*愛の願い*

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 ジャパンクラシックコンクールでの優勝、推薦入試合格と、香穂子の未来が一気に開けてきた。
 これに驕れることなく、しっかり前を見ていなければならない。
 まだまだ入り口が見えたに過ぎないのだ。本当にスタートラインに立ったばかりなのだ。
 真直ぐ頑張る。
 ただそれだけだ。
 香穂子は放課後のレッスンを真面目にこなした後で、寮へと帰ろうとしていた。
「日野君」
 声を掛けられて振り替えると、そこには吉羅がいた。
「吉羅さん」
「これから時間はあるかね…?」
「ありますけれど…」
「だったら私に少し付き合ってくれないかね? 君のお祝いがしたい」
 吉羅がお祝いをしてくれる。それが嬉しくて、香穂子の表情は一気に明るいものとなった。
「本当ですか!? 嬉しいです、とっても」
 香穂子は今にも飛び上がりたくなるほどに嬉しくて、満面の笑顔になる。
「それは良かった。そこに車を停めてある。行こうか」
「はい」
 香穂子はうきうきとした気分になりながら、吉羅の後を着いていく。それが嬉しくてしょうがなかった。
 吉羅に車に乗せて貰い、ゆっくりと横浜の街から都内へと向かう。
 寮には私から連絡をしておくから安心して構わない」
「有り難うございます」
 香穂子は紫色に染まっていくみなとみらいの景色を眺めながら、この瞬間がなんとロマンティックなのだろうかと思った。
「吉羅さん、どちらに行かれるんですか?」
「銀座方面だよ」
「銀座に制服姿で行っても構わないんでしょうか?」
「…そうだね。制服姿でも大丈夫なところに行くから構わないよ。制服も、君達学生にとっては、正式なスタイルだからね」
「そうですね」
 子ども扱いをされている。
 それどころか、吉羅は香穂子のことを何とも思ってはいないのだ。
 それが切ない。
 吉羅にとって香穂子は妹のようなものなのだろう。だから制服姿でも平気なのだ。
 そう思うと、段々と気持ちが沈んでくるのを感じた。
 吉羅が連れていってくれた店は懐石料理では最高級店で、制服姿であったとしても、個室になっているから、特に見られることもなかった。
 それはホッとする。
「とりあえずはおめでとう。よく頑張ったね」
「有り難うございます」
 香穂子は素直に礼を言い、畏まった。
「今日はじっくりと堪能したまえ。私からのご褒美だ」
「有り難うございます」
 運ばれてくる料理は、最高級の懐石料理。
 どれも美味しいとは思うが、切ない想いが勝ってしまいあまり味わうことが出来ない。
「美味しいです。素敵なご褒美です」
「それは良かった」
 吉羅は静かに言うと、僅かに微笑んだ。
 吉羅はいつも美しい女性と、このようなところに来ているのだろうか。
 それならば少しだけ切ない。
 そう少しだけなのだ。切なさは。
 香穂子は静かに微笑みながら、吉羅を泣きそうに潤んだ瞳で見つめることしか出来なかった。
 食事を済ませ、吉羅の車で横浜に向かう。
 嬉しいのに胸が痛いのは、きっと報われない恋の証なのだろう。
 みなとみらいが一望出来る位置に車を停めると、吉羅は車を静かに降りた。
 香穂子もそれに続く。
「日野君、よく頑張ったね。君ならきっとやり遂げると思っていたよ」
「有り難うございます」
 吉羅がそう思ってくれていたのが、香穂子は何よりも嬉しい。
「有り難うございます。皆さんのお陰でここまで頑張ることが出来たんですよ。本当に感謝しています。嬉しいです。特に吉羅さん、あなたには感謝しています。あなたとあしながおじさん…、私を援助して下さっている方がいたから、頑張ることが出来たんです。有り難うございます」
 香穂子は頭を深々と下げた後、満面の笑みを向けた。
「私は本当に何もしていないよ。驕ってはいけないけれど、君はもう少し自信を持っても構わないと、私は思う。しっかりと頑張りたまえ」
「はい」
 吉羅がふと甘くて艶のある笑みを瞳に滲ませて、香穂子を見つめてくる。
 見つめられるだけで息がおかしくなってしまうなんて、知らなかった。
 吉羅への恋に完全に溺れてしまっている。
 喉がからからになってしまうほどに、甘くて苦しい気分を味わう。
 吉羅の手が、香穂子の頬に触れた。
「君の頬は少しばかり冷たいね…」
 吉羅はそっと言うと、冷たくなった頬を、その手のひらで温めてくれた。
 その感覚が気持ちよくて、香穂子は思わず目を閉じてしまう。
 吉羅への想いが、じんとこころから沸き起こるのを感じていた。
 吉羅の手がふと離れる。
「…行こうか。君を家まで送って行こう」
「はい。有り難うございます」
 香穂子は喪失の感情を抱きながら、泣きそうな気分になった。
 みなとみらいの美しくて素晴らしい夜景が、瞳の奥に滲む。
 これほど美しくて胸が痛い夜景はないのではないかと思う。
 吉羅は香穂子を寮の前に送り届けてくれた後、静かに帰っていく。
 その姿を見つめながら、どうしてこんなにも好きなのだろうかと思った。

