*あなたに護られて*

12


 翌朝、香穂子はいつも通りの笑顔に、表面上は戻っていた。
 切なく感じるのは致し方がない。
 初めての大舞台が、不可抗力のために泡沫のように消えてしまったのだから。
 なるべく明るく振る舞おうとしている香穂子を痛々しく思いながら、不意に抱き寄せた。
「…暁彦さん…」
「私の前では我慢しなくても良いんだ。君はいつも我慢をし過ぎている。もっと素直になりなさい」
 吉羅は背中を何度も撫でながら、香穂子をあやす。
 すると大きな瞳に涙をいっぱいに溜めて、吉羅を見上げた。
「有り難うございます…。だけどなるべく前を見るようにします。下を見て泣いてなんかはいられないですから。 真直ぐ前を見ていないと、光をちゃんと見つけることが出来ないでしょう?」
 香穂子は洟を啜りながら、吉羅に笑顔を向けた。
「ただ、暁彦さんの前ではつい切ない笑みを浮かべたり、甘えたりするかもしれません。それだけは受け止めて下さい。なるべくそうはならないように、頑張ります」
 香穂子の前を向いた言葉を、吉羅もまた静かな笑みを湛えて受け取る。
「解った。その代わり、甘えたい時はいつでも私に甘えるんだ。良いね」
「はい」
 香穂子はしっかりと頷くと、誓うように吉羅を抱き締めた。
「…何があっても私は君を守ろう…」
「有り難うございます。だけど暁彦さん、私もあなたを何があっても守りますから」
 香穂子の言葉の力強さは、世界一だと思う。しかも、現実に出来る力を秘めている。
「…今日からまたしっかりと頑張ろう」
「…はい…」
 吉羅は香穂子の頬を撫で付けると、唇を柔らかく塞ぐ。
 その柔らかな熱さに溺れながら、吉羅は香穂子を必ず守ってみせると誓った。

 香穂子と共に学院に出勤する。
 すると事務所から香穂子に宛てた荷物を受け取ったと連絡があった。
 何かあるかもしれない。
「…その荷物を、事務所に置いて、暫くそこには誰も入れないように。直ぐに警察に連絡をして貰えないかな。何かあったら事だ」
 吉羅は冷徹な声で事務所に指示をする。
 吉羅の表情と声で、香穂子は不安で息が詰まりそうになった。
 もし誰かに何かがあったとしたら、本当に生きてはいけなくなるだろう。
「…あ、暁彦さん…」
「大丈夫だから、君は何も心配しなくて良いんだ」
 吉羅は静かに言うと、香穂子の手を握り締めてくれた。
 吉羅は直ぐに携帯電話で土浦を呼んでくれる。
 暫くして、土浦がやってきてくれた。
 本当に様々な人々を巻込んで申し訳ないと思う。本当に泣きそうになる。
「暫く、日野君と一緒にいてくれ」
「解りました」
 土浦は神妙な顔をして頷き、香穂子を守るように立った。
「それでは私は事務所に行ってくる。土浦くん、それまで日野君を守ってくれたまえ」
「解りました」
 吉羅は香穂子に広く精悍な背中を向けて歩いていく。
 その背中を見つめながら、香穂子は胸が張り裂けてしまうほどの切なさを感じていた。

 吉羅が事務所に行くと、直ぐに警察が来てくれ、荷物が爆発物ではないことは解ったが、慎重に開封をしてくれた。
 だが、荷物が開封されて、吉羅は息を呑む。
 香穂子に似せた人形がバラバラにされて中に入っていたのだ。
 狂気だ。
 いやそれ以上のものがあるかもしれない。
 吉羅は溜め息を吐くと、一瞬、目を閉じる。
 決して香穂子には見せてはならない。
 余りにも残酷だ。
 こんなにも惨いことが出来るのだろうか。
「指紋か何か着いているかもしれませんから、直ぐに鑑識に回します。そして、今日から日野さんには警備を正式に着けます。彼女の命を守るためです。女性の警察官を付けますから、彼女と行動を共にさせます」
「有り難うございます」
 香穂子にはこのような物を見せないほうが良い。余りにも残酷過ぎるではないか。
 吉羅は絶対に指一本香穂子には触れさせないと誓った。

