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教会から戻って夕食を取った後、香穂子は寮で開かれるヴァイオリンレッスンに参加をする。 殆どの生徒が個人レッスンを受けているせいか、学院主宰のレッスンを受ける者は少ない。 そのお陰で少人数になり、香穂子はかなり充実したレッスンを受けることが出来た。 両親が生きている時も、香穂子はこうして学院のレッスンを受けていた。とてもでないが高価な個人レッスンをしたいとは言えなかった。ただでさえ星奏学院のレッスン費用は高価だったのだから。 香穂子はいつものようにレッスンを終えた後、部屋に戻った。 同じ部屋には普通科に通っている天羽菜美がいるから、心安い。 香穂子が風呂に入り終えた頃、天羽が部屋に戻ってきた。 「ただいまー、今夜こそスクープ出来そうだったのになあ」 天羽は溜め息を吐きながら、机の上にカメラを置く。 「何かスクープを狙っていたの?」 「うん! 今夜こそ、謎の理事長をスクープしたかったんだけれど、出来なかったんだよねー。うちの理事長って謎だらけじゃない? …だって、顔も見せないしさ。学院の案内に写真が載っていないんだよ。何処まで秘密主義なんだろうねー」 天羽は残念至極とばかりにまた溜め息を吐くと、ベッドにどっかりと横たわった。 「理事長の謎を金やんは知ってそうなんだけれど、全く教えてくれないんだよね。理事長を秘密にしたところで、特にはなんないって思うんだけれどねー」 「まあ、確かにね」 香穂子もそれには同意して頷いた。 「菜美、今日さとっても良いことがあったんだ」 「良いことって?」 「学院を辞めなくて済むんだ」 香穂子がにっこりと笑ってVサインをすると、天羽は大きく目を見開いて笑った。 「本当に!? 嬉しいよ! 良かったね!」 まるで自分のことのように喜んでくれた後、香穂子をギュッと抱き締めてくれる。 こんなにも強く抱き締めて貰えるなんて、幸せ者だと香穂子は思った。 「有り難う。無事にここに残ることが出来て嬉しいよ。支援をして下さる方が現れたんだよ」 「支援?」 「うん、ここでヴァイオリンを止めるのは勿体ないと言って下さった方のお陰なんだよ。支援をして下さる代わりに、私が週一度報告方々、手紙を書くことになっているんだよ。欠かさず書くこと。それが条件なんだよ」 「何だか“足長おじさん”のようだよね。凄いよ! 今時、こうして支援をして下さる方がいるんだね」 「うん。とっても有り難いことだって思っているよ」 「だよね。それって凄いよ。私さ、そういう話は大好きなんだ。だけどこれはナイショだね。ふたりの」 天羽はきちんと香穂子の気持ちをいつも酌んでくれるのが嬉しい。 スクープを血眼になって探す報道部の熱血部長だが、他人への配慮はきちんと出来る。このようなところが、香穂子は好きだった。 「今からね、早速、お礼のお手紙を書こうと思っているんだ」 「そうだね。しっかり書きな。私は夕食とお風呂に行くからね」 「うん。有り難う」 香穂子が礼を言うと、天羽は微笑みながら出て行った。 香穂子は机に向かうと、静かに手紙を書き始める。 名前も知らないひと。 だが、香穂子にとっては幸せの使者となった大切なひとだ。 天涯孤独になってしまった自分に、まるで新しい家族が出来たようだ。 本当にひとりでないと、香穂子は強く感じていた。 お礼はメールでも済ませることが出来たが、香穂子は丁寧に礼状を書きたかった。 こうして直筆で書くと、こころが籠るような気がしたから。 香穂子は名前を書けないことに戸惑いを感じながらも、丁寧に文章を紡ぎ始めた。 はじめまして、日野香穂子です。 