*あなたに護られて*

13


 吉羅に抱き締められて、守られるように眠る。
 だからこそ眠りを得ることが出来るのかもしれない。
 香穂子はそう感じながら、温もりに感謝をして眠りに落ちた。

 吉羅は、香穂子が眠るのを確認した後で、髪を撫でる。
 誰にも香穂子には触れさせない。
 香穂子を命懸けで守ってみせる。
 香穂子に何か起こってしまってからは手遅れなのだから。
 吉羅は、香穂子が眠りに落ちた事を確認し、自らも眠りに落ちる。
 こんなにま心地好い眠りが他にはないと、思わずにはいられなかった。

 明け方目が覚めて、香穂子は吉羅が眠っているのを確認する。
 ぐっすりと眠ってくれているからホッとした。
 愛する愛する吉羅には、これ以上ないぐらいに迷惑をかけてしまっている。
 それが心苦しい。
 香穂子は切ない気分を抱きながらベッドを下りると、窓辺に向かった。
 まだ薄暗いが、時計は間も無く午前6時をさす。
「リハーサルだから頑張らないとね!」
 自分を奮い立たせるような言ったところで、千尋はハッとする。
 リサイタルは中止になってしまったのだ。
 ずっと目標にして楽しみにもしてきたヴァイオリンリサイタルが中止になったことが切なくなって、思わず涙が零れる。
 香穂子は気を紛らわすために、テーブルに置いているヴァイオリンケースからヴァイオリンを取り出すと、それを構えた。
 朝にふさわしい曲ということで、小さな音を出しながら演奏するのは“ユーモレスク”だ。
 香穂子は朝日によって照らされて光り輝いていく空を見つめながら、ヴァイオリンを奏でた。
 ヴァイオリンを奏でている時と、吉羅のそばにいる時だけが、今の香穂子のよりどころだった。
 ヴァイオリンを奏で終わるなり、背後から抱き締められる。
「ブラボー…、香穂子…」
「暁彦さん…」
「どうしたのかね?」
 ギュッと抱き締められながら、香穂子は吉羅の手を握り締める。
 心配をさせたくはない。
 だが痛々しいまでの空元気を見せたくはないし、見せてもしょうがない。
「…リハーサルだと思って早起きをしたら、リハーサルはないんだって気付いて…、哀しくなってしまったんです」
「そうか…」
 吉羅は香穂子を慰めるように、更に力強く抱きすくめる。
「…リサイタルならばどこでも出来る…。例えば、学院の講堂…。あちらならホール並の音響だから、良い演奏を行なうことが出来るはずだ…。どうかね? あの講堂を使って、リサイタルを行なうというのは?」
 吉羅は我ながら名案だと思っているようで、少し声が弾んでいる。
「良いんですか…? 暁彦さん…、警備がとても大変ではないのですか…?」
 気持ちはとても嬉しいが、香穂子は吉羅にまで危害を加えられるのではないかと思い不安になる。
「香穂子…、心配しなくても良いんだ。君は何も…。私も君の素晴らしい演奏を聴きたいと思っている。演奏は土浦君に頼めば、恐らくは喜んでやってくれるだろうからね。だから、私たちの手作りで、演奏会を開催しないかね? 君が素晴らしく力強いヴァイオリニストであることを、知らしめれば良いのだから」
「…はい。有り難うございます。暁彦さん」
 吉羅の気持ちが嬉しくて、いくら感謝をしてもしきれない。
 吉羅には百万回“有り難う”と言っても足りないだろう。
 香穂子は嬉しい涙を浮かべながら、お礼を何度も言おうとしたが、声が震えて上手くいかなかった。
「香穂子…」
 吉羅は困ったように笑うと、香穂子の頬に柔らかなキスをくれた。
「…有り難うございます、本当に…。あなたに何百万回のお礼を言っても、足りないと思います…」
 香穂子は洟を啜りながら、何とかお礼を言おうとするが、なかなか上手く言えなかった。
「…君はいつも私を励ましてくれたし、いつも私を助けてくれた。癒してくれた…」
「私こそ…いつも暁彦さんには助けて貰っていたから…。厳しいことを言うくせに、あなたはいつも私の味方だったから…」
「…香穂子…、君はいつも私の太陽だったから、今度は私が君を照らしてあげる番だ」
 吉羅は香穂子の頬を撫でて、愛情溢れた笑みを浮かべた。
「…大好き…暁彦さん」
「…私も君を誰よりも愛しているよ…」
「…有り難う…」
 香穂子は吉羅にしっかりと抱き付くと、かけがえのない幸せを手にしたと感じた。

