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今までに知らない熱い告白に、香穂子の壁がとうとう砕かれる。 砦のない香穂子は、かくもこんなにも弱かったのだ。 「…吉羅さん…」 「あの頃のように一緒に暮らさないか?」 吉羅の掠れた艶やかな声に、香穂子のこころは揺れ動く。 こんなにも胸がきゅんと痛くなるような気持ちは知らない。 「…出来ません…。それは…」 「暁慈だけでは意味はない。君が母親をしていなければ意味はない」 吉羅は香穂子を見つめながら言い切る。 どうしてこんなにもこころを揺り動かされる言葉を、ストレートに言い切ることが出来るのだろう。 確かにまだ吉羅に対しては蟠りがないわけではない。 だが、そんなことを覆してしまえるぐらいに、吉羅を愛しく思えてしまう。 恋の炎が燻っていたどころか、小さくも熱い炎を常に持ち合わせていたのだ。 これには香穂子も驚こしかなかった。 「…香穂子…。私がしてしまったことは…謝っても謝ることが出来ないことぐらいは、分かっている。…だから…、この先は、今までのことを埋められるほどに君達を幸せにする」 吉羅は香穂子の手を握り締めると、熱く揺らめいた瞳を向けてきた。 こんな瞳を見せつけられたら、抗うことなんて出来やしないではないか。 香穂子のこころが潤んだタイミングで、吉羅はその手を握り締めてきた。 この手を振り払えれば良かったのに、あいにく振り払えるほどの理性も、今や恋心の熱によって溶かされてしまった。 抗えるはずがない。 香穂子が溜め息を吐くと、吉羅は更に手を握り締めてくる。 「…香穂子、一緒に暮らさないか? 君と暁慈、そして私と三人で、温かな家族になろう…」 いつもは冷酷だと言われている吉羅からは信じられないほどに温かい声。 温かい手のひら。 香穂子はそのまま流されてしまいそうになる。 吉羅が差し延べてくれた手を取れば、こんなにも幸せなことはないだろう。 「…考えさせて下さい。ちゃんと真剣に考えて答えを出したいんです」 この間のようにキッパリと抵抗はしなかった。 抵抗出来なかったと言っても良い。 「…香穂子、少しは前に進んだかな? 私は認知なんて中途半端なことはしたくない」 吉羅は香穂子の瞳の光を自分色に染め上げるように見つめてくる。 「見極めたいの。私たち三人がちゃんと愛のある“家族”でいられるかどうかを」 「…分かった。香穂子、私たちの絆をより確かなものにするために、三人で旅行をしないか? 暁慈が喜ぶところに行こう」 吉羅は香穂子のために努力をしてくれている。それがとても嬉しい。 吉羅がこうして申し出てくれていることを、無下に断るなんて出来ない。 「…解りました…」 香穂子が頷くと、吉羅はホッとしたように表情を和らげる。 「暁慈のことを考えて、自然が豊富で、しかも車で移動出来るところを選ぼう。その方が良いだろうからね」 「…そうですね。あの子も喜ぶと思います」 暁慈のためを思って考えてくれる吉羅に感謝をしながら、香穂子はそっと頷いた。 「暁慈のことを考えて下さって有り難うございます」 「当然だ。私の子供だからね」 吉羅は誇らしげに言うと、香穂子を見る。 「君の子供でもあるがね」 「そうですね」 「楽しみにしているから、三人で小旅行に行こう」 「解りました」 ほんのりと温かくなる気持ちに、香穂子は微笑んだ。 興奮ぎみの暁慈と共に、香穂子は吉羅を待ち続ける。 フェラーリのクラクションが道路に響き渡り、吉羅がやってきた。 「ふたりともお待たせしたね。乗りたまえ」 「はい」 吉羅がドアを開けると、ふたりは車に乗り込む。 暁慈のために運転席に乗せて、香穂子は後部座席に乗り込んだ。 「すっかりここは暁慈の席になってしまったね」 「そうですね」 「かつて、君の席だったけれどね…」 「はい。懐かしいです」 吉羅もまたフッと穏やかな笑みを浮かべると、香穂子を見つめる。 