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吉羅に進学相談をするのは、やはり緊張する。 香穂子は深呼吸をすると、吉羅を真直ぐ見つめた。 「就職をするか進学をするか迷っているんです。私には肉親がいないですから、進学するとなると、援助をして下さっている方に頼まなければなりません。奨学金を得ても、援助は必要になってしまう…。それが私には切ないんです。今まで、本当に散々良くして下さったので、これ以上は頼るわけにはいかないんです。高校を続けさせて頂いているだけでも感謝しないといけないのに…。金澤先生は進学のアドバイスをして下さいましたが、決断出来なくて…」 香穂子は素直に悩む気持ちを口にした。 「迷っているようだが、君の素直な本当の気持ちは一つしかないのではないかね? …進学をして、音楽を続けたいのではないかね?」 吉羅はナイフのように鋭い声で、香穂子の本音に切り込んでくる。 確かに吉羅の言う通りだ。 この先もヴァイオリンを続けたい。もっと勉強をしたい。 「…確かにヴァイオリンの勉強を続けたい気持ちはあります…。…だけど…、ご迷惑をかけることは…」 香穂子が唇を噛み締めると、吉羅は厳しいまなざしを向けて来た。 「それは君が勝手に思っていることだろう。君を援助しているひとは、迷惑だなんて少しも考えていないかもしれない。むしろ、君が遠慮をするほうが傷付くだろう。恩返しがしたければ、最高のヴァイオリニストになれば良い。それが一番喜んで貰えることだろう」 吉羅の言葉はいつも以上に厳しい。 歯切れが良いと言っても良い。 金澤も吉羅も全く同じことを言う。 もしそうならば、後少しだけ、この厚意を受け入れても良いのだろうか。 「吉羅さん…、私…」 香穂子は腹を括る。 あしながおじさんに援助をして良かったと思われるようなヴァイオリニストになると。 香穂子は迷いを振り切ると、真直ぐに吉羅を見つめた。 「吉羅さん、私、援助をして下さっている方にお願いをします。ヴァイオリンを続けたいと。援助をされたことを、決して後悔をさせやしないと」 香穂子は力強く言うと、真直ぐ吉羅を見つめた。 もう迷わない。 すると吉羅は優しいまなざしになり、香穂子を真直ぐ見つめて来る。 その瞳の優しさと広いこころが滲んだ光に、香穂子は強く惹かれていた。 「それは良いことだ。きっと君を援助しているひとも喜んでくれるよ。それは間違いはないだろう」 「はい」 香穂子は笑顔で返事をした後で、ふと不思議に思う。 吉羅は、香穂子の援助をしてくれている人物を、本当によく知っているようだ。 ひょっとして知り合いかもしれない。 香穂子は、少しでも“あしながおじさん”の正体の手掛かりになればと、吉羅に訊いてみることにした。 「吉羅さん、あの…、ひょっとして、私を援助して下さっている方をご存じなのではないですか?」 逸る気持ちを抑えることが出来なくて、香穂子は思わず早口で言う。 一瞬、吉羅は驚いているように見えた。 「どうしてそう思うのかね?」 驚いたような表情を直ぐに引っ込めると、吉羅はいつものように落ち着いた表情になる。 「…それは何となくというか…。勘というか…。それに吉羅さんはいつもその方のお気持ちをよくご存じのような気がしたんですよ。まるでどこかでお話をされているかのように…。ワイナリーのこともありますし…」 香穂子は上手く説明出来なくて、しどろもどろになりながら言う。 吉羅は、それを静かに聞いてくれていた。 「…よくは知らないよ。ただうちのワイナリーは沢山の取引きがあってね、その中で大口の取引先のひとだとは聞いている。秘書が手配を頼まれたと聞いているがね。残念だが、君の援助をしているひとはよく知らないんだよ。ただ、考え方が極めてよく似ているのかもしれないね」 「…そうですか…」 吉羅の淡々とした説明に、香穂子はがっかりしてしまう。 少しでも謎の多い“あしながおじさん”を知る機会になればと思っていたが、空振りに終わってしまったようだ。 「…有り難うございました。ごめんなさい、おかしなことを訊いてしまって…」 「構わないよ。では、私はこれで…。急ぐからね」 「あ、ごめんなさいっ。お忙しいのに」 吉羅の都合を考えずに、一方的に話してしまったことを、香穂子は激しく後悔をした。 配慮が足りなかった。 「では私はこれで」 「はいっ! 有り難うございました!」 香穂子は吉羅に深々と頭を下げると、そのまま後ろ姿を見送る。 また恋心が盛り上がってしまった。 寮に帰ると、香穂子は早速、“あしながおじさん”に手紙を認めた。 私の大切な大切なあなたへ。 今日はご相談があります。 今まで沢山助けて頂いて、更に援助を求めてしまうのは、とても心苦しいのですが、こうしてお願いをします。 ご存じのように、私はこの春、学院の最上級生になりました。 今まで以上に充実した日々を送っています。 この先も、出来ればずっとヴァイオリンを勉強していきたいと思っています。 大学の音楽学部に進学をしたいのです。 奨学金を受けるつもりで頑張っていますが、足りない部分に、手を貸して頂けないでしょうか。 あなたが援助をして良かったと思って頂けるようにこれからも頑張ります。 どうか宜しくお願いします。 ヴァイオリンを精一杯頑張ります。 香穂子 吉羅は社に戻ると、直ぐに秘書を呼び付けた。 「日野香穂子に進学を促すように手紙を書いた。これをパソコンで清書をしてくれ」 「かしこまりました」 有能な中年の秘書は返事をした後、てきぱきと手紙を清書している。 吉羅は、この手紙が香穂子にとっては後押しになればと思わずにはいられなかった。 香穂子にはもっとヴァイオリンを学ばせてやりたい。 きっと素晴らしいヴァイオリニストになるだろうから。 そして。 香穂子との繋がりも切りたくはなかった。 香穂子とはずっと繋がっていたい。 香穂子を更にずっと見守りたかった。 日野香穂子様 いよいよ最上級生になられましたね。 私としてはこれから先もあなたにはヴァイオリンを続けて頂きたい。 そして素晴らしいヴァイオリニストになり、あなたが世界中の人々に感動を与える姿を見てみたいのです。 そのためには、あなたはまだまだヴァイオリンを勉強しなければなりません。 そこで提案です。 大学も引き続き私に援助をさせて貰えたらと思っています。 あなたには私が夢見る素晴らしいヴァイオリニストになって頂きたい。 どうか遠慮などはかけらも持たないように。 遠慮せずに、ただヴァイオリニストとして高めることに集中をして下さい。 あなたを見守る者より 香穂子が手紙を出した翌日、まるで入れ違いのように“あしながおじさん”からの手紙が届いた。 香穂子は貪るようにそれを読みながら、こころが満たされて苦しいほどに幸せに気分になる。 進学をしても良い。 もっともっとヴァイオリンを勉強しても良い。 素晴らしいヴァイオリニストになるためには沢山の努力をしなければならない。 その努力をするフィールドが与えられたのだ。 これほど素敵なことはないのではないかと、香穂子は思う。 吉羅と金澤に背中を押され、あしながおじさんに努力の場を与えられた。 香穂子はこれからは今まで以上に努力をしていかなければならないと、こころから感じていた。 |