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目覚めると、吉羅にしっかりと抱き締められていた。 もうこれ以上ないとばかりに、幸せがふつふつと湧いてくるのを感じた。 抱き締められているだけで、吉羅に守られているような気分になる。 実際にもしっかり守って貰っているが、こうして互いの熱をダイレクトに感じながら眠っていると、その想いが強くなるのが解った。 香穂子が幸せな気分で吉羅を見つめていると、その整った魅力的な瞳がゆっくりと開かれる。 「…おはよう、香穂子」 「おはようございます…、吉羅さん…」 はにかんだ朝の光のような笑みを浮かべると、吉羅が薄く笑って応えてくれる。 甘い甘い笑みに、香穂子は蕩けそうになるのを感じていた。 吉羅は香穂子を更に強く抱き寄せると、髪にそっとキスをしてくれる。 「…何があっても私から離れないように…。良いね?」 「はい…」 香穂子は、離れないという意識を示すために、吉羅の逞しい躰をしっかりと抱き寄せる。 その力強さに、香穂子は泣きそうになるぐらいに励まされた。 こんなにも愛しいと思っている男性は、他にはいない。 これから探してもきっと見つからないだろう。 香穂子にとっては最高最愛の男性なのだ。 吉羅は、香穂子の想いを受け取りながら、背中をそっと撫で付けてくれる。 「本当はこのまま一緒にいないのは山々だが、君には授業とリハーサルが、私には仕事があるからね。起きなければならないね…」 「…そうですね…」 本当に吉羅から放れるのは名残惜しくてしょうがない。 香穂子が放れたくない気持ちをまなざしに込めると、吉羅に急に組み敷かれてしまった。 「え…!?」 目を見開いて吉羅を見つめていると、吉羅はフッと微笑んだ。 「…香穂子、後少しだけだが…、お互いの熱を共有する時間はある…。少しだけ交換しようか…?」 「…はい…」 香穂子がうっすらと微笑むと、吉羅は香穂子を抱き締めてくる。 そのまま熱くてとても幸せな時間をシェアした。 ぎりぎりまで愛し合った後、ふたりは素早く支度をして、近くのカフェで朝食を取ることにした。 吉羅に沢山の痕を着けられてしまったため、香穂子は首にスカーフを巻いて、何とか誤魔化していた。 「今日もしっかりと勉強に励みたまえ。その前に警察に顔を出さなければならないからね」 「はい」 警察。 途端に甘い気分は消えて、気持ちが引き締まるような気が香穂子にはした。 「その後は、スタジオでのリハーサルだったね?」 「はい。しっかりと頑張ろうと思っています」 「ああ」 吉羅がこうして手を貸してくれている。それだけで香穂子は有り難いと思う。 穏やかで恥ずかしい食事が終わった後で、吉羅と一緒に警察へと向かう。 ここからは甘い気持ちなんて抱いてはならない。 香穂子は背筋を伸ばすと、警察へと向かった。 警察に着くと、担当の警察官に、応接セットがある簡易的なスペースに案内された。 「捕まったヤツは、日野さんに個人的な恨みなどはないヤツでね。依頼された仕事を遂行したに過ぎないと言っていますよ。嘘は言っていないと思いますが、後は依頼人が誰かを捜索する必要はありますからね」 「そうですか…」 吉羅は静かに頷き、考え込むように指を組んで口元に置く。 「…警察としても、日野さんの周辺の警備を強化します。後は、依頼人の特定と、書き込みをした人物の特定を急ぎます」 刑事の話を聞いているだけで、背中が震える。 香穂子の顔色の悪さに気付いたのか、吉羅はテーブルの下でしっかりと手を握り締めてくれていた。 「とにかく、日野さんの身に何かあっては大変ですから、私たちも全力を尽くすつもりです」 「宜しくお願い致します」 吉羅と共に香穂子は深々と頭を下げる。 吉羅がいればきっと大丈夫だ。 頑張ることが出来る。 香穂子はそう確信しながら、深々と頭を下げた。 香穂子の命が狙われている。 今日ほどそのことが深くこころにのし掛かった日はないのではないかと、吉羅は思う。 吉羅にとって、香穂子は今や自分の命よりも大切なものになっていた。 守るべき存在だと、吉羅は強く思っている。 香穂子を抱いたことで、その想いがより深くなっていることに、吉羅は気付いていた。 吉羅にとっては本当に大切な相手だ。 これ以上の女性は他にはいない。 香穂子を失ってしまったら、生きる気力の総てを無くすと言っても良かった。 吉羅は香穂子を放したくない、離さないとばかりに手をしっかりと握り締めて、警察署を後にした。 警察に任さなければならない領分であるのは解ってはいるが、それ以上に自分で守らなければならないという意識が強かった。 横にいる香穂子を見ると、不安げな顔色をしている。 こんな顔をなるべくさせたくはなかった。 「大丈夫だから、そんな顔はしないようにするんだ」 「有り難うございます。私、吉羅さんがそばにいて下さるから、こうやって頑張ることが出来るのだと思います。有り難うございます」 香穂子が信頼するように微笑むと、吉羅はこの場で抱き締めたくなる。 香穂子の切ない笑顔は吉羅の保護欲を掻き立て、太陽のような笑顔は独占欲を掻き立てる。 「今日もしっかりと頑張りますね。…私、精一杯頑張るつもりです」 「ああ。君ならやれる」 吉羅が確信を持って言うと、香穂子は嬉しそうににっこりと笑ってくれた。 香穂子を車に乗せて、学院へと向かう。 こんなにも頑張っているから、どうか香穂子のリサイタルを成功させてやりたい。 様々な人々に、香穂子の温かな音色を聞かせてやりたいと思わずにはいられなかった。 学院に到着し、香穂子は授業へ、吉羅は仕事に向かう。 香穂子とこうしてこころを近くするようになってからというもの、吉羅の仕事の効率はむしろ上がっていると言っても過言ではなかった。 香穂子がいるだけで、吉羅にとってはかなりのパワーになるのだから。 香穂子が授業を受けている間、かなり集中して仕事がこなせた。 ふと電話が鳴り、吉羅は静かに出た。 「理事長、日野さんのリサイタルを主催するプロモーターさんからお電話です」 「回してくれ」 嫌な予感がする。 「はい、吉羅です」 「コーエークラシカル横浜の東野と申します。日野さんのリサイタルについてご相談があります」 「どのようなご用件でしょうか?」 吉羅は胸が痛くなる。恐らくは最悪のシミュレーションだろうか。 「…会場から、観客への安全確保が難しいとのことで、リサイタルを中止したいとの申し出がありました…。違約金は発生しないと聞いておりますので、ご負担はないですから」 吉羅は目を閉じる。 やはり最悪の予想が的中してしまった。 会場としては、命を狙われている香穂子のリサイタルをするわけには行かないだろう。 「…本人に伝えます。改めて返事をさせて下さい。今日中に電話をさせますから」 吉羅はあくまで冷静を装いながら静かに言い、電話を切った。 吉羅は直ぐに連絡を入れ、授業が終われば香穂子に理事長室に来るように伝えるように言った。 授業が終わり、香穂子は吉羅がいる理事長室へと向かった。 「理事長、日野です」 「入りたまえ」 香穂子が静かに理事長室に入ると、吉羅が真直ぐ見つめてきた。 嫌な予感がする。 「日野君、落ち着いて聞きなさい。ホールとプロモーターからリサイタルの中止要請があった」 嘘だと思った。 |