 翌日から、香穂子のリサイタルを学院の講堂で行なうための様々な準備が行われる。
 先ずは伴奏者として土浦と森に声を掛ける。
 ふたりとも快諾をしてくれ、リハーサルの準備を始めてくれる。
 そして吉羅は無事に香穂子のリサイタルを開催するために、警察と掛け合ってくれた。

「星奏学院高等部の講堂で日野香穂子のリサイタルを開催したいと思っています。ご尽力を頂いても宜しいでしょうか?」
 吉羅は学院のお膝元である警察署に掛け合い、膝詰め談判をする。
 勿論、出来る限りのコネクションを使って県警や警察庁に働きかけた上でだ。
「不特定多数がやってくるリサイタルをやるのは危険ではありませんか?」
「それは承知の上で警備をお願いしているのです。私は彼女にどうしてもリサイタルを開かせてあげたいと思っています。それに…犯人を炙り出すことが出来るかもしれません」
 吉羅はあえてそれを出す。
 リサイタルをするということは犯人がやってくる可能性が高い。
 そこを炙り出せば良い。
 ただし方法を間違えてしまえば、それが危険を伴うことは百も承知だ。
「…そうですね…。実は犯人はだいたい絞られつつあるのですよ…。犯人をそこに誘い出して逮捕をするのも良いかもしれないですね…」
 刑事は神妙な顔をして頷く。
 今度は吉羅が驚く番だった。
「…それは本当ですか…?」
「IPアドレスなどを地道に調べた結果、だいたいは絞り込まれました。その証拠があれば、逮捕出来るでしょう」
 刑事は犯人は誰かというところは明言を避けたのだが、吉羅がほんの少しだけ安堵をしたのも事実だった。
「…吉羅さん…、解りました。日野さんのリサイタルを開催出来るようにこちらとしても全力を尽くしましょう。犯人の決定的な裏が取れるように、それまでに頑張ります。容疑が固まれば、逮捕します」
「解りました。宜しくお願い致します」
 ハイリスクなのは解ってはいる。だが、それでも香穂子にはリサイタルを開催させてあげたかった。
「はい」
 吉羅が深々と頭を下げると、刑事が複雑な笑みを浮かべる。
「日野さんがリサイタルを開催されるのは、我々としても嬉しいことですからね。全力を上げて頑張るつもりでいますから。犯人逮捕までは、日野さんを無事に守ってみせますので。女性刑事は日野さんに引き続き着けておきますので。犯人逮捕までは」
 「有り難うございます。それでは宜しくお願い致します」
「はい」
 吉羅は再度挨拶をすると、警察署から出た。
 ひとつの懸案は解決した。
 引き続き香穂子をサポートしたい。
 吉羅にとって香穂子の笑顔が、何よりものプレゼントだから。

 香穂子が練習室で仲間たちと音合わせをしていると、吉羅がやってきた。
 警察署で話をつけに行ってくれたのだ。本当に有り難いと思う。
「暁彦さん!」
 香穂子は吉羅に駆け寄ると、不安そうに見上げる。
「…どうでしたか?」
「警備の確約は取ってきた。君は思い切りヴァイオリンを練習したまえ」
「有り難うございます」
 香穂子は嬉しくてしょうがなくて涙を零した。



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