 本当は着飾った香穂子を、フレンチレストランに連れて行こうと思っていた。
 だが、香穂子を着飾ってしまうと、恐らくは離したくはなくなると判断して止めたのだ。
 制服姿ならばまだ抑制は効く。まだまだ子どもだと思えるからだ。
 だが、香穂子が着飾った姿になるとそうはいかない。
 既に香穂子は美しい女性なのだ。
 何事にも替えがたい美しく艶のある女性なのだ。
 そんな香穂子を、吉羅は離せなくなってしまうことを充分に解っていた。
 だからこそわざと綺麗にしなかったのだ。
 誰にも渡したくはないという想いは、かなり強いものになってしまっている。
 吉羅は、香穂子が他の男と付き合うなんて、許せなくなっていた。
 ずっとずっと見守ってきた。
 これからも直ぐそばで見守っていたいと思う。
 だからこそ、そろそろこの想いの制御が限界になるのを感じていた。

 香穂子にとっての一番のヤマ場が終わり、後は卒業までのんびりとした日々が続く。
 勿論、大学に行ってもヴァイオリンは今まで以上に頑張らなければならないから、その覚悟も出来ている。
 香穂子は、みんなに遅れを取らないように、ただ前向きにヴァイオリンを頑張って行くことにした。
 やがてクリスマスが今年もやってくる。
 去年は吉羅がそばにいてくれた素晴らしいクリスマスになった。
 今年はもっともっと素晴らしいクリスマスになるように、神様にお願いをするだけだ。
 それにはやはり、吉羅にはそばにいて欲しかった。
 今年もワイナリーでクリスマスからお正月にかけてを過ごす。
 ここはいつでも温かい、香穂子にとっては最高の“ふるさと”になっていた。
 あしながおじさんには、グリーティングカードとクリスマスプレゼントを送付する。
 クリスマスの楽曲を香穂子が弾いて録音をしたCDと、風邪を引かないようにとマフラーだ。
 あしながおじさんがどうか喜んでくれるようにと思わずにはいられない。

 私の大切な方へ。
 あしながおじさんとあなたのことをお呼びしてよろしいでしょうか?
 私の大切なあなたは、私にとっては家族以上の“あしながおじさん”です。
 今年はあなたさまのお陰で、最高の一年を過ごすことが出来ました。
 メリークリスマス。
 そしてハッピーニューイヤー。
 あなたさまにとって素晴らしい年でありますように、お祈りしています。
 愛を込めて。
 香穂子

 香穂子はあしながおじさんに温かな気持ちでプレゼントを送った。



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