないの? 食べ易いように、サンドイッチや飲み物を用意しているよ」 「有り難うございます。だけど、演奏が終わった後に食べることにしますから」 「そうかい。余り無理をしないほうが良いよ」 「はい、有り難うございます」 香穂子は心配させないようにとばかりに、笑顔で伝える。 本当はかなり苦しくて辛いというのに、笑顔になる自分が切なかった。 香穂子はヴァイオリンのスタンバイにいく。 吉羅に一番に喜んで貰いたい。 香穂子はそれだけを想い、倉庫の端に作られたステージに立つ。 誰もが極上のワインに酔い痴れ、美味な食事と会話を楽しんで、ゆったりと寛いでいるのが解る。 香穂子はステージに立つと、誰もが心地好い空間に音になるように集中することにした。 香穂子の音の録音は、吉羅が手配してくれた。 こんなにも素敵なステージに立てるだけでも、感謝をしなければならない。 香穂子は温かな気持ちになりながら、ヴァイオリンを構えた。 先ずは月光から奏で始める。 澄み渡った冴えた音を出すようにする。 ふと、昨夜のドライブのことを思い出す。 新月の魔法に掛けられた気分だった。 香穂子は昨夜の美しい夜空と吉羅の端正な横顔を思い出しながら、ゆっくりとヴァイオリンを奏でる。 ワイナリー倉庫にあるロマンティックな雰囲気に溶け込むような音を、一生懸命こころを込めて奏でた。 こころが柔らかくなる。 もっと甘い音を奏でて見たくなる。 香穂子は、最もロマンティックだと思っている、“ジュ・トゥ・ヴ”を奏で始めた。 まるでワルツでも踊るように、ゆっくりと甘いリズムで音を紡いだ。 誰の視線も今は気にならない。 今はただヴァイオリンに集中をする。 この音が大好きなひとに届きますように。 吉羅暁彦に。 そして音を通じて、大切なあしながおじさんに届くように。 香穂子はただひたすらに演奏をした。 演奏が終わると、こころの中の様々なものが、すんなりと抜け落ちていく。 清々しいのに、何処か切ない感覚だった。 放心状態でヴァイオリンを離すと、香穂子は宙を見上げた。 静まり返るワイナリー倉庫。 ただワインだけがたゆたゆと揺れているような気がする。 香穂子は深呼吸をすると、深々とお辞儀をした。 するとどこからともなく拍手の波が押し寄せてくる。 そこにいる誰もが、香穂子に拍手をしてくれていた。嬉しさと安堵に笑顔になり、吉羅を見つめると、クールな表情のままだ。 ことヴァイオリンに対しては、吉羅は誰よりも厳しかった。 香穂子がステージを下りると、誰もが再び飲食を再開する。 誰もが飲食を止めてヴァイオリンを聴いてくれていたことが、香穂子には嬉しくてしょうがなかった。 「日野、良い演奏だった」 吉羅と同じようにヴァイオリンには厳しい月森が、珍しく褒めてくれた。 素直に嬉しい。 「君の音は不思議だ。こころを揺さぶる何かがある」 「有り難う」 香穂子は、嬉しくて笑顔で礼を言うと、月森は何処か照れたような表情になる。 「…アンサンブル…頑張ろう」 「うん。足を引っ張らないように頑張るよ」 香穂子の言葉に、月森は頷いてくれた。 吉羅と話がしたい。 今夜の演奏をどう思ってくれたのか、最も気になる男性だ。 なのに様々なひとに話しかけられて、褒められ、時にはダメだしをされる。 総てが有り難いと思い聴いていたが、やはり吉羅のことが気になってしまう。 吉羅をちらりと見ると、ずっと同じ女性と話しているのが見える。 吉羅と親しそうにしていた、あの美しい女性だ。 本当に綺麗で、吉羅とは似合いに思える。 「…あのおふたり…、やはりお似合いね…。おふたりとも東京の方だから、よくお逢いになっているそうですよ」 「…やはりね…。結婚されるのかしら」 他愛ない噂話なのは解ってはいる。 だが、苦しくてしょうがないのも事実だ。 香穂子は吉羅に近付こうとしたが、いつも誰かの邪魔が入る。 話したい。 話して、今日の感想を言って貰いたい。 冷たくても良いから。 だが、香穂子の願いは空しく、パーティの間中、話せなかった。 |