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吉羅と釣り合う女性。 香穂子よりもずっと吉羅に似合っている女性。 ふたりが付き合っているかもしれないと噂で聴いたこともある。 こころが乱れた。 感情をたたえることすら出来ないような大きな瞳を、香穂子はただ見開いて見つめている。 それしか出来ない。 吉羅と女性は、落ち着いた雰囲気でありながら、何処か仲睦まじそうに話している。 こころの奥底から感じられる嫉妬の塊に、香穂子は息苦しくなった。 「…香穂子ちゃん、お茶を出すのを手伝ってくれるかしら?」 奥さんに声を掛けられて、香穂子は頷いた。 「はい」 これ以上、ふたりを見ていたくはなかったから、香穂子は奥さんの申し出がかなり助かった。 ふたりでカントリー調の可愛いシステムキッチンの前に立って、紅茶を淹れる。 「美味しいスコーンにクロデットクリームをつけたよ。これでお茶をすると最高に美味しいからね」 「クリームティーですよね。私も大好きなんですよ」 「…それは良かったよ」 にこやかに奥さんは微笑むと、香穂子を優しいまなざしで見つめてくる。 「…ぼっちゃんとあの方はお付き合いなどはしていないよ」 「え……?」 まるでこころの中を見透かされたような気がして、香穂子はほんのりと頬を赤らめた。 ドキリとする余りに息が上手く出来ない。 「あちらのお嬢さんがかなりぼっちゃんに夢中だったんだけれど、ぼっちゃんはああいう方だから…、ひとへの感情についてはかなりクールな方というかね。だからあのお嬢様も諦めたかと思ったんだけれど、やはりぼっちゃんほどの男性はなかなかいないからね…」 本当にそうだ。吉羅が今まで独身であったこと自体が、奇跡なのかもしれない。 「まあ、これは私の独り言だよ。余り気にしなくても良いよ」 「…はい」 奥さんは気付いているのだ。香穂子が吉羅に恋情を抱いているということを。 そんなにあからさまに想いを滲ませていたのかと思うと、恥ずかしくなる。 「さあ気分を取り直してお茶をしましょうか」 「そうですね」 香穂子はにっこりと笑って頷くと、紅茶を持ってダイニングルームへと向かった。 既に女性と吉羅が仲良さそうに話していて、香穂子は惨めな疎外感を感じた。 お茶を並べた時に女性には挨拶をされたが、それ以外はずっと吉羅に夢中だった。 吉羅もクールではあるが、本当に楽しそうな笑みを浮かべている。 やはり年齢や住む世界が同じだと、共通の話題も多いのだろう。 香穂子には到底入ることが出来ない雰囲気だった。 スコーンが運ばれてきて、香穂子はそれを無言で食べ始める。 とても美味しい筈のスコーンだが、今日は余り美味しくは感じられない。 「香穂子ちゃん、風邪がぶり返したんじゃないの?」 「大丈夫ですよ。風邪はすっかり良くなっていますから。スコーン美味しいです」 「それは良かった」 奥さんには無駄な心配をさせたくなくて、香穂子はわざと微笑んだ。 「だったら良いけれど、余り無理をするんじゃないよ」 「はい、有り難うございます」 香穂子は、気を取り直して、クランベリーがたっぷりと入ったスコーンを食べる。優しい甘さに、とても幸せな気分になった。 吉羅と女性のことを除いては。 「では少し出て来ます。夕食時には戻ります」 吉羅と女性が同時に立ち上がると、ふたりは行ってしまう。 ふたりの後ろ姿を見つめながら、香穂子は更に苦しくなる。 恋をするのは、こんなに苦しくて切ないものであることを、感じずにはいられなかった。 お茶の後片付けをした後で、香穂子は夕食の準備を手伝う。 「香穂子ちゃん、元気を出しなさい。ぼっちゃんは夕食までには帰って来ますからね。