*愛の願い*


 ステージ袖で、香穂子は冬海と待機する。
「緊張しますね…」
 まるで小動物のように震える冬海を、香穂子は温かなまなざしで見守る。
「大丈夫だよ!  良い演奏が出来るよ! 冬海さんならね!」
「…先輩…」
 冬海は泣きそうになりながら嬉しそうに見つめてくる。
「あなたの素敵なクラリネットを聴かせてよ。楽しみにしているから。一緒に頑張ろうね」
「はい…!」
 あの不遜な雰囲気を持つ吉羅暁彦と血縁があるなんて、とてもでないが思えない。
「冬海さんの演奏を聴きに吉羅さんとかいう親戚のひとも来ているみたいだし」
「吉羅さんが…」
 名前を聴くなり、冬海は何処かびくついているように見えた。
 やはり吉羅暁彦の専制君主のような雰囲気が苦手なのだろう。
「親戚ですが…苦手なんです…。だけどこうして音楽会だけは聴きにきて下さいます」
 冬海はやっとのことで笑顔になると、香穂子を見つめた。
「先輩、今日のドレス素敵です」
「有り難う」
 香穂子が微笑むと、微笑み返してくれるのが嬉しかった。
 こんな妹がいれば良いのにと思わずにはいられない。
「冬海さん、出番です」
 係員に声を掛けられて、冬海は香穂子に頼りない笑みを向ける。
「じゃあ先輩、行って来ますね」
「うん、頑張ってね! 素晴らしい演奏を聴かせてね」
「はい!」
 冬海を見送りながら、今度は自分が緊張し始めた。
 あしながおじさんに音を届けるためにも、こころを込めて一生懸命奏でようと思う。
 舞台袖から、冬海のクラリネットを聴く。
 楽しげなクラリネットポルカは、冬海の音の雰囲気にとても似合っていた。
 ベストを尽した演奏をしなければならない。
 香穂子は背筋を伸ばして顎を上げると、出番を待った。
「日野さん、次、お願いします」
「はい」
 とうとう自分の番がやってきた。
 最高の演奏を聴かせたい。
 香穂子はステージに出ると深々とお辞儀をして、ヴァイオリンを奏で始めた。
 曲は“ジュ・トゥ・ヴ”。香穂子が好きなロマンティックな調べの曲だ。
 こんなにも甘く熱情が滲んだメロディはないのではないかと思う。
 香穂子はこころに華やぎを持ちながら演奏をする。
 華やぎを表現しようとして吉羅暁彦の顔が過ぎったのが癪に触った。
 演奏をし終わり、礼をして頭を上げた瞬間、視界に吉羅暁彦が飛び込んできた。
 相変わらずクールな雰囲気はそのままだったが、唇には笑みを滲ませている。
 憎たらしいと思うぐらい素敵過ぎて、香穂子は拗ねたくなってしまった。
 演奏会が終了し、香穂子は制服に着替える。
 魔法は解けてしまった。
 あしながおじさんからプレゼントされたドレスは、香穂子を大人びた女性に見せる魔法が秘められていた。
 だが脱いでしまえば、そんな魔法も綺麗に消え去ってしまう。
 ただの女子高生になってしまうのだ。
 香穂子が楽屋から出ると、吉羅暁彦が不遜な笑みを浮かべて待っていた。
「この間の練習よりも随分と良くなったね…。流石は本番に強い…か…」
 吉羅は満足するような笑みを浮かべると、香穂子を見つめる。
「だが、一流ヴァイオリニストとしてはまだまだだが…、これからの成長を期待しようかね…」
 吉羅暁彦はクールさのなかに炎を滲ませるような瞳で香穂子を見つめてくる。
 その瞳を見せつけられると、こちらのほうが魅入られてしまう。
「…これからも精進したまえ。次に君の音を聴くのを楽しみにしているよ…」
「今度はあなたに意地の悪いことを言われないように頑張ってみせます。だから聴きに来て下さい」
 香穂子は挑むように吉羅をしっかりと見据える。そこには炎が揺らめいている。
「解った…」
 吉羅は頷くと駐車場に向かって歩き出す。
「良い瞳をしている。それを大切にしたまえ」
 吉羅は低くよく通る声で言うと、車に乗り込んでいった。
 吉羅暁彦。
 香穂子には鮮烈な印象を残して立ち去った。
「日野!」
「金澤先生」
 担任である金澤が呼び止めてくる。香穂子の演奏をきっちり録音してくれている件だろう。
「ほら、お前さんに頼まれていた録音だ。これを知人に送ってやると良い」
「有り難うございますっ!」
 金澤からCDを手渡されて、香穂子は嬉しくて思わず微笑む。
 これであしながおじさんに、創立祭のことを報告することが出来る。それが香穂子にとっては何よりも嬉しかった。
「有り難うございます…。本当に…」
「お前さんの知人は余程大切なひとなんだな…」
「はい。身寄りをなくして途方に暮れてしまっていた私に、手を差し延べて下さったんですから…。私にとっては命と音楽の恩人です!」
 香穂子が感情を滲ませて言うと、金澤は頷く。
「そうだな。その絆を大切にするんだぜ?」
「はい!」
 香穂子はCDをギュッと抱き締めると、金澤にはにかみながら頷いた。
「お前さんの今日の演奏はなかなか評判が良かった。めったにひとを褒めない学院の理事長もお前さんを少しだけ褒めていた。…ま、あいつは捻くれもんだから、あれでも絶賛のうちなのかもしれないがな」
 金澤はまるで理事長とは旧友のような口振りで言う。
「…だけど…、嬉しいです。噂では頑固一徹な理事長にそう言って頂けて」
「頑固一徹ねぇ。まぁ、アイツにはぴったりだな」
 金澤はまるで理事長が友達だとばかりの口振りで言う。
「あいつって…、理事長って意外に若い方なのですか?」
「やべっ! 俺、用事を思い出した。じゃあな日野。確かに渡したぞ」
 金澤はギクリとすると、気まずそうに香穂子の後を去る。
 その慌てぶりに、思わずくすりと笑った。