学院を続ける為に、支援の手を差し延べて下さいまして、本当に有り難うございました。 あなたさまのご厚意がなければ、私はヴァイオリンを諦めなければなりませんでした。 本当に有り難うございます。 嬉しくて、嬉しくて、この気持ちを上手く言葉で表現して伝えられないほどに嬉しかったです。 ご存じのように、私は家族がいないです。 今日からはあなたさまを家族のように思って良いでしょうか? あなたさまが私の家族です。 これからは日常の他愛ないことから、相談しなければならないことまで、ありとあらゆることを手紙やメールにしたためます。 本当に大好きです。 有り難うございます。 またお便りします。 日野香穂子 香穂子は手紙を書き終えると、幸せな溜め息を「はははん」と吐いて、にっこりと微笑んだ。 切手を張り、明日の朝一番に投函しようと決める。 幼い頃に大好きだった物語“あしながおじさん”。 まさか自分自身にそのようなおとぎ話が舞い降りて来るとは、思わなかった。 香穂子は、手紙を鞄の中に忍ばせると、また、幸せな笑みを浮かべていた。 朝一番に手紙を投函した後、香穂子は学院へと向かう。 もうすぐ学院の創立祭があり、香穂子はヴァイオリン選考の代表のひとりとして参加することになっているのだ。 香穂子は素晴らしい演奏をする為に、毎日懸命に練習をしている。 練習といっても、辛いものではなくて、とても楽しいものだ。 ヴァイオリンを弾けるだけで、香穂子にとっては至福の時間なのだから。 ヴァイオリンを弾いているだけで、ただ幸せ。 その想いが香穂子を熱くさせた。 授業の後、アンサンブルを合わせる為に練習室へと向かう。誰もがかけがえのない仲間だ。 「…日野のソロは“ジュ・トゥ・ヴ”で決定だな」 演目をまとめるピアノ専攻の土浦の言葉に、香穂子は強く頷いた。 「それでお願いするよ。この曲大好きなんだ」 「了解」 土浦はフッと笑って頷いてくれる。 こうして仲間たちが支えてくれたからこそ、困難にも立ち向かうことが出来た。それは何よりも有り難いことだった。 「さてと今日のレッスンはここまでだな。解散」 練習が終わると、仲間たちは個人レッスンをする為に足早に学院を後にする。 だが香穂子は個人レッスンを受けてはいないから、ひとり時間が出来てしまうのだ。 しかも今日は、寮で行なわれるレッスンも休みの日だ。 香穂子は中庭に出ると、ひとりでレッスンを始めた。 曲は、創立祭で演奏する予定の“ジュ・トゥ・ヴ”だ。 “あなたが欲しい”だなんて、なんて情熱的なタイトルなのだろうかと、香穂子は思う。 これほど熱っぽく思われていたら、きっとロマンティックだろうと思う。 香穂子は、まだ見ぬ“運命のひと”と出会うことを夢見て、ヴァイオリンを奏で始めた。 ヴァイオリンを奏でると、落ち着くことが出来るのと同時に、なんて幸せなのだろうかと、思わずにはいられない。 ヴァイオリンが小さな掌に残ってくれたことは、本当に幸せなことだと思う。 ヴァイオリンもなくなってしまっていたら、本当に泣きたくてしょうがなかっただろう。 名前も顔も何も知らない素敵な男性に、感謝しなければならないと香穂子は思わずにはいられなかった。 ヴァイオリンを弾くのに夢中になり過ぎていたからか、いつの間にか外は薄紫暗くなっていた。 流石に拙いと思い、香穂子はこれで終わろうとヴァイオリンを戻した時だった。 小さな拍手が響き、香穂子は思わず振り返る。 そこには昨日院長室前で見掛けた男が立っていた。 「まあまあだと、言っておこうか。----だが、まだまだ練習不足だ」 冷たく低い声で厳しく指摘をされて、香穂子は目を見開く。 男は香穂子を見つめると、不敵な笑みを浮かべた。 |