必ず」 「そうですね」 香穂子は微笑みながら頷いてはみたが、なかなか気分は晴れなかった。 やきもきをしながら吉羅を待つ。 これが所謂“嫉妬”であることを、香穂子は充分過ぎる程に解ってはいる。 嫉妬をしてもしょうがないのは解っているのに、そうせずにはいられない自分がいる。 香穂子は、吉羅に恋をする余りに自分を失いそうな気がして、かなり切なかった。 吉羅は、奥さんの予想通りに、夕食前にはきちんと帰ってきた。 これには香穂子も驚いてしまった。 「ぼっちゃんはあの方にはこころを動かされませんからね」 奥さんは自信たっぷりに呟く。 「…どうして…?」 「それはいずれ分りますよ」 にっこりと落ち着いた笑みを浮かべると、奥さんは何度も頷いた。 吉羅はいつも通りにクールに夕食を取っていたが、顔色が優れないように見えた。 「吉羅さん、顔色が余り良くないんじゃないですか?」 「軽く風邪を引いてしまった後に、完全に撃退出来ていないからね。恐らくはそのせいだ」 「だったら今夜は早く寝て下さいっ!」 「そうですよ。明日の夜にはご出発されるんですから」 奥さんの心配そうな言葉に、香穂子はハッとする。 明日には吉羅は帰ってしまうのだ。 また当分は逢えなくなる。 そう思うだけで、苦しくてしょうがない。 吉羅と楽しく過ごした時間は、アッと言う間に過ぎていくのだ。 それが切なくてしょうがなかった。 何かを失うように痛い。 「早く寝て下さい。薬を用意しますからね」 「…有り難う…」 吉羅は気怠い声で呟くと、ふらふらと立ち上がった。 香穂子は、ひょっとして自分が移してしまったのではないかと思い、気が気でなかった。 「…あ、あの…、ひょっとして…私が移してしまったんでは…」 香穂子が心苦しい余りに呟くと、吉羅はフッと笑みを零した。 「心配しなくて良いよ。君のせいではないから」 「…吉羅さん…」 吉羅は小さな子供にするように香穂子な頭を撫で付けてくれた。 吉羅はそのままふらふらと自分が使っている部屋へと向かう。 香穂子はその姿を見つめながら、何処か切なく感じていた。 お風呂に入り、寝る仕度をしても、吉羅が心配で寝付けない。 香穂子はいてもたってもいられずに、そっと吉羅の寝室に入った。 吉羅の様子をこっそりと見ると、少し苦しそうではあるが眠っている。 香穂子は吉羅が心配で、静かにベッドに近付いた。 吉羅の額に手のひらを乗せると、かなり熱いのが解る。 香穂子はベッドのサイドテーブルに置いてある洗面器にタオルを浸して、額を冷やしてやる。 吉羅が気持ち良さそうに、ホッと溜め息を吐いた。 その表情に、香穂子はホッとする。 早く良くなって欲しい。 吉羅の熱が早く下がると良い。 香穂子は、かいがいしく額に乗せているタオルを何度も替えた。 先日と同じだ。ただ、この間と違うところは、香穂子が元気であること。 だからかいがいしく世話が出来た。 何度もタオルを替えると、吉羅が気持ち良くしてくれているのが嬉しい。 こうして看病が出来るのも、香穂子には至上の喜びだった。 吉羅の手が上掛けから出ている。 それをそっと握り締めると、吉羅が強く握り締めてきた。 吉羅の手の力は強くて、逆に香穂子に安心を与えてくれる。 こうしてじっとしているだけで、吉羅から沢山の元気を貰えた。 これじゃあ全くの反対だと思いながら、香穂子は吉羅の手を握り締めていた。 とても心地良い夢を見ていた。 香穂子が笑顔でそばにいてくれている夢だ。 吉羅はもっと夢の中に漂っていたかったと思いながら、ゆっくりと目を開けた。 誰かに手を握られている。 ベッドの下に視線を向けると、そこにはあどけない寝顔のまま香穂子が眠っていた。 吉羅は嬉しさの余り微笑むと、その瞼に甘く唇を寄せた。 |