 香穂子は寮に戻ると、あしながおじさんに宛てて、お礼の手紙を認める。
 天羽が写してくれた創立祭ステージの写真も同封する。

 親愛なる私の尊敬する方へ。
 綺麗な薄紅色をしたドレスをプレゼントして下さいまして、本当に有り難うございました。
 嬉しくて嬉しくて、本当にどう言えば良いか解らないぐらいです。
 少し大人っぽく見えるデザインで、友人たちには好評でした。
 ドレスが沢山魔法を掛けてくれたみたいで、演奏も上手くいきました。
 頑固一徹オヤジだと噂されている理事長が、少しだけですが褒めて下さったようです。
 凄く嬉しかったです。
 理事長にお会いしたことも、お顔も知らないですが、少しだけ親しみを持てたような気がします。
 ひょっとするとあなたさまと理事長はお知り合いなのかもしれないですね。
 だったら“頑固一徹”のところはどうかナイショにして頂けると嬉しいです。
 創立祭の様子を写した写真と、演奏を録音したCDを同封致します。
 少しでも雰囲気を味わって頂けたらと思います。
 それではまた、お便りします。
 香穂子

 香穂子は手紙と写真を封筒に入れて、CDを緩衝材の入った封筒に入れる。
 丁寧に宛名を書いてシールを貼り付けると、とても幸せな気分になった。
 どうかこの嬉しさや、素晴らしかった創立祭の雰囲気が伝わりますように。
 そう祈りを込めた。

「…私は生徒に“頑固一徹オヤジ”と言われているのですか? 金澤さん」
 吉羅は溜め息を吐きながら、金澤を睨み付ける。
「姿も見ないから、色々と憶測が飛ぶんだろうよ。理事長様」
 金澤はからかうように言うと、唇に煙草を押し込めながら薄く笑った。
「…これからも生徒の前に姿を現すつもりはありませんけれどね」
 吉羅は冷たく言い放つと、手紙を丁寧に片付ける。
「金澤さん、日野香穂子のことはくれぐれも頼みます」
「…ああ。あいつの才能を潰すのは勿体ないからな。伸ばせるように、頑張ってみるさ」
「お願いします」
 吉羅は金澤を見つめ、そこに想いを託す。
 ひとりの少女のへの想いを----



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