*あなたに護られて*

6


 再び車に乗り込んで、パーティ会場へと向かう。
 吉羅は全く話をしない。
 恐らくは、香穂子が期待以下だったからだろう。
 だが、これが自分にとっては精一杯のことだろうと思う。
 いつもよりは信じられない程に綺麗なのだから。
 車の景色が見慣れたものになってきた。
 吉羅の自宅がある六本木だ。
「…ミッドタウンの中のホテルでのパーティだ。帰りは歩いて帰れるから、うちの駐車場に車を置こう」
「…ミッドタウンでしたら、送って頂ければ、それで大丈夫でしたよ」
 香穂子の言葉に、吉羅は不快そうに顔をしかめた。
「たとえ警備が行き届いた家であっても、君をひとりにするのは危険だからね。着いて来なさい」
「…はい」
「それにパーティは政財界の大物がかなり来る。警備は素晴らしい程に厳重だよ。だから心配をしなくても良いんだ」
「はい…」
 パーティ会場に入る前、相当のセキュリティチェックを受けた。
 これならかなり安心していられるだろう。
 香穂子はほんの少しだけホッとしながら、吉羅のそばにいた。
「日野君、腕を組みたまえ」
「へ…?」
 吉羅の突然過ぎる言葉に、香穂子は目を丸くする。
 吉羅の腕に自分の腕を絡ませるなんてこれほど緊張することはない。
「…あ、あの…吉羅さん…」
 恥ずかしさと緊張で、香穂子はどうして良いかがサッパリ解らない。
 頭が真っ白になってしまい、腕の組み方すら分らなくなっていた。
「どうしたのかね?」
「…あ、あの…、どうやって腕を組むのかが分かりません…。…私…」
 香穂子は耳まで真っ赤にさせてうなだれながら吉羅に言う。
 すると吉羅は溜め息を吐き、香穂子の手を取って、自分の腕を持たせる。
「こうするんだ」
「有り難うございます」
 吉羅の腕をしっかりと持たされて、香穂子ははにかみながら俯く。
「…私から離れないように。そばにいなければ、君を守ってはあげられないからね」
「はい」
 そうなのだ。
 これは甘い行為なのではない。
 ただ香穂子を守る為に、吉羅がしているに過ぎないことなのだ。 
 それを思い知らされるようで、香穂子は胸が痛かった。
 緊張をしながらパーティ会場に入ると、女性たちが一斉に香穂子を見るのが解った。
 何処か嫉妬が混じっているまなざしだ。
 誰もが吉羅に憬れて恋をしているのだということを、香穂子は思い知らされた。
 香穂子を牽制するように見つめながら、女性たちが吉羅を見つめてくる。
 中には夫がいてもあからさまな視線を投げ掛ける女性もいて、香穂子はかなり驚いた。
 そのなかでも一際美しい女性が、ゆっくりと吉羅に近付いてきた。
 顔を見て、香穂子もハッと気付く。
 ヴァイオリニストとしてかなり有名な女性だ。
 その美しさとヴァイオリンの澄んだ音色に、世界中が魅了されている。
 香穂子は別の意味で緊張してしまった。
「…こんばんは…暁彦さん」
 妖艶な微笑みと共に艶やかな声が唇から漏れる。
 香穂子はぼんやりと見つめてしまうことしか出来なかった。
 本当に綺麗なひとだ。
「あ、あの、私、CDを持っています! いつも聞かせて頂いています」
「有り難う…」
 彼女はにっこりと笑いながらも、香穂子と吉羅が結ばれている腕を見つめる。
 一瞬、瞳が氷のよう凍て付いた。
 そのまなざしの余りにもの冷たさに、香穂子は心まで冷える。
「…また後ほど。暁彦さん」
「ああ」
 吉羅はいつものように感情なく呟くと、さして興味がないように呟いた。
「…さて日野君、私からはくれぐれも離れることはないようにしたまえ」
「はい」
 吉羅は釘を刺すように言うと、香穂子を連れて挨拶回りを始めた。
 吉羅が挨拶をするのに同行をしながら、香穂子は自分が邪魔なのではないかと、朧気に感じていた。
