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コンクールの予選は、香穂子の周りは全員が見事に通過をした。 これで秋の本選に向けて、推薦入試に向けて頑張らなければならない。 香穂子は身が引き締まる想いだ。 「日野先輩…、夏休みですが…、よろしければうちの別荘で過ごしませんか? 今年は。土浦先輩のお祖 母さまの家や月森先輩の別荘が近いですから…」 冬海から申し出に、香穂子は嬉しくなる。 彼らと切磋琢磨することはかなり大切だと思う。 「日野さん、僕の家の別荘はどうかな? うちがみんなの所とアクセスが一番良いんだよ」 加地はニコニコと笑いながら、嬉しい申し出をしてくれる。 だが、あしながおじさんにきちんと話を通さなければならない。 「後見人の方に訊いてみるね」 「うん。良いって言ったら教えて! 歓迎するから」 「どうも有り難う」 香穂子は、温かな気持ちを感謝しながら、笑顔でお礼を言った。 あしながおじさんがどう言うかは解らない。 同じ年頃の仲間たちと切磋琢磨したいのも事実だ。 冬海の別荘にお世話になることが妥当かもしれない。 香穂子は早速、手紙を認めることにした。 私の大切な方へ。 今日、私の後輩である冬海さんと、同級生の加地君から、夏休みは別荘で過ごさないかと誘われました。 同じ志しの同じ世代の仲間と過ごすのは、一つの方法だなあと思っています。 やはり、切磋琢磨するのは大切ではないかと思っています。 お互いに研鑽を積むのに役立つと思っています。 そこでお願いがあります。 この夏休みですが、少しの間だけでも、彼らの別荘に行くことを許可して頂けないでしょうか? 音楽の幅を拡げるためにも、有意義な経験になると思っています。 私にとってはとても勉強になる日々になると、確信しています。 どうかお返事を頂けると嬉しいです。 愛を込めて。 香穂子 香穂子が手紙を送って直ぐに、“あしながおじさん”から返事がきた。 手紙の内容はとても事務的で、しかも香穂子をほんの少しだけ切なくさせる内容だった。 日野香穂子様 今年もワイナリーでお過ごし下さい。 彼らの別荘で過ごさなくても交流は出来る筈ですから。 ワイナリーであなたを受け入れる準備をしております。 後日、終業式出発の日のチケットをお送り致しますので、それに乗って起こし下さい。 手紙を読んで、香穂子は溜め息を吐く。 やはり認めてはくれなかった。 ほんのりとした失望感が香穂子を包み込んだのは、言うまでもなかった。 香穂子は、加地と冬海に断りを入れ、一緒に練習をしてくれるように頼んだ。 ふたりが快く受け入れてくれたのが、何よりも嬉しかった。 受験勉強とコンクール本選に向けた練習に明け暮れるなか、夏休みが始まる。 夏休みは香穂子にとっては勝負時だ。 夏休みを上手く乗り切るかそうでないかで、総てが決まるのだ。 気を引き締めて頑張らなければならない。 のんびりとしたワイナリーの雰囲気で勉強や練習に集中するつもりだった。 ワイナリーに向かう電車の中で、香穂子はふと吉羅がどうしているのかと思った。 逢いたくてもこちらからは逢うことが出来ないもどかしい恋が続いている。 吉羅は、あれから姿を現してはいない。 逢いたいのに逢えない時間が続き、香穂子は無性に逢いたくなっていた。 この夏も、吉羅はワイナリーに来てくれるだろうか。 来てくれたら、こんなにも嬉しいことはないのにと、香穂子は思わずにはいられなかった。 私の大好きなあなたへ。 ワイナリーでの夏休みが始まりました。 といっても、今年は受験生で、しかもコンクールが控えています。 ワイナリーの周りで自然を楽しむことはそこそこに、練習や勉強に打ち込んでいます。 時折戯れる自然が、とても癒しになっています。 