「…私は今でも君が隣に来てくれると信じているよ」 「吉羅さん…」 愛撫されているかのようなまなざしに、香穂子の鼓動は激しくなる。 どうか。 この瞳が本物であれば良いのにと、思わずにはいられなかった。 「何処に連れていって下さるんですか?」 「秘密だよ。マジカルミステリーツアーのように、楽しみにしてくれたまえ」 「はい、解りました」 吉羅に素直に笑顔を向けると、それを返してくれるのが香穂子にはとても嬉しかった。 吉羅は空気が綺麗な、裏富士が堪能出来るところに車を走らせてくれた。 「富士ちゃーん! 大きいねえ!」 間近で富士山を見たことがない暁慈は、吉羅と香穂子に興奮ぎみに笑う。 「綺麗だね! 山も良いでしょう? 暁ちゃん」 「うん!」 暁慈はすっかり富士山に夢中で、恍惚な表情で見つめている。 その様子を、吉羅と香穂子は顔を見合わせて笑う。 「ママ、おじちゃん、おてて」 「はい」 暁慈が小さな手をふたりに差し出すものだから、ふたりはそれぞれの手を取る。 これこそ理想的な家族だ。 香穂子は夢見ていた風景に、思わず微笑んだ。 暁慈はふたりを振り回すかのように歩き、自然のなか大いに楽しむ。 三人を理想的な家族と見なして憧れの視線を向けるものたちは少なくなく、香穂子はほんのりとこころを熱くさせた。 何処から見ても完璧な親子にしか見えないから。 香穂子は息子と、かつて深く愛したひとを見つめる。 いいや、かつてなんて過去の表現は出来ない。 今も深く愛しているのだから。 香穂子は、今更ながらに吉羅への愛を確認していた。 散々遊んだ後、ふたりはホテルに向かう。 吉羅が用意してくれた部屋は、スィートルームだった。 大きなベッドが部屋の中央に大きく座っており、香穂子は身を固くする。 部屋は別々だと思っていたのだ。 今、吉羅と一緒にベッドを使えば、どうなってしまうか解らない香穂子ではない。 香穂子は緊張のまなざしを吉羅に向けると、細い腰を抱かれてしまった。 「香穂子、親子三人で川の字になって寝ようと思ってね。より私たちは近付けるだろう?」 「…そうですね…」 香穂子は言葉に不安な色を滲ませながら、上の空で呟いた。 「三人で手を繋いで寝よう。暁慈を真ん中にしてね」 吉羅は機嫌が良さそうに微笑み、その魅力を香穂子に向けてくる。 ギリギリまで吉羅に追い詰められている。 もう吉羅の存在を抗うことが出来ないぐらいに、意識してしまっていた。 ホテル側は、気遣ってか、暁慈用に小さなベッドを用意してくれている。 こんなものがあれば余計に緊張してしまうではないか。 香穂子は深呼吸を何度もしながら、こころを落ち着けるのに懸命になっていた。 夕食の後は温泉を楽しんだ。 吉羅は暁慈を連れて温泉に向かい、遊びながら楽しんでいるようだった。 吉羅とふたりが温泉から戻ってきたときには、顔を真っ赤にさせていた。 「楽ちかったよー! おうちのお風呂もこえぐらい大きかったら、楽しかったのにーっ!」 興奮ぎみに言う暁慈に、香穂子は目を細目ながら、一生懸命話を聞いてやる。 相当嬉しかったらしく、いつまでも燥いでいた。 燥いで疲れたのか、暁慈はベッドの中央で堂々と眠っている。 「寝顔も遊んでいる笑顔も天使のようだね」 「はい。この子は本当に素直ですから、子育ても楽なんです。殆どお母さんに頼っているから、本当はこんなことは言えないんですけれどね」 香穂子がくすりと笑うと、不意に吉羅に手を握り締められる。 「香穂子、一緒になろう…」 「…まだ、そんなことは決められません…」 吉羅の官能的な甘いまなざしを見ていると、頷いてしまいそうになるから。 香穂子はわざと視線を外した。 だが、吉羅は香穂子の視線を合わせようと、顎を持ち上げて、無理矢理同じ視線の高さにさせてくる。 「…私は…、もう…我慢出来ない程に、君が欲しいんだよ…」 吉羅は甘い声で呟くと、唇を重ねてきた。 |