 まるで吉羅に寄り添うマスコットのようだ。
 それ以上でも以下でもない。
 一通り挨拶を終える間、香穂子は引きつった笑みを浮かべずにはいられない。
 上手く笑えなかった。
 挨拶が終わった後、テーブルには沢山の料理が並べられたが、香穂子はどれも食べる気にはなれなかった。
 吉羅が余り食べなかったこともあるが、胸がむかむかしてしまい食べることが出来ない。
「あまり食べないね。いつものように食べても構わないんだが」
「…食欲があまりないんです…。ごめんなさい…」
 香穂子は静かに言うと、俯くことしか出来なかった。
 最初は緊張していたものの、とても楽しかった。
 だが、挨拶をしているうちに、自分が吉羅とは全く釣り合ってはいないことに気付いて、切なくなった。
「…吉羅理事長、少し化粧室に行っても構わないですか?」
「ああ。構わないが、直ぐに戻って来るように。ここはセキュリティが万全だが、完全に安全だとは限らないんだからね」
「…はい…」
 香穂子はそっと吉羅から腕を離す。
 その瞬間、香穂子は万全なセキュリティが解除されたことを感じていた。
 化粧室に入ると、香穂子は鏡の前で溜め息を吐く。
 早くこの息苦しい状況から脱却がしたい。
 本当に苦しくてしょうがない。
 香穂子は鏡を見つめると、魔法がとけてしまったことをまじまじと感じていた。
「…あなた暁彦さんの連れの子ね」
 艶やかな声に振り替えると、先ほどの女が腕を組んで立っていた。
 かなり威圧的でくらくらしそうだ。
 吉羅の前にいた時よりも、邪悪な雰囲気を感じていた。
「あなた…日野香穂子さん…ね? 幸せな気分に浸るのも今のうちよ。…あなたもそのうち暁彦さんから見限られる日がやってくるわよ…。私が…、暁彦さんに捨てられたようにね。せいぜい幸せに浸っていると良いわ…」
 くすくすと笑う姿は、香穂子にとっては恐ろしさ以外に何も感じなかった。
 こんなにも恐怖を感じる女性に出会うのは初めてかもしれない。
 香穂子は、背中が凍えるのを感じていた。
 女性が出た後、香穂子が化粧室を出ると、吉羅が外側で待ってくれていた。
「…吉羅…理事長…」
「…さっきの女に、何か言われなかったかね?」
 吉羅はかなりクールなまなざしで、香穂子に呟く。
「…何もありません…。本当に何も…」
 香穂子は声を掠らせながらそっと呟く。
 吉羅は直ぐに香穂子の腕を取ると、支えるように歩き始めた。
「疲れただろう。うちに戻ろう」
 吉羅は、パーティなどそっちのけとばかりに入り口に向かって歩き始める。
「…き、吉羅理事長! パーティはまだ終わっていないんじゃ…!」
「用件は済ませたから大丈夫だ。ああいう席は、挨拶を済ませると最後までいない場合が多いし、実際にそういう経済人や財界人が殆どだよ」
「…だけど…」
「君はかなり疲れているはずだ。今日はうちに戻ってゆっくりと休もう」
 吉羅のさりげない気遣いが嬉しくて泣きそうになる。
 香穂子は、吉羅に涙が滲んだまなざしを向けた。
「…有り難うございます…」
 吉羅に支えられるようにしてホテルを出た後で、ふたりでゆっくりと歩いていく。
「…気は抜けないからね…。緊張を忘れないように」
「はい。解っています。お気遣いを有り難うございます」
「ああ」
 ふたりで緩やかにミッドタウンを歩いていく。
 緑が麗しいここはとても落ち着いていて、六本木の一角にあるとは到底思えなかった。
 こうして緑の香りがする空気を吸っているだけで気持ちが良い。
 不意に吉羅が立ち止まる。
「日野君…、私から離れないように」
 吉羅の低く緊張した声に驚いて顔を上げた瞬間、不穏な影が目の前を横切った。



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