 吉羅は直ぐに香穂子を迎えに向かう。
 香穂子を守らなければならない。
 どのような悪意からも守ってみせる。
 吉羅が行くと、香穂子は女性警官と土浦と一緒にいた。
「土浦君、有り難う。ここからは私が代わろう」
「はい。あの、理事長!」
 土浦が思い詰めたように呼び止める。
「何かね?」
「日野のことなんですが、同じ授業を多く取っているし、俺が日野に着きます。理事長は色々と忙しいらしいし」
 土浦の真直ぐな言葉に、吉羅は複雑な気分になる。
 確かに吉羅は多忙だ。
 だが、香穂子を守る役割だけは、誰にも渡したくはなかった。
 香穂子は自分で守りたかった。
 吉羅はわざとクールな表情をすると土浦を見る。
「有り難う。だが、心配には及ばない。日野君には警察官の方が着いてくれているし、私もいる。君は君のいますべきことに集中したまえ」
 吉羅はキッパリと言い切ると、土浦を見た。
 高校生の頃から土浦が香穂子に恋をしていることは知っている。言わば、吉羅のライバルなのだ。
 吉羅はライバルに付け入る隙を与えたくはなかった。
 まるで子ども染みた気持ちだ。
「…解りました…」
 土浦は一瞬、がっくりと気落ちしたような表情になる。
 だが、直ぐにいつものような精悍な顔に戻った。
「解りました。だけど、俺が必要な時は必ず呼んで下さい。いつでも駆け付けます。日野のためにも」
 土浦の男気に感服しながらも、吉羅は彼の望みを認めるわけにはいかなかった。
「有り難う」
「…はい。では、失礼します」
 土浦が爽やかに頭を下げると、香穂子もまた深々と頭を下げた。
「有り難う、土浦くん…」
「何かあれば呼べよ。いつでも良いから」
「うん、有り難う」
 ふたりが穏やかに微笑みあっているのを見ると、切なくてしょうがない。お腹の深い所から、苦々しい想いが湧き上がってくるのを感じていた。
 土浦が行ってしまい、吉羅、香穂子、警官の三人になる。
「では、日野さんはこれから授業のようですから、一緒に受けて来ます。日野さんを吉羅さんのところに無事に送り届けますから」
「宜しくお願いします」
 吉羅が深々と頭を下げると、警察官は軽く頷いた。
 香穂子が警察官と一緒に授業に行ってしまった後、吉羅は理事長室へと戻る。
 溜まっていた仕事を片付けなければならなかった。

 香穂子は、警官に見守られながら授業を受ける。
 何だか落ち着かない。
 吉羅に見守られている時には集中することが出来るというのに、他人だと落ち着かない。
 どれほど吉羅に依存をしているのかと、自分でも思ってしまう。
 吉羅のそばにいられるのは嬉しい。
 だが、危険に晒すのは嫌でしょうがない。
 授業が終わり、香穂子は警官と共に理事長室へと向かった。
「日野さん、あなたはとても愛されているわね。本当に羨ましいぐらいに。私が警察官としてあなた自身をしっかりと守るから、あなたはあなたの守るべき大切なものを守りなさい」
「有り難うございます」
 守りたいもの。
 それは決まっている。
 吉羅と吉羅と過ごす時間だ。
 それが何よりも守りたいものだ。
 香穂子は改めて確信を深めると、背筋をしっかりと伸ばした。

 警察に守られてセキュリティが優れている吉羅の自宅へと戻った。
 ふたりきりになりようやくホッとする。
 吉羅と手を繋いだままで、香穂子はゆっくりと吉羅を見上げる。
「今日は有り難うございました。嬉しかったです…、守るとおっしゃって頂けて嬉しかったです」
 香穂子が素直に言うと、吉羅に思い切り抱き締められた。



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