有り難うございます。 やはり私にとっては、ワイナリーで過ごすのがベストだったようです。 みんなとは週二回ほど、一緒に練習をしています。とても刺激されています。 こうしてお互いに切磋琢磨する時間も必要ですね。 ではまたお便りします。 愛を込めて。 香穂子 夏休みも半ばに差し掛かってきた。 「今年もぼっちゃんが見えるようだよ!」 ワイナリーの奥さんが半ば興奮する声を上げている。 それを聞きながら、香穂子もまた、ドキドキが止まらなくなっていた。 吉羅に逢える。 それだけで嬉しくてしょうがない。 今まで勉強と練習に明け暮れていたから、神様がご褒美をくれたのではないかと思った。 本当に嬉しくて嬉しくてしょうがない。 吉羅が来ると分かると、ワイナリー中が華やいだ気分になった。 吉羅が来るのならば、少しだけ残念に思っていたことも、総て帳消しにされる。ワイナリーに来て良かったと 本当に思える。 恋のチカラは本当に凄いものだと思っていた。 吉羅がやってきた日、香穂子は笑顔で迎えた。 その端整な顔を見るだけで、こころがときめいていくのが分かる。 「日野君、元気そうだね。頑張っているようだね」 「はい。この夏休みが勝負だと思っていますから、しっかりと頑張っています」 香穂子が笑顔で言うと、吉羅は嬉しそうにしっかりと頷いた。 「それは良い。だが、余り根をつめ過ぎると、効果が上がらなくなるからね。適度にリラックスすることが必要だよ」 「はい。有り難うございます」 香穂子が頷くのを、吉羅はクールなまなざしでじっと観察をするように見つめてくる。 「余り無理をしないように」 「はい」 吉羅の気遣いが嬉しくて、香穂子はごく自然と笑顔になった。 吉羅がそばにいる。 それだけでも嬉しくてしょうがない。 吉羅がいればそれだけでアドレナリンが放出されて、より頑張ることが出来る。 益々張り切ってしまいそうだ。 それが嬉しかった。 「日野君、気分転換に行かないかね?」 吉羅に声を掛けられて、香穂子は嬉しさの余りに飛び上がりそうになった。 「気分転換に行きたいです!」 香穂子が元気よく答えると、吉羅は落ち着いた笑顔で頷いてくれる。 なんて素敵な笑顔なのだろうかと、思わずにはいられなかった。 「今日はゆっくりと散歩でもするかね。この辺りも沢山良いところがあるからね」 「はい、嬉しいです」 ふたりで肩を並べて、ワイナリー周辺を気分転換に歩く。 それだけでとても満たされた気分になった。 「何だかゆっくりと羽根を伸ばせたようで嬉しいです」 「あの小高い丘から見渡す風景も悪くない」 「じゃあ行って見ましょう」 香穂子が小さな子どものように言うと、吉羅もまた頷く。 何でもない散歩のようなのに、こうして歩くだけで楽しい。 吉羅がいるだけで、世界が姿を変えてしまう。 それだけ香穂子にとっては威力があるのだ。 丘まで登り切ったところで、辺りを見渡す。 「本当に綺麗です…」 広がる風景に、香穂子は息を呑む。 瑞々しい夏の緑が目に鮮やかに麗しい。 「本当に綺麗…」 「ここも私が子どもの頃からの癒しの場所だよ」 吉羅のとっておきの風景なのだろう。 このような場所を共有出来たことが嬉しかった。 不意に空が暗くなる。 見上げるとグレイ色の空から、大粒の激しい雨が降り込み、激しい稲妻が聞こえてくる。 「日野君、こっちだ!」 「は、はいっ!」 吉羅に手を引かれて、雨宿りが出来そうな、農作業小屋まで走っていく。 すっかりずぶ濡れだ。 ようやく農作業小屋にたどり着いたが、軒下での雨宿りになる。 何だか吉羅を激しく意識した。 雨に濡れたせいで、少しばかり寒い。 香穂子は躰を震わせ、自分自身を抱き締めた。 「寒いのかね?」 「…少し…」 答えた瞬間、抱き締められた。 |